第10話

 何だかとんでもない単語が聞こえてきた気がする。


 気のせいであれ。


 聖獣達は生涯に一度は自身の認めた人間と契約をして主従関係を結ぶ。

 聖獣に選ばれることは大変な名誉であるとされ、選ばれた者達を聖獣士と呼ぶ。

 人間は聖獣士になると聖獣の特別な力を借りることができ、聖獣は人間に力を与える代わりに、同族達を守る義務を与える。


 この小さな黒竜には主従関係を結んだ人間がいるようだ。

 対等な立場なのだから主従関係って言い方はおかしい気がするが、今はどうでもいい。


 どうにもこうにもこの黒竜の主が毒を盛られるかもしれないらしい。


『それはマズいな』


 鷲のルイーゼウは深刻な声で言う。


『だが、ロンの主どのは服毒訓練をしているだろう?』


 そういうのはエスティラの足元でゴロゴロしていた白い犬クルードルである。


『してる! してるけど!』


 服毒訓練をしていても訓練に用いる毒やその量は死なない程度。

 本気で殺そうと思って盛られた毒には敵わない。


『ここ最近は忙し過ぎて体調を崩してるんだ! そんな時に毒なんか飲んだら……飲んだら……』


 物によっては死ぬだろう。

 ロンは不安と恐怖で言葉が続かないらしく、丸い瞳からぽろぽろと涙を零す。


『主が死んじゃうよ~!』


 うわーん! と幼子のように泣きじゃくる竜をエスティラはあやすように撫でた。


『とにかく落ち着け。詳しく話してみろ』


 エスティラの腕の中で泣きじゃくる竜は口を開く。


『俺は城の中で主の姿を探してたんだ。そうしたら人目が付かない場所でコソコソと話している連中がいた。そいつらが言ってたんだ』


 エスティラ達は竜の言葉を待つ。


『ダンスの一曲目が終わった頃、毒を入れたルアナ産のビアの赤ワインを俺の主に薦めるって』


 ルアナ地方特産の赤ワインはこの国で広く親しまれている。その中でも品質の良い葡萄を厳選して丁寧に作られ、熟成させた最高級ワインはビアと呼ばれており、王室献上品として有名だった。


 貴族であってもなかなか手に入らない最高級のワインを薦められて断る者はいないと聞く。


 私は断るけど。酒嫌いだし。


 普通であれば薦められるがままにワインを口にするだろう。

 値段も桁外れのワインを使ってまで毒を盛りたいのなら悪戯ではなく本物の殺意だ。


『このまま放っておくわけにもいかんな』


『でもどうする? 人間には我らの言葉は分からぬし……あ!』


 鷲のルイーゼウと白い犬クルードルがはっと顔を上げてエスティラを見つめる。

 嫌な予感がして背筋に嫌な汗が流れる。


 そんなにキラキラした目で見つめないで欲しい。


『行くぞ、エスティラ』


「げっ、私⁉」


『そなた以外に誰がいる』


 そう言ってルイーゼウはエスティラの肩を嘴で突き、クルードルはドレスの裾を引っ張る。


 待て待て待て。


 常識的に考えて顔も名前も知らない第三者が割り込んで『それ毒ですよ、飲んではいけません』って言って信じてくれると思うのか?


 騒ぎを起こした不届きものとして捕まる未来が見えて、エスティラは震えた。


 それに本当に毒を盛られる予定なのかも分からない。

 もし本当に毒がワインに仕込まれていたとしても、何故『お前が知っている?』と疑われるに違いない。


 毒殺を回避しても『ありがとう、おかげで助かったよ』なんて素直に感謝される未来は見えてこない。


 エスティラに容疑が掛かれば子爵家はまぁ、どうでも良いとして、ウォレストにも不利益になり得る。


 だけど何もしなければ死人が出る……かもしれない。


 あぁ……どうするよ、私。


 頭を抱えるエスティラに抱いていた小さな竜が懇願する。


『頼む! 人間! 俺の主を助けてくれ!』


 宝石のような赤い瞳にいっぱい涙を溜めて、『お願いだ、お願いだ』とエスティラに訴える。


 こんな風に懇願されればエスティラのするべきことは決まっている。


「どこ?」


『へ?』


「あんたの主はどこにいるのかって聞いてんのよ!」



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