うちのメイドは伝説の『白い悪魔』!? ~お嬢様、悪党は私が教育いたします~

月影 流詩亜

第一話 断罪



「ファルファッラ! 貴殿の度重なる悪行、もはや見過ごすことはできぬ! 我、テトロドトキシン王国第一王子カラヴァインの名において、貴殿との婚約を破棄する!」


 夜会の喧騒が嘘のように静まり返った大広間に、若き王太子の声が高らかに響き渡った。

 金糸銀糸で彩られた豪奢な装飾も、磨き上げられた大理石の床も、今はただ冷たく張り詰めた空気を映し出すばかりだ。


(……とうとう、この時が来たのですね)


 ファルファッラは内心で静かに呟いた。

 目の前で声高に婚約破棄を宣言しているのは、紛れもなく彼女の婚約者であるカラヴァイン王子。


 その表情は、正義を執行するという自己陶酔にも似た高揚感に満ちている。

 公の場で、これ以上ない屈辱を与えるための演出……いわゆる『断罪イベント』の真っ最中というわけだ。


 カラヴァインの傍らには、一人の令嬢が庇護を求めるように寄り添っていた。


 アンナ・モノモアホヴィチ男爵令嬢。

 最近、王子の寵愛を一身に受け、「聖女」と持て囃されている女だ。

 ファルファッラに向けられるその瞳には、隠しきれない軽蔑けいべつの色が浮かんでいる。


「まあ、恐ろしい……カラヴァイン様……」


 アンナは、わざとらしく身を震わせ、王子の腕にしがみつく。その仕草とは裏腹に、ファルファッラを見つめる視線は勝ち誇ったように鋭い。


「ファルファッラ様……! どうか、ご自身の罪をお認めになってくださいませ。今でしたら、カラヴァイン様もきっとお許しくださいますわ……!」


 白々しい言葉とは知りながらも、その声は妙に切々と響き、周囲の同情を誘おうとしているかのようだ。

 カラヴァインは、もはや長年の婚約者であるファルファッラではなく、この男爵令嬢に心酔しきっている。その愚かさに、ファルファッラは憐れみすら覚えた。


 周囲を取り巻く貴族の子息や令嬢たちの視線が痛いほど突き刺さる。

 その多くは、カラヴァインとアンナを支持し、ファルファッラを非難する色を隠そうともしない。まるで、四面楚歌。逃げ場などないと言わんばかりの状況だ。


(……けれど、本当にそうでしょうか?)


 ファルファッラは、冷静に周囲を見渡した。確かに、王子の取り巻きたちは意気揚々としている。しかし、少し離れた場所に立つ年配の貴族や、他国の使節たちの表情は違う。困惑、懸念、そして中には明らかに不快感を滲ませている者もいる。


 彼らは、この軽率な行動がもたらすであろう外交的な問題を理解しているのだ。

 己の感情に酔いしれている王子とその取り巻きだけが、その事実に気づいていない。


「何を笑っている、ファルファッラ!」


 カラヴァインが苛立たしげに声を荒らげた。どうやら、ファルファッラの内心の侮蔑が、微かな笑みとして表情に表れてしまったらしい。


(私も、まだまだ未熟ですわね)


 この状況の滑稽さに、思わず口元が緩んでしまったことを内心で反省する。 勝ち誇った表情の二人を見ていると、まるで道化芝居を観ているかのようだ。


「悪行、でございますか? 申し訳ございません、わたくしには何のことか、とんと見当がつきませんわ」


 ファルファッラは、努めて穏やかに、しかし凛とした声で応じた。

 実際に、彼女は王子が糾弾するような悪事など働いていない。潔白であるという自信が、彼女の態度を揺るぎないものにしていた。


「それに、カラヴァイン殿下。殿下とわたくしの婚約は、テトロドトキシン王国と、わたくしの祖国ダイヤモンド王国との間で交わされた正式な国家間の盟約。王太子といえども、個人の感情で一方的に破棄できる性質のものではないはずです。その権限は、殿下にはございませんわ」


 すべての視線がファルファッラに集中する中、彼女は静かに微笑んでみせた。カラヴァインの表情が一瞬、動揺に揺らいだのを彼女は見逃さなかった。すぐに彼は虚勢を張って表情を取り繕ったが、その背後のアンナの顔にも、微かな不安の色がよぎったように見えた。


「ファルファッラ、まだそのような戯言を! お前の悪事は、すでに明白なのだ! この場でそのすべてが暴かれ、正義の裁きが下されるであろう!」


 カラヴァインは再び声を張り上げ、周囲に自身の正当性を訴えかけた。


「悪事、とは具体的にどのようなことを指しておいでなのでしょうか? 証拠もなしに、ただ噂を鵜呑みにされて糾弾なさるとは、王太子としてあまりに軽率ではございませんか?」ファルファッラは冷静に、しかし鋭く問い返す。


 その言葉に、会場の一部から囁き声が漏れ始めた。


「確かに、証拠はあるのか?」

「公爵令嬢を相手に、確たる証拠もなしに断罪など……」

「ダイヤモンド王国との関係はどうなるのだ?」


 ファルファッラはこの機を逃さず、さらに言葉を続けた。


「殿下。根拠なき断罪は王家の、ひいてはこの国の信頼を著しく損なう行為です。

 ましてや、国家間の約束事を一方的に反故になさるなど、国際的な信義にも関わる重大な問題。決して許されることではございません」


 理路整然としたファルファッラの反論にカラヴァインは言葉に詰まり、顔を怒りで赤く染めた。


「うるさい! 証拠など些末なことだ! 私の決断こそがすべて! 私が正義だ!」


 もはや理性を失い、感情を剥き出しにする王子。その時、大広間の奥から、落ち着いた、しかし威厳のある声が響いた。


「殿下、少々お言葉が過ぎますぞ。まずは落ち着いて、話を進めましょう」


 声の主は、宰相オクローシン。白髪を蓄え、長年この国政の中枢を担ってきた老練な政治家であり、宮廷の誰からも尊敬を集める重鎮である。彼の登場に、場の空気が一瞬で引き締まった。


「どのような場においても、真実こそが求められます。カラヴァイン殿下のご主張も、そしてファルファッラ様のご意見も、双方を慎重に聞き届け、公正に審議を重ねることこそが、我々の成すべき道でございましょう」


 宰相の冷静な言葉は、熱気に浮かされていた会場に冷水を浴びせかけた。

 カラヴァイン派の貴族たちも、さすがに宰相の言葉を無視することはできず、押し黙る。


 ファルファッラは、内心で安堵の息を小さくついた。

 オクローシン宰相ならば、この状況を公正に収めてくれるかもしれない。

 そう期待しながら、彼女は再び唇に微かな笑みを浮かべた。


(さて、この愚かな茶番劇、どのような結末を迎えることになりますことやら……)


 まだ、波乱は始まったばかりのようだった。


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