第四話 ピアスと指輪3


「あ、葵さん。パーティー用のスイーツ揃いましたよ。あとはお土産のボックス待ちですね。それが届いて詰め終わったら全て終了です」


「おーサンキュー、リョウ。うん、サトルの指示通り、優希の好きなものは全部揃ってる。朝早くからありがとうな」


 葵はリョウを労って背中を優しく叩いた。リョウはそれに弾けるような笑顔を返す。彼の目の前には、リョウ自身が作り上げたパーティー用のスイーツバスケットがいくつも揃えてあった。


 甘いものが大好きな優希と、あまり得意ではない筈なのに、オールソーツのスイーツだけは食べられるというサトル。二人のために、彼は数種類の焼き菓子を全て一人で準備してくれた。


 野球部に入っている彼は、日頃から朝早く起きてトレーニングをし、その後葵が起きてくるまでの間に朝食を用意するという生活をしている。そのため早起きはお手のものなのだが、それにしても今朝は早かった。葵の鼻をくすぐったバターと砂糖の香りがしたのは、まだ暗い早朝四時だったのだ。


「俺を育ててくれた優希さんのためですからね。めちゃくちゃ頑張りましたよ」


 そう言って、日に焼けて小麦色になった顔に穏やかな笑みを浮かべながら、控えめながらも誇らしげに胸を張った。


「そうだな、優希はお前のお母さんだもんな、男だけど。それなら俺はお父さんかな。でもそういうとサトルに怒られそうなんだよな」


「そうなんですよね。そのあたりがいつも複雑で、俺も困ってます」


 リョウは、葵が未成年後見人をしている男子中学生だ。十歳から葵と一緒に暮らしていて、今年で五年になる。それ以前は実家で暮らしていたのだが、両親ともにネグレクト気味でろくに家におらず、見かねた隣人の優希が世話をしたのが、この関係性の始まりだった。


 そのまま五年ほど彼が生活の面倒を見てあげていたが、リョウが十歳になった頃に優希自身の精神に問題があることが分かり、葵がその後を引き継いだ。そして、今は彼が所有するマンションで共に暮らしている。


「リョウの生活能力は優希のおかげだもんな。俺はどちらかと言うとお前の世話になってるだけだから……あれ? もしかして、俺ってお前の子供なんじゃない?」


「えー、俺の子供だったら叱りますよ。葵さんだらしないもん。夜中に甘いもの食べちゃダメです、とかね。」


「うるさいよ、お前。たまになんだから許せよ、それくらい」


 葵がむくれると、リョウは楽しそうに肩を揺らした。


 リョウの両親は今でも健在だ。関係性もそんなに悪いわけでは無い。リョウを疎ましがっていたり、嫌っているということも無い。本人たちは我が子を自分なりに愛していると思っているのだそうだ。ただ困ったことに、自分たちが育児放棄をしている自覚もないらしい。

 やましい気持ちがないからか、葵から連絡を取る時にはいつも好意的に対応してくれるので、後見人をする上で困ることは少ない。だが、その分改善も見込めないため、ある意味では子供を憎んでいる親よりも厄介な人たちと言える。

 愛情があろうとも子供のそばにいようとしないので、そのままでは子供は生活が出来ずに困ってしまう。それだけのことが理解できないのだそうだ。

 

 そういった訳で、リョウは優希に生活するための術を仕込まれた。彼は素直にすくすくと育ち、家事全般が得意な中学生となった。特に料理はかなりの腕前だ。

 客に出すものは責任が伴うために作らせるわけにはいかないのだが、今日は友人の集いなので営業とは関係が無い。

 せっかくなので、優希に感謝の意を表したいというリョウに、葵からスイーツを全て担当するようにお願いしたのだった。


「なあ、さっき作ってたクッキーから何枚か優希に出してもいい?」


「はい、どうぞ。カゴにはもう詰めましたから、残りは食べてもらっても大丈夫です」


「サンキュー」


 葵はそう言いながら、リョウが手渡してくれたクッキーの入った銘々皿を受け取り、カウンターに戻ろうとしていた。


 ちょうどその時だった。オーブンで仕上げている料理の内容をチェックしていたリョウの目の前で、店の電話が鳴り始めた。


「あれ、納品まだ遅れるのかな。ごめん、リョウ。ちょっと出てくれない? 遅れるって言われたら、三十分だけなら大丈夫ですって言ってもらえる?」


 葵の言葉に、リョウは黙って頷き、そのまま受話器を取った。


「はい。オールソーツです」


 リョウがメモを取りながら対応するのを確認した葵は、そのままカウンターの方へと戻ろうとしていた。すると、


「はい? ちょっと意味が……もう一度お願いできますか?」


 とリョウがやや困惑している。


——なんだ? リョウが慌てるって珍しいな。


 業者からの連絡に対応しているにしてはおかしな対応だなと思いつつ、優希を待たせていた葵は、そのまま店内へと戻った。そして、クッキーの入った皿を優希の前に置いてあるトレイに載せ、やや待たせてしまったことを詫びようとして顔を上げた。


「ごめん、お待たせ。はい、どーぞ……って、おい。何だそれは」


 葵は正面を向いて驚いた。そこには、着ている本人と同じように真っ白に輝くパールホワイトのタキシードに、大きく茶色いシミを作った優希がいた。彼はそのシミを見つめたまま、まるで動画の静止ボタンを押されているかのように硬直している。


「うーわ、やっちまったなあ優希。そりゃちょっと今日着るにはマズいシミだぞ」


 葵がそう言って心配して覗き込むと、優希は弾かれたように我に帰った。そして、困った顔で笑いながらも、はてと首を傾げた。


「あー、そっか、そう言うよね、きっと」


 まるで自分はそうでも無いと言いたげな口調でそう返す。


 しかし、葵にはその回答は予想通りでもあった。優希は繊細そうに見られるが、意外と雑な性格をしている。おそらくコーヒーのシミ一つくらいあっても、どうということは無いと言いたいのだろう。このシミ一つあったくらいで、自分たちがパートナーシップ宣誓を終えたことに変わりはないと思うに違いない。


 しかし、おそらくサトルはそうは言わない。二人の性格は真逆なのだ。彼はきっと、その茶色いシミを汚点のように感じるはずだ。大いに気にして困惑することだろう。


「そうだぞ、お前。ハレの日に茶色いシミなんて! って怒ってるサトルの顔が目に浮かぶわ」


 葵がそう言うと、優希は軽く吹き出した。


「やっぱりそうだよね。サトルなら間違いなくそう言うと思う。でも、どうしようかな、これ。染み抜きなんてそんなにすぐに出来るものじゃ無いでしょ?」


「そうだろうな。せめて数時間あったら良かったんだろうけれど、もう始まるしなあ」


 サトルはいつもキッチリしていて、清潔で折り目正しい。自分にはいつも完璧を求めるような生き方をしている。

 だが、どういうわけか優希には底なしに甘い。どこにいても優希を甘やかそうとするので、葵は少し彼の将来が心配になるくらいだ。


 このままでは優希はダメになるんじゃ無いかとサトルに苦言を呈したこともあるのだが、彼には何を言っても響かない。


『それでも足りていないほどに優希は可愛くて仕方がない』


 という惚気の言葉を返されただけだった。


「まあでも、今更慌ててもねえ。幸い汚れたのはジャケットだけだから。気になるようならベストでいいでしょ。そうだ、サトルが着替える前に着ていたジャケットの方を僕が着ようかな」


 優希はそう言うと、綿菓子のような髪をふわふわと揺らしながら、何事も無かったかのようにクッキーを口に放り込んだ。

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