第7話 突然の訪問
土曜日の朝は、いつもよりも少しだけ遅く起きて朝食を食べる。朝もちゃんと野菜を食べようと思ってはいるのだが、どうしても簡単にトーストとインスタントのスープで済ませてしまう。
料理は嫌いではないのだが、自分だけの為に作る気になれない。朝食を食べた後は、掃除と洗濯だ。
洗濯はできるだけ溜めないように心掛けているが、残業で遅くなってしまう日が多いとどうしても週末にまとめて洗うことになってしまう。
今週も、溜まった洗濯物を一気に洗ってベランダに干す。残暑で今日も暑いから、出掛ける前に乾くはず。
今日は、この前連絡した流れで七菜香と蘭の三人で夕飯を食べに行くことになっている。17時にみなとみらい駅に集合だ。
弘明寺駅からは大体三十分くらい。乗換が一回あるが、アクセスは良い。三人で会う時は、いつも横浜近辺になる。
午前中の家事が終わると、夕方まで何をしようかと悩む。時計を見ると十一時になるところだった。
――――ピーンポーン
玄関のチャイムが鳴った。私のマンションは、特に入口にセキュリティーがある訳ではないので来客は玄関前まで来ることができる。
特に何か頼んだ覚えはないけれど、宅急便屋さんかな? とインターホンのカメラを見た。すると、見覚えのある男の子がカメラに向かって笑顔を向けていた。
え? 幸知くん?
私は、驚きながらインターホンのカメラのスイッチを押して声を出した。
「はい」
「一ヵ月ほど前にお世話になった政本幸知です」
「ちょっと待ってね。今開ける」
まさか、家に来るなんて全く考えていなかったので驚く。何となく、お金を返しに来るなら会社の近くで待っていたりするのではと考えていた。わざわざ、家に来るなんて想定外だ。
玄関のドアを開けて「どうしたの?」と訊ねてしまう。
「この前、借りたお金とお礼を持って来ました」
幸知が、買って持って来たのか手に提げていた紙袋を私に見せる。わざわざ来てもらったのに、玄関先で受け取って帰すのも忍びなくて私は部屋に上がってもらった。
「わざわざありがとう。折角だから上がって」
私がそう言うと、幸知はパッと顔を輝かせて嬉しそうに「おじゃまします」と言った。幸知をリビングに通すと、改めて私にお礼をしてくれた。
「これ、この前借りた電車代と夕飯や朝ご飯に使ったお金です。あと、これはお礼に買ってきた焼き菓子です。先日は本当にお世話になりました」
幸知は、紙袋に入れていた封筒を出して焼き菓子が入っている箱と一緒に私に渡してくれた。
「ありがとう。じゃー遠慮なくいただくね」
私は、幸知から封筒と手土産を受け取る。
「お茶淹れるから座って」
幸知は、この前来た時に寝ていたソファーにちょこんと腰かける。
「コーヒーか紅茶どっちがいい?」
「コーヒーでお願いします」
私は、やかんに水を入れてお湯を沸かす。沸かしている間に、コーヒードリッパーを二人分出してマグカップに装着した。
幸知が持ってきてくれた焼き菓子も折角だから一緒に食べようと、箱の包み紙を丁寧に開ける。箱を開くと、色んな種類の焼き菓子がたくさん入っていた。
中の豪華さに結構なお値段なのでは? と心配になる。かえって気を遣わせてしまったようだ。
私は、食器棚の奥から来客時にしか使わない菓子器を出して焼き菓子を並べる。やかんからふつふつと音がし出したので、火を止めてドリップに注いだ。
すると、コーヒーの良い匂いがリビングに広がる。幸知を見ると、大人しくソファーに座っているままだった。
トレイに乗せて、コーヒーと焼き菓子を運んだ。
「幸知くんは、ミルクと砂糖入れる?」
「いえ、このままで大丈夫です」
私は、テーブルの上にコーヒーと焼き菓子を置く。
「焼き菓子ありがとう。沢山入ってたから一緒に食べよう」
私は、ソファーには座らずにカーペットの上に腰を下ろす。マグカップに手を伸ばして一口口にした。幸知も「いただきます」と言ってコーヒーを飲んだ。
「あの後、大丈夫だった? 一晩帰らなくて心配されたでしょ?」
私は、ずっと気になっていたことを訊ねる。段々忘れかけていたといえ、やはりそれなりに気にはなっていた。
「……そうですね……。母親が寝られなかったらしくて、帰ったらホッとしていました」
幸知は、気まずげにそう教えてくれた。見るからに真面目そうな青年だ。今日は、この前と違って服装もきちんとした格好をしている。今まで、無断外泊なんてしたことなかったのかも。
「そっか、怒られなかったのなら良かったね」
「はい。父親の方は冷戦状態なんですが……。俺、あの後自分なりにも色々考えて、両方頑張ることにしました」
「両方って?」
私は、幸知が言う意味がいまいちつかめない。
「夢を追うことも諦めないし、就職活動もちゃんとするってことです」
「へー、この前は就職なんてしたくないって感じだったけど、どういう心境の変化?」
「咲さんが言ってくれたから、何をしても良いって。だから、どっちか一方を選択するなんて勿体ないかもって思い始めて。俺、今まで親の言うこと聞いて一生懸命勉強してきて、それを全部無しにする必要ないなって。就職は就職で、夢は夢でそれぞれ別個のものとして実現させたいって」
幸知の瞳から、意思の力強さを感じる。きっとこう考えるまでに、一杯考えたのだろう。だからこの考え方が良いとか悪いとかじゃなくて、やってみたら良いって純粋に思えた。
「うん。良いと思う。やれるところまで頑張ったらいいよ。後で、何であの時にって後悔は絶対にないと思う。私も応援するよ」
私は、目を輝かせて語る幸知が年の離れた弟のようで可愛さを感じる。キラキラしていて微笑ましい。
私には、こんなにキラキラした瞬間ってきっとなかった。だからかな、できるだけ応援したいって思う。
「ありがとうございます。咲さんに応援して貰えたら、俺きっと頑張れます! だから、連絡先交換して下さい」
そう言って、幸知は自分の鞄からスマホを取り出した。え? と私は驚く。幸知の顔は、さっきまでの淡々とした感じから一転緊張した面持ちをしている。
こんな風に真っ直ぐに聞かれて、断れる人がいるだろか? 私には、到底無理だ。
「しょうがないか……」
私は、ダイニングテーブルの上に置いていたスマホを取ってくると幸知と連絡先を交換した。この時はまだ、この後に様々なことが起こるなんて思いもよらず……。
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