第8話 盲目の女性
はい。「怪盗紳士」に会ったことがあります。
えぇ、私は目が見えません。幼い頃に目が見えなくなってしまったので。
はい。あの方は「怪盗紳士」です。否定なんかできません。
※
あれは今からかなり前のことで……。え? もう20年ぐらいにもなるの?
カレンダーとか見えない生活をしていると、どれだけ年月が経ったのかよくわからないものですから……。
夜に窓を開けて風を楽しんでいましたら、お会いしたんです。
えぇ、そこの窓を。はい、ここは3階ですけども。
おそらく屋根の上を歩いていらっしゃったのでしょうね。私はその姿を見たわけではないんですけれども。
最初はマドロスかと思ったんです。いえ、船乗りではなくて。ご近所の方が飼っていらっしゃった猫なんです。時々夜の散歩をしていましたから。
窓のそばの屋根板がカタリと鳴って、「あら、夜の散歩を楽しんでいるの?」って聞いたら、「今宵の夜風は格別でしたので」って。
ええ、驚きました。だって言葉が返ってくるんですから。
ですけどその言い方が、風に乗って下から聞こえてくるこのあたりの人たちの言い方とは違って優しいものでしたから、悪い人ではないのかもと思って、「やはり夜風は屋根の上のが一番ですか? 」って。
そしたら「ご婦人にはお勧め致しかねますね」って。
でも、考えてみたら夜なんです。普通の方は夜に屋根なんて登りません。雨漏りを直してくださる大工さんならわかりますけど、だいたい昼間の話ですから。
だから教えて差し上げたんです。「夜に屋根の上になんて登っていましたら、泥棒と間違われますよ」って。
そしたら「このような格好でも間違われますか? 」ってお聞きになったんですけど、私、見えませんし。
だから、「見えないのでわからないんです」ってお答えしたら、なんか、かなり驚かれたようで。
私の家に来られる方はみんな、母から私の目のことは聞いていられるようで驚かれることもありませんし、外出することもありませんでしたので外の方からどう思われるかもよくわかりませんでしたし。
……今は外出もします。お医者の先生に時々目を見ていただいているので。これでも前よりは見えるようになってきているんですよ。明るいところでなら、ほら、このお花も形がぼんやり分かるようになってきていて……。
あ、すみません。人とお話しするのは久しぶりで……。聞きにくくないですか?
やはり目が見えない自分では十分にお相手できないんじゃないかと思い出したのはその時なんです、あまりにも驚いていらっしゃったので。
ですから「母は目が見えますので今お呼びしましょうか? 」って。
そしたら「こんな夜更けに男性と話してるところをご覧になってもお怒りになりませんかね、母上は」とあの方が少し笑いを含んだ声でおっしゃったので、それは確かにそうかもと思ったんです。
うちの母は----今ちょっと集まりがあって外に出ているのですけども----とにかく「人様に迷惑をかけない」「静かに」「窓を開けない」と口酸っぱく言っていましたので、夜に窓を開けて人と話してるとなったら確かに怒られかねなかったので。
なので、「ご親切にありがとうございます。格好見て差し上げられなくてすみません」って謝ったんですけども。
そしたら突然ニャーって声がして、マドロスがやってきましてね。
あの方が「どうやらこのこの場所を取ってしまっていたようだ。私はここで失礼するとしましょう。また良い夜風の折にでも」って。
とても優しくてご親切な方だったので、「そういえばどちら様だったのですか? 」って今更ながらに聞いてしまったのですけども。
そしたら「怪盗紳士ですよ」って。
……だってそうおっしゃったのですもの。
※
母も時々お世話してくださるお姉様方も信じてはくれませんでしたね。
「一体”怪盗紳士”なんて誰がこの子に教えたんだろうね」って母なんかは呆れていましたけど。
でも大変だったのはそれからだったんです。
あの方が「また良い夜風の折でも」っておっしゃったんです。
夜毎窓を開けて良い夜風かどうか確かめなくちゃいけなくなって。
雨の日以外は毎日毎日。時々母に見つかって怒られて。
でももしもお相手できなかったら、あの方がおかわいそうじゃないですか。
そうして夜眠れない日が何日も続いた後、ある晩に窓を開けたまま眠ってしまいましてね。
朝に母が「何か置いてある」って。
それがあの花と、このメッセージカードなんですけども。
私には読めませんが、”花がよく咲くためには夜の眠りが必要です 怪盗紳士”って書いてあるそうです。……ご心配をおかけしてしまっていたのかもしれませんね。
※
もちろん、あの花も頂いたそのままじゃありません。
最初は花瓶に入れていたんです。でも枯れてしまって。
種が取れないかと思ったんです。でも芽が出なくて。
半狂乱になっていたところに親切なお姉様が、刺し芽? とかいうのをやってくださって。
それから母にかじりついて世話の仕方を教えてもらって、毎日水をあげたりして世話をして……。やっと花が咲いた時にはとても嬉しくて。
そしたら大姉様が……おふた方をご紹介いただいたあの大姉さまです。
「この花の世話ができるならハーブの世話もできるかもしれないね」とその植木鉢の世話を任せてくださるようになって。今では収穫したハーブをお譲りすることで少し生活も潤うようになりました。
※
……もちろん、あの方に会ったことを証明するものはこの花ぐらいしかありません。
私があの方にあったのは夢の中のこと、花とメッセージカードは私を心配した母やお姉さま方が作った偽物、ということも言えるかもしれません。
……今ではメッセージカードも薄汚れて字も読めないらしいですし。
でも、私はあの方の声をまだ覚えています。
そしてあの方から頂いた花が、私を一人でも生きていける道に導いて下さいました。
だから、誰にもあの方が「怪盗紳士」でなかったなどと、私は言えません。
私は、「怪盗紳士」に会いました。
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