第2話 金魚屋のオランダシシガシラが私を少し囓ったので水中花をもらったのさ
人の恋路を茶化してロバに殴られたことがあったという祖父がD県Y郡七篠町で暮らしていたのは、晩年の十数年だったか数十年だったからしい。その間この町外れにある洋館で雑貨屋を営んでいたそうだが。
「おみせやさん、やっぱり水中花おいてない?」
「うん、ごめんね。うちでは売ってたことがないみたい」
わりと雑貨屋で売れそうなものを仕入れない、という機会損失をちょくちょくしていたようだ。
「そっかぁ……」
カウンターの向こうで、白いワンピースを着たどう見てもアホロートルの幼生にしか見えない少女がうつむいた。
「おとりよせってできない、よね?」
ピンク色のエラも力なく垂れているし実に残念そうだ。できれば期待に答えたいところではある。ただし。
「うん、ごめんね。そういうのは金魚屋の管轄だから……」
「金魚屋さんかぁ……」
ほんのり笑っているようにも見える口から深いため息がこぼれた。そうなる気持ちは痛いほどよく分かる。
「あんまり行きたくないかんじだね?」
「うん。金魚さんは大好きなんだけど」
それは、食材的な意味でだろうか?
いや、今はそんなことを気にしている場合ではないか。
似たような商売をしているため変に対抗意識をもたれたり、最悪嫌がらせでもされたりしたら面倒だとこの街に来て早々挨拶をしにいったから、金魚屋と面識はある。それに、ときおり冷やかしだとか買い物だとかにやって来るからそれなりに付き合いも続いている。
一応、悪人というわけではないし、むしろ物腰柔らかで気づかいのできるやつなのだが。
「金魚屋さん、なんか怪しいおみせみたいで怖いし」
そう、身に纏う雰囲気がどこか怪しいというか胡散臭い。
「まあ、言わんとしてることは分かるよ」
心からの相槌を打ったものの、アイツもうちの店にだけは言われたくないだろう。
それでも、うちは子供に怖がられることはないくらいには健全な店だし、むしろ数少ない客の六割くらいは子供だし。
だからこそ、だ。
「お母さんも、子供たちだけで行っちゃいけませんって言ってたし」
「そんなお嬢さんにとっておきのいいお知らせ。なんと、今日はもうお客さん来ないだろうし、今からお店を閉めて商店街のほうに遊びに行っちゃおうとしている大人がここに居ます」
一番の顧客層は大事にしておこうと思う。
「本当!?」
黒い円らな目を輝かせ、ピンクのエラをピンとはりながらアホロートルの少女は跳びはねた。
「うん。だから一緒に行こうか」
「ありがとう、おみせやさん!」
「いえいえ、じゃあ締め作業だけしちゃうからちょっと待ってて」
「うん!」
そんなわけで、本日は早々に店じまいして街へ繰り出すこととなった。
商店街へは洋館のある町外れの小高い丘から徒歩で数分程度だ。昔ながらの建物が並び、歩道の脇にはやたら水の綺麗な用水路が流れている。コンビニやら大手スーパーマーケットやらもあるが、どの店も周囲の雰囲気を壊さないような外観をしているため当てもなく歩いているだけでも結構楽しい。目的地は商店街の中程にある味噌屋と漬物屋に挟まれた路地にある。どんなに晴れた日でもなぜか薄暗く、子供だけで向かうなと親御さんが言うのも分かる気がする。
「もうすぐ金魚屋さんかぁ……」
路地から立ちこめる冷たく湿った空気を前に、ピンク色のエラがまた萎れた。
「どうする? あれなら、私が行ってきて適当に見繕ってくるけど」
「ううん。お母さんのお誕生日プレゼントだから、ちゃんと見て選びたい」
「そっか、じゃあやっぱり一緒に行こうか」
「うん」
意を決して一歩を踏み出した少女の後に続いて細い路を進む。金魚屋へは一分もしないうちにたどり着いた。
一年中深緑の葉を点けた庭木に囲まれた店には、軒先にまで水槽や鉢やら甕やらやらが並び、その中に色とりどりの金魚たちが泳いでいる。もちろん、薄暗い店内も同じようなありさまだ。見たところ店主の姿はない。
「おーい、金魚屋ー、居るー?」
声を掛けても返事はなく、水槽のポンプが立てるコポコポという音だけが響いている。
「金魚屋さん、お留守かな?」
「なんか、そうみたいだね」
多分、店は開けっぱなしだからすぐに戻ってくるだろう。
「じゃあ、少しなかで待たせてもら……」
「おや、おみせやさんじゃないですか」
「……わぁ!?」
息のかかるほど近くから声をかけられ、思わず跳び上がってしまった。比喩表現などではなく、本当に五㎝くらい。
振り返った先には、金魚屋がコンビニの買い物袋から緑茶のボトルを覗かせて立っていた。
黒い鼻緒の下駄に真白い足袋、紺色の着流しには金泥色の帯を締めている。
一見すると小粋な和装の男性にも見えるが。
「貴女のほうからうちに来てくださるなんて、思わず満面気色になってしまいますね」
「ああ、それはどうも。ただ、その面白楽しいお面のおかげで一切わからないけど」
なぜかいつも風呂に浮かべるブリキの金魚みたいなお面を被っているため、表情はおろか素顔さえ分からない。
多分というより絶対に、子供に怖がられる一番の原因はこれだと思う。保護者層の客は、声とスタイルはイケメンっぽい、と評していたこともあったが、どう見ても怪しさのほうが勝っている。
「ふふふ、手厳しいですね。それで、本日はどのようなご用件で?」
「ああ、今日は私じゃなくてこの子が水中花を探してて」
事情を話すと、アホロートルの少女は私の後ろに隠れながら顔だけ出して軽く会釈した。
「おやおや、水中花ですか」
「そう。うちじゃ取り扱ってないから、そっちに在庫があればと思ったんだけど」
「そうですねぇ」
金魚屋は口元らしき部分に指をあてながら軽く空を見上げた。芝居がかった行動もいちいち胡散臭い。
「在庫は各種一つずつだけある、にはあるんですが」
「本当?」
「ええ。でも、フリマアプリのほうからも一式ほしいとのご用命があったので、どちらのほうを優先させたものかと」
「なんか、えらいハイカラなことしてるな」
こんな前時代的な見た目の奴の口から、フリマアプリなんて単語が出てくるとは思わなかった。
「ふふふ、やってみるとなかなか面白いものですよ。まあ、ただ他でもなくおみせやさんのご紹介ですからね。そちらのお嬢さんのご用命を優先させていただきましょうか」
「ああ、それは助かるよ」
「ただし、一つ条件があります」
「条件?」
「ええ、とても簡単なことですよ」
なぜだか、風呂に浮かべるブリキの金魚を貫通して裏のある笑みが見えてくる。
まさか、命やら魂やらを要求するつもりだろうか?
「今度の休日に僕とデートをしていただくか、うちで飼っている金魚に頭を甘噛みされていただくかなのですが、どちらがよろしいでしょうか?」
命に別状はなさそうではあるが、わりとろくでもない条件だ。
「……じゃあ、後者のほうで」
「ええー、つれないですね」
「だって、デートなんて行ったら、幸福になれる水瓶だとか、絹地に描いたとても珍しい絵だとか、ものすごくよく落ちる洗剤だとかをローンで買わされることになりそうだし」
「いやだなあ、そんな物は買わせませんよ」
そんなもの「は」ということは、別の物を買わせる気なのだろうか?
ともかく、狭い街で恐らく似た年頃だろう相手と出かけなんてしたら、噂に尾鰭がついて面倒なことになるだろう。できれば、そんなことは避けたい。
「……」
不意にアホロートルの少女がシャツの裾を引いた。
これ以上、親御さんの誕生日プレゼントを選びに来た殊勝な娘さんを待たせるわけにはいかないか。
「ということで、金魚に甘噛みされてやるから、その子に商品の見せてあげて」
「ええ、そうですね。では、お嬢さんも店の中へどうぞ」
「うん……」
そんなこんなで、店のへ入り少女は水中花の在庫が一つずつならんだ棚へ、私は店の奥にある私室へと案内された。
きっと甘噛みされるといっても、ドクターフィッシュ的なかんじだろうと思い条件を飲んだ、わけなのだが。
「いやあ、助かりますよ。この子、最近飼い始めた子で人にじゃれるのが大好きなんですよ。でも、僕にじゃれるのは飽きてきてしまったみたいで」
「飽きられるまで、これとじゃれ合ってたのか……」
無数の水槽が並ぶ部屋のなかでも一際巨大な水槽には、成人男性の上半身くらいの体長があるオランダシシガシラが泳いでいた。
「ええ、とても人懐っこくて可愛らしいですからね」
「そういう問題じゃなくて、頭を甘噛みされても平気、なのか?」
「少なくとも、僕は、怪我したことはないですよ」
「じゃあ、私はどうなるのさ?」
「それは、この子の機嫌次第ですね」
仄暗い水槽の中でオランダシシガシラが身を翻し、金色の目をこちらに向けた。時折開閉する口の中には、鋭くはないが硬そうな突起物が並んでいる。たしかオランダシシガシラ……というか、金魚全般の口には歯がなかったはずだが。
コイツは本当に金魚なのだろうか?
「どうします? 今からでもデートのほうにしていただいてもかまいませんよ」
「いや、いいから」
ここで怖じ気づいたら、また変な条件を増やされるかもしれない。獅子舞に噛まれると縁起がいいらしいし、オランダシシガシラでも同じような効果はあるだろう。多分。
意を決して用意されたハシゴを登り、目を瞑って水槽に顔を突っ込む。ポンプが音をたてるなか、水をかき分けて何かが近づいてくるのを感じる。衝撃に身構えると同時に頭から目のした辺が異物感と圧迫感に見舞われた。痛くはないが、なんだか生臭い。
早く終わって欲しいと思っているうちに、圧迫感と生臭さは遠ざかっていった。
「はい、もう大丈夫ですよ」
肩が軽く叩かれるのを合図に顔を引き上げ目をあける。水面ではオランダシシガシラが顔を出し、歯のついた口を開閉していた。
やっぱり、金魚の口じゃないだろ、これ。
「ありがとうございました。ふふ、なんだかどこぞの天才無免許外科医みたいな見た目になって、素敵ですね」
「それはどうも」
小言の一つでも返してやりたいところだが、色々なことがありすぎてそんな気力もない。
「おみせやさーん、金魚屋さーん、これにするー」
店のほうからアホロートルの少女の声が響いた。
ひとまず、金魚屋がどこぞの天才無免許外科医にならって法外な値段をしないように見張ってから、銭湯に寄って帰ることにしよう。
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