第11話 元怪盗紳士捜査班所属の引退刑事

 おい、茶を入れてくれ。


 ……うん、女房だ。帰ってきたんだ。


 息子の所に行っていたんだがな。あちらも子供の方がマシになってきたからとか言ってたが。

 まあ、よくまあ好き好んでこんな俺のところに戻ってきたとは思うがな。


 しかし「怪盗紳士」とは。ゴルツェの真似でもするつもりか。


 ……なるほど、そちらの小説家の先生の手伝いか。

 俺はまたゴルツェみたいに「真実を暴いてやる」とか言い出すのかと思ったぞ。


 ……で、何が聞きたいんだ。



 そうだ。俺は「怪盗紳士捜査班」が編成された時からその一員だった。


 時期で言うと産業相の盗難事件の頃だな。第一報から捜査網が敷かれ、町の隅々まで警官が埋め尽くした。

 俺はそのうちの一班を率いて貧民街の方に出向いた。


 自分から志願した。今までの犯行から考えるにやつが基盤をそちらの方に置いてるのは予想できたからな。


 いや、革命前の犯行については俺も資料でしか知らない。まだ今の警察組織が立ち上がる前の話だ。

 法の下、身分に関係なく正義を執行する組織として立ち上がった新警察に夢膨らませて入った頃には、もうやつは犯行をやめていた。


 それでも捜査班の一員ともなればかつての資料ぐらい読み込むもんだ。……仕事とはそういうものじゃないのか?


 あの区域が迷路のようであるのはよく知られていた。地図があてにならないとまで言われていたその理由を自分の身で思い知ったがな。


 怪しい奴が角を曲がる。


 追いかける。


 行き止まりの路地に姿はない。


 他の通りに移動しようとする。


 その路地から人が現れる。もちろん、扉も窓もそこにはなかったのに、だ。


 だが本当に問題だったのはそれではない。


「怪盗紳士」だ。「月影」と呼んだ宣伝相はやつの本質をわかっていない。


 やつは……いや、人だ。法をおかしたただの人だ。


 一見、奴は初老の紳士に見えた。


 そこへ若い連中が挑んでいった。


 煙幕の中とはいえうちの若いのが手もなく地面に転がされた。


 それどころか、あの高い屋根の上に一瞬で飛び上がる人間離れした体力を持っていた。


 間違いじゃない。俺はこの目で見た。あの笑い声は……今でも耳につく。



 それから町の隅々にまで捜査の手を広げた。


 あの姿、いかにも紳士めいた服装はやつの計算だと思い知らされた。

 あのシルクハットにマントに杖。そう、やつといえば誰でも思い浮かべる、あれ 。


 だがその顔については、せいぜい髭があった、片メガネぐらいしか覚えてるものが少ない。それらも変装の道具であれば……夜会服を脱いだやつを一体誰がやつだと分かることができるだろう。


 そうして手をこまねいているうちに起こったのが運輸相宅での事件だ。


 自分の手の内だけで対応しようとしたことが仇になった、と俺は思っている。


 知っているか? 民間の警備員やその手の連中の実に半分が貧民街の出なんだ。奴がそこに根城を築いていた場合、やつの手下を自分から招いたようなものだ。


 実際、当日館にいたはずの警備の連中を調べあげようとしたところ、5、6人が雲隠れした。やつの手先であった可能性は高い。


 そして、元厚生大臣別宅からの輸送中の盗難事件だ。


 自分たちだけで秘密裏に事を運ぼうとしたことについてはもう何も言うまい。自分たちでそのツケを払ったのだからな。だが、それでも犯人を捕まえるのが俺たちの仕事だ。


 輸送に関わった者たちから「不審な自動車が側道を並走していた」という証言は出た。

 実際、側道にそのときにつけられたものであろう、自動車のタイヤの跡が見つかった。


 ……だがそこから飛び移ってきたという証言には無茶がある。

 全速力で走った4頭立ての馬車に飛び移るのは至難の技だ。しかも街路樹が植えられていて、月明かりの下とはいえその間をすり抜けるのは無茶としか言いようがない。


 恐らく彼らがその車に気を取られてるうちに、奴が馬で後ろから追いついて飛び移ったのだと思われる。


 それでもその車を仲間が運転していた可能性はもちろんあるため、一応自動車の形の証言からそれを作ったらしい工房割り出すことには成功した。

 だが行員の証言から、そのスピードをその時のモデルで出すことは不可能ということが判明し、こちらも手詰まりとなった。



 渇望していた上層部の人々との連携が取れるようになったのはその後のことだ。


「奴の力の源は、やつを自分達の救世主と勘違いしている、政府に批判的な連中だ。彼らをやつから引き離すために”反怪盗紳士キャンペーン”を行う! 」


 今でこそ評判の悪い宣伝相だが、捜査に手詰まりを感じていた現場にとってはかなりの助けと感じられた。……今の君らの世代にとってはひどいものにうつったかもしれんがな。


 確かに、出された情報は奴を貶めるためのものと批判されてもおかしくはなかっただろう。

 だが必要だった。

 ……全てが間違いというわけでもなかったのではないかと思うんだがな。


 貧民街を中心とした、やつに好意的な場所での活動が一気にやりやすくなったのは間違いない。

 特に女性連中からの聴収が一気にやりやすくなった。

 かなり女性に人気があったんだ。ストイックともいえる粋さにのぼせ上がっていた連中に、かなり冷水を浴びせかけたようだな。


 ……おかげでやつの一味ではないかと考えられる連中を浮かび上がらせることができた。


 そうだ。ゴルチェのやつが事件の担当としてうろちょろしだしたのがちょうどその辺りだ。

 こちらの手が入りにくいところまで入り込んでいたから、情報交換をよくやった。


 ……いや、その連中については聞いていない。聞いていたらしょっぴいて話ぐらいは聞いていた。

 奴には奴の流儀があったからな。自由にやらせた方がこちらの得になると思ったから、そこまで踏み込まなかった。



 怪盗紳士のやつをおびき出すための一大作戦が敢行されたのはその辺りのことだ。


 宣伝相直々にお膳立てしたラジオの生放送。そこへ件の割符を持ち込んで、やつに挑戦状を叩きつけた。


”某月某日何時までに、この割符を盗んでみろ”と。


 もちろん無視することもできる。だがその時には今以上に奴の名声を貶める準備は整っていた。

 やつを支える連中さえいなくなれば、奴も何もできはしないとタカをくくっていたのもある。


 当日を中心として、警察もやつをあぶり出すための捜査もした。もしもヤツが来るならば確実に奴を捕らえることのできる罠も作り上げた。


 ……奴の敵味方関係なく、当日はすべての国民がラジオの放送にかじりついていた。


 結果はお前さんも知っての通りだ。お前さんとこの新聞にもデカデカと出ていた。俺はその瞬間の放送を捜査室で聞いていた。


『バカ騒ぎはこれで終了。さらば、”出歯亀”の諸君』


 ……ああ、聞いたとも。あれはやつの声だ。


 だが、頭に来る前に俺にはやることがあった……奴への罠を閉じることだ。


 全ての通路、放送局からの道全てに捜査員を配置して……引っかからなかった。


 局の下に下水道が通ってるのを確認したのは奴を取り逃がした後のことだ。


 宣伝省の退陣とともに警察の名声も地に落ちた。


 ……おい、お前が家を出たのはこの頃じゃなかったか? 

 ああ、息子の世話のためなのはわかっているよ。だが、「仕事とはいえあんなことまでするなんて」とか文句を言っていただろうが。

 ……「仕事を辞めたんだからもうなさらないでしょ」と来たものだ。定年後は一人わび住まいかと思っていたんだがなあ。



 評価を下げてきたのは世間の連中だけじゃなかった。

 上層部の、特に将軍閣下は全く相手にしようとしなかった。


「民間などに任せるからこういうことになる。私の手のものだけでやらしてもらう」


 次の犯行現場が軍の基地の大本営になったのはそういうことからだ。


 だが警察にも意地がある。基地内部に入れないとしてもその外を固めることはできた。

 4交代で24時間体制だ。軍関係者以外に基地に入り込むのは不可能だった。


 ……軍関係者として潜り込んだのではないかと言いたいのか?

 それをあぶり出すのは軍の仕事だ。将軍閣下がそうお決めになったんだからな。


 動きがあったのはあの日の深夜4時頃のことだったか。

 大本営の内部が騒がしくなったのはこちらでも把握していただが、それもまたやつの手の可能性があった。警備を緩めることなどできるわけがない。


 事態がわかったのはそれからすぐ後のことだ。


「大本営に怪盗紳士出現! 突入お願います! 」


 伝令が伝えてきた情報に一時警官隊は騒然となった。


 まずいと思った。


 どう動くにせよ、一時的な衝動で動いては奴の術中にはまると思った。


「全員待機! 持ち場を死守! 」


 声を張り上げたのは緩んだ士気を引き締めるためだ。


「作戦本部長からの依頼ですぞ! 」


 伝令はなおも喚いていたがそんなことは問題ではない。


「行動の許可は警視総監殿からのみ受諾する。囲みを解いていない以上、ここから出るのは不可能だ。……基地内の下水道口に見張りを立ててさえいれば、外へ出ることは叶わない」

「しかし! 」

「総監への伝令所までお連れしてさしあげろ。くれぐれも丁重に。……目を離すな」


 そうだ。その伝令こそがやつだったのだろう。

 件の伝令所では苦もなく雲隠れされていた。



 だが、それで全てが終わったわけではない。警察としてはそれからが本番となるところ……だった。


 やつがあと何回犯行を重ねつもりでいるのか、それは捜査陣にとって重要な事項だった。


 警視総監を通じて問い合わせた、「”割符”なるものを現在所持している残りの人々」についての答えは、「返答する必要なし」というものだった。


 手がかりはあった。


 宣伝相はそれを「革命の志を忘れないでいるためにわけあった」と言っていた。


 故に、革命当初からの同志に捜査を絞った。

 ……と言っても、表だった者たちはほとんど全て、それらを失うか政界を退いていたわけだが。


「いらないことを調べるな」と上から苦情が来たこともあったな。

 ……そうだ。そういう意味では手詰まりと言えた。


 そうなれば、もはやそれを所持し、公人でもある人物は一人しかいない。

 ……時の大統領その人だ。

 奴がそこに手を伸ばす時が、やつを阻止する最大にして最後のチャンスだった。


 警戒してる間に時は若い世代へと移り変わっていた。


 大統領が引退し、若い世代を中心とした内閣が発足すると発表された時には国民が驚いたものだった。

 だが、その顔ぶれを見るにつれ、大統領が引退後も裏からコントロールすることが明らかと見られ、不安に揺られた人々も次第に落ち着いて行ったものだ。


 一私人となろうが警備に代わりがあるわけではない。逆にそれを好機と奴が来ることは想像に難くなかった。


 だから、引退した元大統領となったかの人物が人の目をくらませて館を出たと情報があった時、捜査班はついに奴が接触をしてきたのだと判断した。


 街の中、捜査員を駆使してその行方を追っていた捜査班に、「街外れの尼僧院で”怪盗紳士”の姿を見た」とのタレコミが入ったのはその時だった。

 そして、それを受けて俺たちが尼僧院に辿り着いた時……全ては終わっていた。


 本人の名誉のため、その際の元大統領の様子についてはここでは語るまい。

 ただそれ以後、若い世代に影響力を見せず、館内での静養生活に入ったことはお前さんも知っても通りだ。


 尼僧院院長も、そこで何があったかは語らなかった。そして怪盗紳士と思しきものの姿はなかった。


 遅まきながら尼僧院を中心に町へ捜査網を広げようとしたその時だ……警察庁上層部から「怪盗紳士捜査班の解散」が告げられたのは。


 理由は語られなかった。一方的な命令だった。ただ、呆然と食ってかかった俺に一言だけ言われた言葉がある。


……「やつはもはや逃げない」。


 奴がどうなったかを知ることは許されなかった。だが捜査班としてやつをもはや逮捕できない状態となったことだけは理解できた。


 ……ゴルツェのやつはおさまらなかった。「真実はどこへ行った!? 」と俺に食ってかかった。「宮仕えのあんたにできないことでも、俺ならできる。やつの正体を暴いてやる! 」と宣言したそれ以降のことは、お前も知っての通りだ。

 やつももう定年だったか? ……そうか、田舎へ帰ったのか。



 ……やつに伝え忘れていたことがある。

 あの後警察の中で、浮かんでは消えた一つの噂がある。


「奴は”割符”を全て集め切ったに違いない」


 ……それが今どこにあるかは、誰にもわからんがな。


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