白豹王女は番ではない相手を持ち帰ります
黒須 夜雨子
第1話 アルエット
「アルエット王女殿下、申し訳ないが人間の私には、番などといった獣の本能に基づく感覚で相手を選ぶことはない」
細々としか感じられない焦燥の中で、探し続けた運命の番。
アルエットの運命であるはずのエリアス・ヴァレット伯爵令息は、目の前で大仰な溜息をついて見せる。
「私は人間としての理性と貴族としての政略をもって、この美しきリリュ子爵令嬢を選ばせてもらう」
アルエットの番であるはずの彼は、見知らぬ人間の少女が横に立つことを許していた。
可憐な少女の細腰に手を回し、あたかも恋人であるかのように振る舞っている。
いや、実際に恋人同士なのかもしれない。二人が見つめ合う姿は、アルエットの立ち入る隙がないのだと示すかのようだ。
アルエットの白豹の耳が無意識に伏せられる。
「それが、ヴァレット伯爵令息の答えであるならば」
声は震えなかった。俯くこともしない。
「アルエット王女殿下はエリアス様に愛を請われても、愛の為に縋ることもなさらないのですね。
本当にエリアス様は番なのですか?
もしかしたら番を騙って、人間の相手を求められただけではないのでしょうか」
リリュ子爵令嬢と呼ばれた令嬢が、不敬と取られても致し方のないことを言う。
あまりにも高位の相手ゆえに敬うという感覚が失せたのか、それとも下位貴族の令嬢だからの天真爛漫ゆえか。もしかしたら自身を愛の勝者だと思っているのかもしれないけれど。
周囲に控えた侍女と護衛達が顔色を変えるのに気がついて、手を上げて制す。
運命を追い求めたアルエットに、何も後ろめたいことはないのだと真っ直ぐに立つ。
番という愛の象徴である彼に拒否されたのだとしても、泣いて縋るなんてことは一国の王女の矜持が許さない。
「そのご令嬢の言葉は聞かなかったことにしておきましょう。
正しく本能の指し示す先にある愛を求めるのが番ですが、だからといって相手に無理を強いるものではありません。
同時に愛を請う側が卑屈になる必要もないのです。
この先、私がヴァレット伯爵令息に関わることはないと、創世の女神の名の下に宣言しましょう。
どうぞ幾久しくお幸せに」
こうしてアルエットの愛は木っ端微塵に砕けてしまった。
* * *
昨晩の悪夢から一夜明けようと、起きたことは目覚めと共に終わることなどない。
いまだ慣れぬ部屋で目覚めたアルエットは、昨日のことを思い出して大きく息を吐いた。
アルエット・ドゥ・ブランシュフォールは元は獣人ばかりだった国の、王家の一席として生まれた娘だ。
アルエットの父である現在の王は番が見つからなかったため、政略結婚を厭わずに他国から嫁いできた人間を正妃として迎えた。
それがアルエットの母であり、異なる種族の間で生まれたアルエットは獣人と人間の特徴を半分ずつに引き継いだ姿をしている。
人間に近い顔立ちに、獣人の特徴である獣の耳と尻尾、人間の女性よりも高い身長とフワフワとした毛は獣人の特徴部分だけに存在し、全身に体毛は生えていない。
ブランシュフォールでは獣人が一番多く人口を占めているものの、大陸の中央に存在するからか各国からの人の出入りも多く、今や種族の多様性でいえば他国と比べて群を抜く。
だからかアルエットの容姿が王家に相応しくないなどと口にする者もいない。
国民の誰もが多種族国家となったブランシュフォールらしい外見だと受け入れているのである。
だから、近年ようやく友好国となったロシュフォルクローで受けた差別的な発言には、それなりのショックを受けている。
それも番から言われたのならばなおさら。
人間が九割半を占めるこの国で亜人種と呼ぶ他種族を好まないのは聞いていたが、面と向かって言われたことは無かった言葉の数々。
一国の王女を侮辱したのだ。
この国の人々がどれだけ差別を当たり前だとしていても、ブランシュフォールへの贖罪として、彼らが幸せな結末を迎えるのは難しいだろう。
あの令嬢とアルエットを公平に愛せるならば二人一緒に連れて帰国しただろうし、それが無理だとしても礼節に則った断りをしたならば大きな問題にならなかったはずなのに。
アルエットが生まれた後に彼女の父の番は見つかったが、だからといって番を正妃に据えるということはせず側妃として迎え、アルエットの母を王宮の隅に追いやることはしなかった。
番は魂の求める最愛である。狂う程の想いに押されるままに探し、歓喜の心で迎える存在。
だからといって何をしても許されるわけではない。
昔であれば番を最優先にすることが当然とされていたが、とある事件から良識に則った行動を求められるようになったのだ。
番は最優先されるべきという考えが改められたのは百年前で、結婚した後に出会った番を日陰者にすることなく迎える為にと、長い婚約期間を経て迎え入れた妻を殺害した竜人の国の公爵の事件が発端だ。
しかも、番は故郷で犯罪を犯して逃げてきた罪人であるにも関わらず匿われ、殺された妻は慈愛に満ちた元聖女だった。
これには番の感覚の薄い人間達が最初に反発し、次に聖女が属していた神殿も公爵の罪を裁かないならば国家単位で破門にするという文書を突きつけた。
それによって番への愛が深いとされる竜人が主な国民すらも怒りだし、結果として公爵は斬首刑の上で家は取り潰し、求愛を受けた番は故郷に送り返されて縛り首になったという。
この事件によって、どの国も番優先の態度を改めることになった。
特に人間と異種族との感覚に大きな隔たりがあることから、竜人や獣人誰もが慎重になる。
アルエットのように断られてしまうこともありえるのだ。
強要して嫌われたくはない。
最愛が側にいないのは辛いことだが、一番大切なのは愛する番が幸せであることなのだから。
人間の血を半分引くアルエットの番に対する本能は、生粋の獣人ほど強くはない。
それでも追い立てるような感覚を道標に、国民の大半が人間で占められている隣国ロシュフォルクローに渡り、そうやって出会えたのがエリアス・ヴァレット伯爵令息だった。
挨拶を交わしたら何を言おうかと考えながら、はやる気持ちを抑えていた。
けれどアルエットの前に立った彼は取り繕った笑顔に侮蔑を隠さず、数回の交流すらも無視を決め込み、アルエットの愛を否定するかのように生涯の伴侶を連れてきたのだ。
明確な拒否だと理解はしたとしても本能ゆえの難しいところで、暫くは胸を渦巻く悲しみに堪えるしかない。
当分の間は番の存在を認識阻害できる魔術が施された装飾品を身に着けた方が早いだろう。
帰国を伝える手紙に、装飾品の入手を頼んでおこうとアルエットは決めた。
いつもより遅い朝食をノロノロと摂り、そうしてから帰国するべく父に手紙を書こうと考えていたところ、王太子から面会を求める使いがきたので急いで身支度を整える。王女であるとはいえ、客分であるアルエットに拒否権などない。
半刻も経たない間に寝室に繋がる応接間が整えられ、閉め切らないままにされた扉の中側で王太子と向かい合って座ることとなった。
正面に座る彼は異種族との交わりの無い、生粋の人間だ。
獅子の獣人にも似た黄金の髪と、夏空を連想させる鮮やかな青を切り抜いた瞳が美しい人間の王太子は、挨拶の言葉よりも前に頭を下げる。
「この度は我が国の者が番として選ばれたのだという自覚も持たず、アルエット王女に対してお茶会の席で大変な無礼を働いて、誠に申し訳ない。
改めて場を設け、王より謝罪させて頂くという話で進めておりますが、あの愚か者達をどうするかの処遇に追われているため、先ずは私がお詫びに参った次第です」
昨日の今日には謝罪の時間を作って訪れるとは、随分と誠実で、そして王太子としても有能なようだ。
恐らくは出席しなかった昨日のお茶会の内容も把握しているのだろう。
「王太子自らのお気遣い、ありがとうございます。
昨日の無礼、私も彼に勘違いをさせてしまった落ち度もあるでしょうから、厳しい罰を求めることはありませんわ」
アルエットが柔らかな微笑みを浮かべて王太子を見れば、彼は表情は変えぬままに言葉の続きを待つ。
「此度の訪問で、私は運命の番とは出会えなかったようですの」
アルエットの続けた言葉に少しだけ目を見開くも、すぐさま穏やかな笑みへと表情を変えた。
「そうでしたね。エリアス・ヴァレットは番かもしれないと、あくまで候補として交流しましたが、残念ながらアルエット王女の番ではなかったということでお茶会もあれが最後という予定でした。
一国の女王となられる予定のアルエット王女の王配は重責だったことからの、自分が番であるという思い込みによる先走った行動でしょう」
アルエットと王太子の間には塗り変えられ、それによって大事には至らない脚色の事実が残された。
こちらの意図を汲んで、即座に判断して返すだけの臨機応変さ。
彼が番であればどれだけ良かったことか。いや、国を背負う者同士だからこそ運命の相手でなくて良かったのだ。
「ええ、きっとそうでしょう。
本来ならば結ばれる二人の恋路を、一時的にも邪魔してしまったのですもの。
私は寛容に許すべきですわ」
エリアス・ヴァレット伯爵令息は番でなかったことになった。
ならば勘違いで二人を不安にさせたアルエットは、追い詰められた恋人同士である彼らを許すしかない。
この方法が国同士の軋轢を生まずに済む。
運のいいことに昨日のお茶会はアルエットが国から連れてきた侍女達と、ロシュフォルクローが信頼のおける者として選んだ侍女と近衛達しかいなかった。
既に箝口令も敷かれているに違いない。
エリアス・ヴァレット伯爵令息と家族にはこの件が持ち込まれた際に、口外しないよう誓約書に署名させられていた。
彼らが正しく貴族としての責任を果たす気持ちがあるならば、口が軽くなることもないはず。
この話はこれでおしまいだ。
後は少しばかり後の予定の相談でもして切り上げればいい。
アルエットはそう思っていたが、どうやらロシュフォルクローの王太子は違っていたらしい。
人払いを命じたことで、ロシュフォルクロー側の人々が下がれば、部屋の中には最低限の人しかいなくなった。
「これは独り言ですので気に無さらぬよう。
あの愚か者が貴族としての政略を口にするのならば、アルエット王女の手を取るべきだったのです。
その選択肢を取らないにしても、誠実かつ礼節を踏まえた態度を取るべきでした。
確かに人間は番の判別がつかないのですが、あのような言葉を使って貶めていい理由にはなりません」
思わず目をぱちくりとして王太子を見れば、彼は苦笑して見せた。
「アルエット王女が寛容であることに感謝致しますが、我が国としては国益に損害を与えかねない行動を起こしたことに対して、何らかの処罰は与えなければなりません。
建前上無かったことにはできても、アルエット王女が傷つけられた事実は王女の中からも、そして我々ロシュフォルクローの失態も消えるものではないのですから」
そっと息を吐き、何と返そうかと迷う。
「……確かに私は傷つきました。
我々獣人と人は異なるものだとしても、国家間の問題だと知っていればこそ、あのような態度を取るべきではないでしょう。
けれど、同時に人としての感覚の弱さも理解はできますし、恋人がいたのならば反発するのは当然のこと。
私の母は人間でしたため生粋の獣人とは姿も異なれば、番を求める感覚もさほど強くはありません。ですから番への認識を阻害できる道具を身に着けるだけで解決するのですから大事にしたくはありません」
未だ胸は痛むが、特別何かを強いる気持ちもない。
アルエットの中にある番という存在は大事なものでありながら、それでいて実に中途半端だ。
「感じるままに押しかけた身である私への配慮、感謝致します。
けれど、此度の件は想定できていたこと。獣人と人の血を引く私ですら、生粋の獣人の持つ番への執着を推し量ることができないように、人であったヴァレット伯爵令息も同じこと。
私はそこまでの処罰を望みません」
殊更明るく返して微笑みを浮かべるも、目の前の王太子が再び頭を下げる。
「昨夜、悲しみと絶望を抑え、凛とした佇まいでいらっしゃったアルエット王女の方がよほど理性的で、王族としての品格をお持ちでいらしたと聞いております。
恥をかかされたにも関わらず、友好の誓いが失われるような大事にならぬようにとの配慮までしてくださった。
だからこそアルエット王女、貴女にお願いしたいことがあるのです」
お願い、と言われて言葉なく相手を見る。
了承とも受け取れる迂闊な相槌を打つつもりはない。
「アルエット王女、ロシュフォルクローは貴女をお一人で返すことを良しとしておりません。
我々は友好国。相手国の王女に恥をかかせたままでは、双方に軋轢を生みかねないことをどうかご理解頂きたいのです」
「フロリアン王太子は、いえ、ロシュフォルクローはどうされたいのでしょうか?」
こちらへと王太子が声を上げると、後ろに控えた近衛から一人、明らかに制服の違う人物が一歩前へと進み出る。
年の頃は既に三十を数え終え、少しばかりといったところだろうか。
癖の無い黒髪は後ろに撫でつけられている。同じ黒と間違えそうな瞳は光を反射すれば微かに紫を帯びた紺なのだと気づかされる。
獣人や竜人といった種族は人間に比べて背が高いのだが、彼は並んでも遜色ないほどの上背があった。
王族の近衛でも別格の扱いを受けているらしい彼は、厳しい表情と隙のない立ち姿が上に立つ者としての貫録を見せている。
「こちらの方は?」
「ロベール・ヴァラン伯爵、私の叔父にあたります。
元は王族でしたが臣籍降下してからは騎士としての道を進まれて、現在は陛下直属の近衛長を務めております」
アルエットが再び視線を向けた先に立つ彼は、言われると確かに人の国の王と似ている気がした。
ただ、王とも王太子とも髪や瞳の色が違うことから、先代の王妃に似たのだろうかと小首を傾げるのに気づいたのだろう。
「近衛長は陛下と異母兄弟なのですよ」
道理でと納得する。
ただ姿についての納得はしたものの、王太子の申し出を受けることに納得したわけではない。
今回の事で改めて思い知った。人間は番という存在を認識するどころか、時として嫌悪するものなのだと。
けれど、それでも番に対して本来抱くはずの気持ちを知っている以上は、望まぬ限りは誰かの番に無理を強いることはしたくない。
「フロリアン王太子の配慮には感謝致します。
けれど昨日のこともありますし、ロベール様にもいつかは番となる相手か、もしくは番を超えて愛せる方が現れるかもしれません。
私の体面を気にしてくださったのでしょうけど、国に戻れば同じように番から選ばれることのなかった方もおります。
どうぞ、ロベール様は素敵な方との出会いをお待ちになって」
この国に王子はフロリアンだけ。アルエットに相応しい相手をとロベールが選ばれたのだろう。
だからと言って、そのまま受けられる話ではない。
けれど、ロベールの口から思いもかけない言葉が返ってきた。
「私の番は既に亡くなっております」
思わず目を開いてロベールを凝視する。
「それは、」
「幸運にも幼少期に出会いを果たしましたが、残念なことに彼女は事故で亡くなりました」
目を細めてアルエットを見る。
そこに滲む感情を読み取ろうと、アルエットは目を凝らした。
「私も僅かながらですが竜人の血を引く身。
どのような形であれ番を喪う悲しみは、幼い頃に感じた記憶ながらも理解しております」
ゆっくりとアルエットへと歩み寄ったロベールが膝をついた。
「失う理由は違えども、番への愛に振り回されることなく凛と立つ王女殿下に変わらぬ敬愛と誠実を捧げられたらと存じます。
どうか両国の友好の架け橋となれるよう、私をお選び頂けないでしょうか」
番を喪ったのならば、条件的にも立場的にも最良の相手である。
ブランシュフォールで待つ家族たちからも異論は出ないだろう。
ならば一国の王女として彼を選ばないという選択肢は存在しない。
「ロベール様のお気持ちに感謝致します。
私の一存では決められないため、すぐにお話をお受けするという約束はできないのですが、私の父に検討するように手紙を送らせて頂きたいと思います」
アルエットが手を差し出せばロベールが恭しく触れ、手の甲に唇を落した。
ロシュフォルクローとしては貴族としての意識などないエリアス・ヴァレットによる失態を、余程何とかしたかったのだろう。
矢のような速さで使者を乗せた馬が駆け、アルエットの生国であるブランシュフォールへ事の詳細と非公式な謝罪の書が届けられた。
謝罪を受け入れる旨と新たな縁談を認める親書も早々に届けられ、人間の国の王と宰相からは安堵の笑みと共に感謝を示され、瞬く間に二人の婚約は整えられた。
婚約式や結婚式はブランシュフォールで行われることから、こちらでは夜会での発表のみとなる。
アルエットとロベールが互いの色を纏うための礼装が新調され、二人の瞳の色をした石を使って装飾品が用意される。
その間に辻褄合わせの相談も進められていく。アルエットの番であるロベール・ヴァラン伯爵が近衛としての職務によって夜会に早々参加できないことから会うまでに時間がかかり、先日ようやく城内で邂逅したのだというのが大筋だ。
二人の婚約を発表する場には多くの貴族が招待されたが、その中にエリアス・ヴァレット伯爵令息とその家族の姿が無かったことには親しい者達くらいしか気づかず、ブランシュフォールからの手紙と共に届けられた認識阻害の装飾具によって、アルエットはかつての番を探すこともしなかった。
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