第2話 最果ての宿屋の母子

“果樹園の代表的な害


一:害虫

フェルナの木のグナンドシダックのクァダゥヤが有名。手軽な退治法としては植物に微量の魔力を流して……”


”ニ:冷霧

冬になると発生し、木々の芽を凍らせて枯らす。対処法としては木々の間にサヌサ布を張り 魔力を流して……”



 宿屋の食堂のメニューをもてあそびながら、俺はさっきまで取り組んでいた文章に頭を悩ませていた。


 エルフを自称していた連中の帝国は、時が 下がるに従い魔術に傾倒していった。それゆえ農業などの実用書ですらこの有様だ。

 帝国の魔術文化は廃れた。残っていても多分教会は認めない。

 それでも魔術抜きでも使える知恵はあるはずだ。


 俺は手にしていたメニューをちらりと見る。

 帝国時代だったらきっとここに載っていたのは果実食の献立だったはずなのだ。



”帝国首都での夕食は名物の果実料理。

帝国成立当初の時代には『破滅の獣』を退治した狩人もいたように普通に肉食もしていたようだが、『極北の石碑』の知恵で必要分を栽培した樹木から収穫できるようになってからは時代遅れと忌避されている”


帝国首都旅行記より



 とは言っても、後になれば魔術で改変された果実も存在していた事はさまざまな文献から見てとれる。

 ……中にはぞっとしないものもかなりある。食欲が失せるほど。



“果実食に滋養不足を心配していませんか?

ルンナカ果実園では肉食に匹敵する滋養豊富な完全果実を開発!ムキムキボディーをあなたのものに!”


”果実食が主流となる昨今、未だ肉食に未練が残るあなたに朗報!

当果樹園では各種肉の味わいを再現することに成功!肉汁も再現!”



「ちょっとお兄さん!夕食頼むの?頼まないの?どっちなの!?」


 もてあそんでいたメニューをひったくったのは宿屋の娘さんだ。

 お手伝いをし始めたばかりの年齢のようだが、客あしらいはかなり一人前らしい。


「そんな『カウラウにもティナオラにもならない』態度でいられたらこっちも困るんだけど!」

「……ずいぶん難しい言い回しを知ってるんだね」


 驚いて相手を見直すと、娘さんは胸を張って言った。


「そりゃ、こんな辺境の宿屋に来るのなんて 学徒の先生位しかいないもの」



“「カウラウにもティナウラにもなれぬ」


どっちつかずということ。

カウラウはカウルの根を染料として用いた際に出る青い色。

ティナオラはティナム鉱石をすりつぶして造った赤い染料。

共に庶民にも愛された一般的な色である”



「そういう人たちは考えすぎで食欲もなくなる時もあるのは知ってるけど、頭を使うからこそちゃんと食べなきゃダメでしょ?」

「……何かおすすめとかある?」

「大体何でもできるよ」


 娘さんは茶目っ気たっぷりに言った。


「『トゥアルリリディージャのホッツェンカルノ』とか『ファンダメイアのお酒』とかでなければ」



“「トゥアルリリディージャのホッツェンカルノ」


帝国初期からの伝統食。トゥアルの樹のリリディージャをホッツェンにカルノしたもの。

末期頃には儀式時以外には全く食べられなくなっており、「神民化運動」後には全く食べられなくなっていた”


“「ファンダメイアの木で酒を作る」


ファンダメイアは帝国に自生する樹。

そのウロに果物の果肉や果汁を入れることで酒を作るやり方が昔から伝わっていたが、そのやり方は樹を著しく弱め、時に枯らしてしまうため「ささやかなもののために大切なものを失う」例えとなった”



「レーナー! お客さんと遊んでないで仕事してー!」


 厨房の方から飛んでくる宿屋の女将さんの声に娘さんは首をすくめた。


「……もう。遊んでなぁいー!  注文取ってるのー!」

「……大変だね」


 俺は少し同情してそうレナに話しかけた。


「うちの母さん、かなり口うるさいけどね。『春にランクスの芽生えぬ日まで』ここで宿やるって頑張ってる人だから」


そう言って少しレナは笑った。


“「春にランクスの芽生えぬ日まで」


古い帝国の言い回し。

ランクスは生命力の強い樹で、春になると地下の根から必ず新芽が生えてくる。そのランクスが新芽を出さなくなるほど老樹となるまで。

転じて「永遠に」の意味合いがついた。主に愛の告白に使われる”



「食欲のない人にはうちの大麦のお粥がお勧めだよ。すぐにでも持って来れるけど?」

「ああ……頼む」


 最果ての地。図書室で働く者たちの寝床と食事を一手にまかなう宿屋。そこで頑張る母子二人。


 俺はそっと呟いた。


「……『ウワイコーレス』」



”「ウワイコーレス」


翻訳不能。

森などの自然物に触れたとき、そこに宿る精霊と触れ合ったかのような感動が語源。

のちに新しい発見がなされた時の感嘆詞や、若い世代のいいものを表わす形容詞にまでなった。


例文「彼ほどウワイコーレスな人見たことないしー」”


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