第38話 回想2008年 17R
そして、午前零時遅番終業点呼、お疲れ様でしたの唱和で締め、残業ナシのバイトの若者たちが事務所内タイムレコーダー前に列をなして、ICカード打刻を続々実施し始める頃に、責任者卓上の電話が鳴り、高速で山田が受話器をとると篠崎からだった。大磯、なかなかの「戦果」あったとのこと。シメシメとにやける山田。
篠崎からの携帯メールで箇条書きで概要を知った内容を、翌々日夜、初会合と同じ小田原のチェーン居酒屋で口頭報告を受ける。
結論から言うと、渡邊、阪東、梶山、3名大磯に集結。奥田の姿はナシ。
ただ、川島がさりげなく近くに寄ったり寄らなかったりしつつ、隠し持ったボイスレコーダーでところどころ録音した会話のなかに、場に不在の者の話題がニックネームで周期的に始まったり終わったり、という状況で、「んだよ、あいつ、来ねえのかな」といった塩梅で3人に怒りの色があらわれていて、もしかしたらそれは奥田のことかもしれない、と。
途切れ途切れで聞こえてくるニックネーム、「ダーシー」と言ってるのはほぼ間違いなく、これは田代まさしの「マーシー」とほぼ同じイントネーションであって、さらに言えば、奥田のフルネームは奥田祥吾だとの川島情報を加味して推察するに「田祥」のところの頭の発音を連ねれば確かに「ダーシー」になるし、と。
なんにせよ、「疑惑」の3名のグループの結束の高さというのが、わざわざ日を合わせてイベントに三々五々集合していることからも見て取れるし、引き続き網を張り続けていれば、いつか尻尾を出すに違いない、という前向きな感触は得られた。
不在のキーマンの愛称「ダーシー」ってのがとにかくなかなかな大ネタではないか。
なので、山田軍3名の間ではこれ以降、奥田の呼び名は「ダーシー」に移り変わったので、ここでの表記もそれにならう。
さて、川島の「レイヴ」全般に関する潜入ルポ部分であるが、
かなりの盛況で100名、3桁以上はまちがいなくいた、とのこと。
会場の「元別荘」が本館、別館3棟、そして広大な庭、と、「場」が豊富で、
その全てにおいて各々別々「イベント」が開催されており、「レイヴ」は本館の大広間で、防音を完璧に施し、会場に適したPAシステムで、初心者の者には何とも耳に心地よく響く魔術のような音の玉手箱状態であった、と川島は言う。
DJが繰り出す矢継ぎ早にどんどん入れ替わる曲の数々、ジャンル横断的で、そのあたりは特に音楽マニアでない川島にはなんのことやらわからなかった。がとにかくいろいろな雰囲気のものがめまぐるしく変わる感じだった、とのこと。
山田も篠崎もそのあたり不調法だし、あまり関心はなく、スルーしたようだが、元役者で自作自演音楽ライブもやる自分が類推するに、アシッドとかハウスとかテクノとかその手のものだったのであろう。
参加者各自マイペースで、バラバラだがほとんど皆カジュアルな恰好で、統一感なく踊っていた、と。広大な庭に、屋台が多種多様に出ていて、飲食はそこで各自好きな時に適宜に、行う。和洋、エスニックなんでも選び放題、酒もチャンポンし放題。
別館3棟では、3種の「ゲリラライブ」をやっていて、川島は主にそこでの「お笑い」ライブをみていた。見た事も聞いたこともない無名の「地下芸人」が放送コードや著作権法に絶対にひっかかるようなネタをガンガンやってたそうで、ゆるキャラがエロになっちゃってるやつとかめちゃくちゃ笑った、とのこと。山田と篠崎は「っておい、それで笑うとはおぬしも相当のワルよのう」と突っ込まざるを得ないような内容である。
あと2種のゲリラライブは、変な劇、と、変な音楽、だったようで、山田、篠崎、川島にはとんと興味なさそうな話のようだが、自分はちょっとそれ見たいなあ、と思ったりもした。
渡邊阪東梶山3人組は、アルコールも入って、適当に酔っぱらってきたところで、バラけて各々のペースで過ごし、阪東は時々思い出したかのように川島にからんではきたが、口だけ番長な面もあるのか、川島の手慣れたソフトムード拒絶のあれやこれやにその都度退散し、特に危険な目にもあわず、明け方までノンストップというところを23時台半ばで「じゃ、帰ります」と告げても、特にしつこく追い回されることもなかった。終電には十分間に合ったが、付近に待機していた篠崎の車で鴨宮に帰還した。
総じて、成果だらけの一夜だったと評価してよかろう。
そこで得たその他さまざまな情報をもとに、ひきつづき「設定漏洩」疑惑捜査を続けているうちに、「3人組」各自についての分析も深まっていった。
渡邊は中途で他社店長経験アリのベテラン業界人、キャリア通算15年目、と先に記したが、計算上社会人初年度が1993年ということになり、これは就職氷河期の始まりの頃であり、阪東、梶山は秀光2000年入社の生え抜きの同期で、2003年の氷河期ピークやや手前。ピーク手前とはいってもバブル期の売り手市場に比べれば雲泥の差であっただろう。
鴨宮に異動になる前、この3人は別々の店にいたのだが、阪東と梶山は「同期」繋がりで、元々がほとんどツーカーの仲なところへ、異動日示し合わせて国道1号をそれぞれの車で下っていた若年二人、と、偶然にも同じく西湘バイパス使わず「下道」利用してた渡邊が偶然にも「食事休憩」中の回転寿司店で出くわし、最初型どおりの挨拶を儀式ぶった感じで交わしたのであるが、何しろ全員「コミュニケーション強者」なのでたちまち打ち解けて、即座に「グループ」形成に至ったようだ。
鴨宮店、気づくとほぼ皆「副店長渡邊派」にっていう流れは、就業時間外の「人づきあい」の面も、山田が放置していた分をそっくりそのまま渡邊が掬っていったからにほかならず、「飲み」の席も大概、渡邊がザっと払いを済ませる流れで、飲食代
浮かせたい学生バイトには「神」のように崇められるのもそりゃ当然な話。
で、そういう若年層のハートを掴むにあたって、石部金吉的なお堅い説教の繰り返しがあるはずもなく、「レイヴ」に足を運ぶくらいな「先端」感覚も持っているわけで、酔った席上での渡邊の話をよくよく聞いていると実はそこそこダークサイド深いんじゃないの?と思わせる側面があり、そこにまたしびれるあこがれる、ということに。
そのコミュニケーション強者渡邊の巧みな話術でもって、バブル世代の年長者であるところの店長山田、宴席にはほとんど姿をみせないノリのわるい石頭な店長山田、は、なんとなくの、「悪役」に仕立て上げられ始める。
つまるところ、そういう場に集まる者たちも皆、先述の「4号機ユーザー」と同世代であり、というか実際に私的に他店にいけば「4号機ヘビーユーザー」そのものなのであり、2ちゃんの山田批判投稿に同調しがちな者たちなのであり、ガセ札使用も厭わない山田のスロット運用法はゴミ虫以下のセンスなのであり、と、当初はなんとなくの「悪役」だったものが、徐々に、しかし確実に山田=極悪の方向に世論形成されていったのが当時の鴨宮の全体状況であった。
傍目からは、現状のポジション「副店長」であるところを、一歩でも上に進むには手近な山田を追い落とすのが早い、と計算高く渡邊が行動した、というような構図が読み取れるわけだが、氷河期大体真ん中世代の阪東、梶山らにとっては山田批判の論調そのいちいちすべてが心底しみる話だったのだろう。
ぬくぬくと甘い汁を吸って育ってきた上の世代には鉄槌を下さねばならぬ!我々は企業社会そのもの、どころか国家そのもの、から虐げられ、大学卒の肩書ありながら心ならずもやくざな水商売に従事せざるを得なかった。であるなら手段えらばず稼げるだけ稼いで彼奴等とは死なば諸共の精神で接したところで文句言われる筋合いはない!といったような過激思想が根底にあってもおかしくはない、というか、実際泥酔状態になるとそのようなことまで漏らしていたようである。非飲酒派の篠崎が宴席参加者から聞き出したところによれば。
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