第十九話 浜崎との和解

 十月二十五日午後八時。


 俺は夜風に当たるために屋上にいた。

 静かな良い夜だ。時折遠くの方から奇妙な呻き声が聞こえてくるのを除けばだが。結局あれから作業は遅々として進まなかった。


 壁の方は百瀬先生に直してもらえたが、死体処理の進捗は一日かけてようやく半分といったところか。


 ひとまず庭の『ミート地帯』の片付けは完了した。明日中には外の清掃も全て終わらせたい。俺が明日の段取りについて考えていると、突然来客がやってきた。


「黒沢、ここにいたのか」


 振り返ると入り口に浜崎が立っていた。

 薄暗くてよく見えないが、手に何かを持っている。凶器かな、あれは。


「なぁ、黒沢ァ……」


 浜崎が近づいてくる。


「何だ?」


 報復にでも来たのだろうか。ならばこちらにも用意というものがある。

 俺はいつでも反撃できるように身構えた。


「昨日はその……わる、わるかった」


 今にも蹴りを繰り出そうとしていた俺は、拍子抜けのあまり転倒しそうになった。


「どういう心境の変化だ?」


 本当に酒に酔った百瀬先生に殴られたのだろうか。


「みんなに諭されてな。オレも一日経って頭が冷えたんだよ」


「そうか。俺の方こそ、わ、悪かった」


 俺もつられて、ぎこちなく謝った。

 小学生の仲直りか、これは。


「黒沢は情けねぇオレに代わって明宏を楽にしてやってくれたのによ、あんなひでぇこと言っちまった。おめぇがいてくれなかったらオレは喰われてたよ」


「気にするな。俺の方こそ、お前の気持ちを考えてやれなかった」


 思えば俺も随分と大人気なかった。考えてみれば一般的な高校生に、親友がゾンビになりましたか、そうですか、では殺しましょう、などという合理性を求める方に無理がある。


 そんなことは大切な存在など誰もいない俺のような人間だからこそできる所業だ。少し考えれば分かりそうなものだったが、やはりその辺りの配慮が俺には致命的に欠けているのだろう。


「これ、詫びと言ってはなんだがよ、おめぇにやるよ」


 浜崎が手に持っていた物を差し出してきた。凶器だと思っていた物は、どうやらペットボトルに入った水だったようだ。

 それ、元は俺の水なんだが……と言いかけたが、せっかくの厚意を無碍にするのはよそう。ところでこれ、毒でも入ってるんじゃないだろうな。


 キャップの封は開けられてないみたいだが、どこかに穴でも空いていないだろうか。


 俺は思わずペットボトルを色んな角度から観察した。


「ハハハ、用心深いヤツだな。嫌がらせで唾やションベンでも入れたと思ったのか? そんな幼稚なことしねぇって!」


 もっと強烈な物の混入を想像してました、とは言えず、俺は苦笑しながらペットボトルに口をつけた。


「へへっ、どうよ。ちったぁ頭が良さそうに見えるか?」


 真島の形見らしきメガネを掛けてみせた浜崎が笑った。


「馬鹿がメガネを掛けてもメガネを掛けた馬鹿にしかならないだろ」


「鬼かおめぇは!?」


「事実を言ったまでだ」


「ああそうかよ。あ、そうだ黒沢。前から一度訊いてみたかったんだけどよ」


 浜崎が珍しく真面目な顔をした。


「何だ改まって」


「おめぇ女の中で誰が好みなんだよ。教えろよ黒沢ァ」


 下卑た笑みで浜崎が訊いてきた。

 今が修学旅行の夜だとでも思っているのだろうか。


「分からん」


 今まで色恋沙汰とは無縁の人生だった。

 不登校のひきこもりには及びもつかない世界の話だ。


「ひとつ屋根の下で暮らしてんだから色々あんだろうがよ。あ、葉月って言うのはナシな。殺すから」


 上等だ。返り討ちにしてやる。


「そういうのは考えたこともなかったな」


「百瀬先生に三崎、どっちも良い女だろうが。オレがフリーだったら余裕で突撃してるね」


「あのな、浜崎。お前は非日常の興奮から一時的に舞い上がってるだけだ。仮にゾンビが全滅して元の世界に戻ったら彼女の川中はともかく、俺も含めた他の連中なんて顔も見たくなくなると思うぞ。辛い記憶を呼び覚ますだけだからな」


「カーッ、面白くねーやつだな」


 浜崎がつまらなそうに言った。


「まぁ……いないこともない」


 面白くない人間だと言われては癪に障る。

 俺はつい余計なことを言ってしまった。


「おっおっおっ、良いね! オレはそういう反応を待ってたんだよぅ! で、誰なんだ?」


 誰かこいつを殺してくれないだろうか。

 俺はどさくさに紛れて浜崎をゾンビの群れに放り込む計画を練り始めた。


「あの中なら……強いて言えばサキかな」


「はあ? サキって三崎の中のサキか?」


 信じられない、という顔で浜崎が訊き返してきた。


「ああ」


「おめぇどんな趣味してんだよ」


「うるせえな。色々あったんだよ」


 最初は危険過ぎる女だとしか思っていなかった。いや、今でも危険なことに変わりはないのだが、サキの境遇を聞いてから俺はサキのことを少し見直したのだ。なかなか見所のある女ではないか。


「どっかおかしいやつって、やっぱ女の趣味までおかしいんだな」


「何とでも言え」


「あ、ちなみに明宏は百瀬先生狙いだったぜ」


「マジか?」


「おう。ここに明宏もいたらもっと盛り上がったろうなぁ。あいつああ見えて年上キラーでよ。女子大生やら近所の人妻やら五人ぐらい食ってたんだぜ。よく問題にならなかったよ。まぁ、あいつはその辺の立ち回りも上手かったしなぁ」


 浜崎が懐かしむように笑った。

 だが、俺は言葉の意味が理解できなかった。


「喰ったとはどういうことだ?」


「あ? そのまんまの意味だよ。何だおめぇ、羨ましいのか?」


「真島はゾンビ化してすぐに倒したはずだ。なのに年上の女を殺して喰ったとはどういうことだ。生前のあいつはカニバリストだったのか?」


「はぁ!? おめぇ何言って……いや悪ぃ、世間知らずのお子様には早すぎた話だったな」


 そう言うと浜崎はまた笑った。

 よく分からないが、馬鹿にされているということだけは分かった。


「前にも言ったが明宏とはよ、幼稚園の頃から一緒だったんだ……」


 浜崎の唐突な昔語りモードが始まった。どう反応したものか。

 俺が少し困った顔をすると、それを察した浜崎に笑われた。


「ハハッ、下手な相槌なんていらねぇよ。ただの思い出話だから適当に聞き流してくれたらいい」


 それは正直助かる。だが、その後二時間近く一方的に思い出話とやらを聞かされたのにはさすがに閉口した。浜崎は感極まったのか途中から泣き出した。


 そして泣き疲れたのか、最後は自分のペットボトルを胸に抱えたまま眠ってしまった。保育園児かこいつは。


 このまま川中のように風邪で熱を出されても困るので、毛布だけ被せて俺は屋上を後にした。


 明日は死体の処理で使い倒してやる。覚悟しとけ。

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