First in love, Final in love
壬生諦
First in love,
この身に心が宿り、一生命として稼働を開始した瞬間、まず私は恋をしてみたいと思いました。
タイプですか?そうですねぇ……やっぱり年上の紳士で、だけど不意に可愛い一面も見せてくれるようなイケメンでしょうか。まだ何も知らない私の頭にパッと浮かんだパートナーの理想像はそれでした。ベターですね。
次に、恋の相手は人間界の住人が良いと直感しました。天界の同族でも、悪魔や獣でもなく人間です。
そうです。皆さんと同じ種族、皆さんの住まう青い星の生命体です。
まだ人間と会ったこともない私がどうして人間の雄に関心を持てるのか、私の親……親?……えっと、王様に聞くと「それはアイランだけの感情の色彩だから誰かに解説できるものじゃない。それでも、アイランはそんな自分だけの心をこれから時間を掛けて愛していかなければいけないんだよ」と教えてくれました。私にはあらゆる情報が新鮮なため、彼の言葉にも深い感銘を受けましたが、話を聞いていた私の先輩にして彼の部下に該当する方が「恋情とは我々でさえ把握し得ない不可解なものさ」と補足されました。
つまり、私たちより遥かに長い時間を生きて、あらゆる世界の頂点に君臨し続ける王様でさえよく分からないのだそうです。
あっ!そうです、そうです。恋したいなー!って切り出すより先に自己紹介ですよね。失礼しました!
私はアイランという名前の天界使士、いわゆる天使です。人間界を弄ぶ悪い神さまをお仕置きするのが私たちの主な仕事です。
世界とは全部で七種あります。うち一つが人間界です。ただし、人間界は『増殖』が特徴なので、他の六つと違って人類が覇権を握る世界が無数に存在しています。私たちの視点で言えば世界ではなく国か島ですけど。各人間界に一体ずつ神さまがいて、人類の行く末を異次元から監視しているのです。その監視が度を越えた際に私たちが出動するわけですね。
皆さんが『天使』に抱く印象とは大分違うかもしれません。大丈夫です。私の感性は皆さんよりなので、私自身も超越している自覚があります。
私は天界使士
そんな私は任務を遂行しては帰還するを繰り返すだけの日々に不満を積もらせていきます。人間界に赴くたび私の最優先事項に対する欲求は熱を増し、やがて制御が利かなくなったのです。
天使は神殺しにのみ徹するわけではありません。各々に趣味や野望があります。なので、私が恋をするためだけに皆さんの人間界へ赴く旨を伝えても先輩方は止めませんでした。向こうで運命の相手に出逢ってしまったらその彼を看取るまで帰還しないかもしれないと煽るも、生暖かい目で見送られてしまったのです。腹が立ち、向こう六十年は還らないつもりで転移の扉に飛び込んだのを覚えています。
それが見放されているからではなく、彼らは本当に皆さんの想像する天使らしい慈善で背中を押してくれたのだと気付くには当時の私は幼過ぎました。
皆さんの人間界に到着です。光を放つ色んな看板と行き交う人々の喧騒が本来寂しいはずの夜をこれでもかと盛り立てる日本の都会です。
恋をするために疾く動き出します。果たして私は素敵な男性に巡り逢えるのでしょうか?人間界に赴く理由がこれまでと全く違うだけでなく、仕事を忘れて異世界を闊歩するのが初めてのため、まるで翼が生えたように浮足立っていました。私たちに翼はありませんから。
高層ビルの屋上から夜の街を一望、観察を始めます。
拙いことに年上の方しか歩いていません。それもそのはず。私、まだ生まれて一年も経っていないので、幼い容姿であっても全員私より年上にあたるのでした!
考えを改めます。高校生に相当する私と比べて年上の扱いとなる大人に限定しましょう。幸いにもそれが大勢歩いている時間帯のようですし。
スーツ姿が多く目立ちますけど、それでいて精神的にも紳士で、可愛さもある方などが果たして何人いるのでしょう?アプローチを試みなければ見えてくるはずもありません。
ですが、それはそれとして、このように自分の幸福のためだけに時間を使うのが初めてのため、リストアップ以前に観察そのものが楽しくなってきてしまいました。一人で歩くイケメンを目で追いながらも突撃する気が起きません。
愛は何度でも、恋は一度だけ。……星の数ほどの女子を泣かせてきた王様の格言です。
初恋を物にします。必ず撃ち落とします。
しかし、堅物な先輩にも臆さなかった私も今や慎重で、感じたこともない心臓を締める緊張に圧されていたのが正直なところでした。
傍に着陸した一羽の鳥と暫し見つめ合い、失態に気付いて叫び声を上げる私。慌てて姿勢を低くするも、街行く皆さんにはバレていないようで安堵の溜め息を零し、白い羽ばたきを見届けます。
失敗……ではないですね。まだ突撃前の段階ですし、時間は無限にありますから。
しかし、夜通し陽が昇るまで高層ビルから行き交う人々を見下ろし続けるのはいくら不老でも時間の使い方が上手くないと分かります。
何せ騒がしい街並みに散らばる群衆の各々に個性があって、似た服装でも顔立ちや歩き方が違うから観察に飽きが来ないのですよね。中には気分の優れない人や気性の荒い人もいて、自分があの輪に参加していたら迷惑に憤るんだろうなぁと思っても、私にはそんな悪すらも斬新で興味深いのです。
これは関心であって恋情ではないですね。大袈裟に言っても愛情の限りです。
慎重に、慎重に。強い人たちに絡まれる弱い人を捕捉しても簡単に助けてはなりません。今の私はプライベートでここにいるのですから。
同じ地点でも異なる人種の登場により風景が次々と変化していくおかげで没頭、夢中になる私の不意を突く朝日に背中を刺されました。
駅に吸い込まれていく人、そこから出てくる人、双方の数が深夜と比べて桁違いです。やっぱりスーツ姿の男性が多く、昨夜、駅に吸い込まれていく姿を見かけた人がもう再登場するほどです。
学生も増えました。同じ制服のご学友と談笑する子、眠そうな子、沈んでいる子と、またも新たな彩りを見せてくれます。
昨夜この世に赴いた私にはおじさま達よりあの子たちの方が貴重な存在に思えてしまい、同じ制服を纏う子たちの進む道が一筋に束なる頃には彼らの学び舎に関心が向き、いくつもビルを飛び渡って彼らの後を追いかけました。若者とはいえ、中には大人びた風貌の子もいるので条件内ですよね!
校舎へ吸い込まれていく制服の群れが次第に収まり、チャイムが鳴ると学生の姿は完全に無くなってしまいました。
私は高みからただ眺めていただけ。昨夜から進展なしです。ただ、私としては十分に楽しめているので、時間を無駄に費やしているようには思えません。
ビルを飛び移るだけで変わる風景、同じ場所から同じ角度で同じ地点を眺めても『同じ』は二度なく、恋をするつもりが、皆さんへの興味ばかりが積もる始末。悪神退治を目的とする今までと違い、初めて自由に練り歩ける人間界だから特別なのでしょう。
人には他人の悪い部分ばかりを優先して探す残念な習性があるのを知っています。それは、私には理解も解決もできないことです。
でも、私は皆さんのことが好きですよ。安全圏から一部分を傍観している段階ですけど、それが現在の本心で、皆さんこそ自分の生きる範囲しか知らないのですから、暗い切り込みなどやめて明るい話題を集めましょうよ。
それに、全員がそうと決まったわけではないというのも知っています。明暗に限らず、あらゆる事柄に例外はつきものですから。
学校周辺に人がいなくて退屈なので、この時間帯の駅の風景を確かめにいこうと動くその時、『例外』が視界に入ってきてしまったのです。
あの学校の生徒はみんな校舎の中にいるはずです。なのに、同じ制服を着るその人は緑豊かな公園のガゼボを占領して俯いています。気分が優れないのでしょうか?それとも不良さんでしょうか?
辺り一帯を窺い、人の視線が全て外れるタイミングを見計らってビルから飛び降り、彼に接近します。
彼の周囲には誰もいません。学校もお仕事も始まる頃ですから何も不思議ではありません。
それに、街から人がいなくなったわけではありません。ルーズな服装の老若男女がまばらにいて、スーツ姿の大人もまだ少し存在しています。
ですが、皆さんは目指す場所が明確に決まっているようでハキハキと歩いているのに、彼と、彼の周りの世界だけが停止しているのです。
私の衣装も学生服風なので、彼と同じく登校拒否の悪い子に映るかもしれません。けど、この時はそこまで考えていませんでした。胸がときめくような心地なんて無いにしても、浮世離れな彼と言葉を交わしてみたい気持ちばかりが先を行っていたからです。
ガゼボへ直進、俯く背中に声を掛けます。「おはようございます。学校には行かないのですか?」と。
振り向く顔に起伏はありません。むしろ私こそ彼が背中を丸くしている理由に驚きました。
スケッチブックを膝に乗せていたのです。
「驚いた。この場所で声を掛けられるのは初めてだから」
平静で答える彼。幼い面影を残す相貌、平均値の顔面です。
それなのに、声音と眼差しは心配になるほど大人でした。
私に限らず、この時間、この場所で描出に励む制服の男子には誰もが何故?と疑問を抱くはずですが、私より短命で脆いくせに、私たちより先に生きる意味の回答を済ませたような彼の様相には、不思議とそれが最善なのだと容認できる説得力がありました。尋問みたいな真似は元から考えていませんが、学校に行かない理由をこれ以上問うのはよそうと思うほどに。
実際、彼は
彼は聞けば答えてくれる人です。ただし、明るくて暗い。私が「見てもいいですか?」とスケッチブックを覗くと、嫌がる素振りもなく消失してしまいそうなか細い声で「どうぞ」と微笑むだけでした。
近づいて気付いたことですが、そのスケッチブックは大分使い込まれていてボロボロでした。
彼の隣に腰を下ろすも、彼は構わず膝のスケッチブックに視線を落とします。照れ隠しではなく、素直に受容したのです。
不満はありません。『彼』という独創性に惹かれていたから。
私たちの正面には土の目立つ芝生に、散歩中のお年寄りやワンちゃん等。
ここから見える景色を描いている、あるいは描くものがあらかじめ決まっていて、やる気を高める条件がこの時間、この場所なのだと思い込みました。通学路から逸れるのが彼の日常だと誤解していました。
しかし、絵は既に完成していて、今はペンを握ったままそれを眺めているだけだったのです。
良い女は野暮を避けるものです。それでも我慢の限界でした。私が「次を描き始めないのですか?」と問うと、彼は「うん」と頷きます。訝しんで「これは何の時間なのです?」と重ね、彼はこう返しました。
「これはずっと昔に描いたものなんだ。毎日新しい絵を描いて、それらを褒めてくれる人もいるけど、僕としてはこれ以上に心落ち着くものがない。似たような絵を描出しても手応えがまるでない。それならいっそこれを改造してしまおうかと思い立ったのだけど、それも儘ならなくてね」
大人びた印象にそぐわない、半端で確立していない回答でした。
芸術は分かりません。何となくの直感で、美しいもの、汚いもの、何とも思わないものを分別するのみです。彼が何に打ちひしがれているのかなど私には理解し得ないのです。
だけど、放っておけない。本来前向きなはずの彼が元気を取り戻して歩き出す様を見てみたいなんて想いが段々と強まっていくのです。
「えっとぉ……つまり?」
「もう成長できないということ。絵描きとしてでなく、一つの生命としてね。僕にはこれより良いものが描けない。人生を決定付けるには早過ぎるかもしれないけど、過去に縋るのならそこが限界だからね」
もしかして彼は落としどころを悟り、向かうべきは学校でないと感じてここへ辿り着いたのかもしれません。
ですが、彼の望みを叶えてあげるつもりはありません。だって、まだ他人同士ですから。
美しい世界の片隅、あるいは中心で卑屈や陰鬱に陥るのではなく、あくまで達観した姿勢のまま人生の終末を受け入れる腹積もりの彼を放ってはおけず、校舎でもビルの隙間でも改札の先でもない、まだ知らない素敵などこかへ彼を連れていきたいと思い、私よりやや大きくて温かいその手を握りました。
不意打ち成功です。ようやく常人らしいリアクションが見られると期待しましたが、彼はやっぱりそれにすら微笑み従うだけのため面白くありません。
そうです。彼は十代で早くも完成してしまった人類で、私もそれを理解できてしまいます。
それならせめて、最期を迎える前にこれまで体験したことのない思い出をいっぱい蓄えて、満たされてもらいたいと願ったのです。だって私、アイランですから。
彼を引っ張って公園を出ます。すれ違う皆さんと違い私たちに目的地はありません。
不良の男女が授業をサボって遊びに行く。そんな風に見られても構いません。私は学生ではないですし、彼は学生の皮を被っていたのですから。
「君は誰?どうして僕に構うの?」
こっちが野暮を堪えているというのに、彼の方は構わず私について問い質そうとします。潔くないです。
つまりはまだ幼いということで、情けないと呆れるよりも可愛い人だなぁと思えました。
「私についてはこれから教えてあげます。貴方に恋をしますのでお付き合いください。ほら、お金ありませんから!」
彼は驚いてくれません。良いのです。全てを諦めたような彼の微動だにしなかった眉を困らせることが叶ったので。
「私は……アズです。アズと呼んでください!」
人類には無用なスケールの知識と力しか持たない私。意思表示の手段が他になく、私は彼のために名前を捨てる道を選びました。
天界には娯楽がまるでありません。要素が少ない分だけ名前には価値があり、それを捧げることによって自分自身にこれが大一番だぞと言い聞かせる狙いも含まれています。
この恋を必ずものにして、彼の人生も救済する。その決意表明なのです。
彼のお金で老舗の喫茶店に入り、お互いの事情を共有しました。私の正体と目的、彼の境遇と停滞について。時に意外に、時に報われない、コーヒーがより苦く感じる内容の話でも全く辛くはなく、彼の情緒が揺れる様子も覗けません。
私がウケを狙ったタイミングで抑えめながらも笑い声を上げてくれたのは嬉しかったです。それが気を遣ってなのか、心からの愉快を表現しているのかは分かりませんけど、私が彼を深く知りたいと思えているのですから障壁など一つもありませんでした。
彼は地方の両親からお金を借りて独り暮らしをしているため、以降も二人きりで会うのは容易でした。実は彼は優等生で、学校を欠席するなどこれまでなかったほどですから、あの出逢いは本当に奇跡だったのです。
私たちは時間を掛けて関係を深めていきました。私が積極的でも彼の方は聞かないと答えてくれないため進展は亀さんでしたが、だからこそ私は初恋を丁寧に堪能でき、一度きりの恋に没入できたのです。
制服のブレザーに袖を通す彼も、卒業後、家庭教師のアルバイトをしつつ著名アーティストの下で芸術を磨く彼も、次第に皺が増えて弱っていく彼も……彼であるのなら変わらない恋心で寄り添えました。
彼は出世して、公開した作品がどれも絶賛されて、青い星のあちこちで個展を開いても、それでもあの日の諦観を世に告白することはありませんでした。
私の心は不変です。彼が小学生の頃に描いたという、高層ビルの屋上に止まる白い鳥が夜の都市を見下ろしている絵が今でも大好きです。折を見て古びたスケッチブックを取り出し、その初心を伝え直すと、世間との温度差に憔悴した彼が昔より強張った微笑みに一筋の涙を添えて今も若い私を抱き締めてくれるのです。
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