〇102号室 吉田翔太
「日比木さんですか!? 吉田ですっ!」
オレは101号室に住んでいるという
大家の日比木さんの家を訪ねていた。
出てきたのはきれいなお姉さん。
だけどこの人は声が出ないという
ハンデを負っていた。
「あ、あの……」
『気にしないでくれると嬉しいな。
引っ越しは問題なく済んだ?』
「はいっ! これからよろしくお願いしますっ!」
ガンッ!!
「痛っ……」
勢いよく頭を下げたら、
開いていたドアに頭をぶつけた。
『気をつけてね。
何かあったらいつでも声をかけて』
「ありがとうございます! 静さんっ!」
『私のほうこそよろしくね』
静さんは笑ってくれたけど、引っ越し初日からカッコ悪いな。
でも! 今日からオレの新生活が始まると思うと
ドキドキする。
吉田翔太、16歳。
高校2年。
長野から上京して来て初めてのひとり暮らし。
親元を離れたのにはもちろん理由がある。
実はこの度、
プロのドラマーとしてデビューすることになったんだ。
しかも、大ファンの『ゾンビスクラップ』と
同じレーベルから。
中でもギターのRyuseiさん!
かっこいいんだよなぁ……。
Ryuseiさんはしかもオレと同じ長野出身。
初めて見たのは凱旋ツアー。
『この人、本当に音楽好きなんだ』って
オレ自身は勝手に思ってしまった。
ドラムは父さんから小さい頃から仕込まれてて、
毎日叩いてたら運よく業界の人の目に
留まったってだけ。
ドラム自体好きだけど、好きなことで
人に認められるっていうのはやっぱり嬉しい。
バンドを組むのも初めてだし、
音楽業界のことなんて何にもわかってないけど……
きっとなんとかなる!
そのくらいの気持ちじゃないと、やってけないよな!
部屋を片付けながら、オレは業者に置いてもらった
ドラムの前に座ってみる。
今日からここで練習することになるんだ。
一応このアパートは防音ってことになっている。
静さんにもドラムを置くことは事前に報告済だ。
「他のみなさんにもあとで挨拶に行かないと!」
挨拶の品はきちんと住んでいる人の分用意してある。
母さんが用意してくれたものだ。
なんでも中身は洗剤とか言ってたっけ。
母さんはオレがひとり暮らしすることには
否定的だった。
やっぱり高校生で東京に出すのは不安だとか。
それを説得してくれたのが父さん。
父さんも昔ドラムをやっていた。
今はライブハウスを経営しているけど、
本当は東京で音楽をやりたかったんだと
よくオレに話していた。
ただ自分には運がなかった。
その『運』ってやつがオレにはあるんだからって
笑って送り出してくれたんだ。
「さて、挨拶を……ん?」
デスクに置いてあった携帯が震える。
事務所からのメッセージだ。
引っ越しが終わってるなら、
顔を出しに来いという内容だ。
「とりあえずまずは挨拶からだよな。
夜中になったら迷惑だし」
オレは挨拶の品を持つと、
まずは103号室へ向かうことにした。
「すみませーん」
インターフォンを鳴らしても、応答なし。
留守なのかな?
会社員だったらまだ帰宅してないのかも。
平日の夕方だもんな。
仕方なく今度は上の階へ行く。
203号室はまだ人が入っていないみたいだけど、
他の2部屋には住人がいると聞いている。
まずは201号室。
……ここも留守。
202号室。
……誰もいない。
みんな忙しいのかな?
ちょっと出鼻をくじかれた気がして
階段を下りていく。
すると、若い女の人と髪の長い黒縁メガネの人と
かち合った。
もしかして2階の人!?
「ケン! なんでうちの大学まで来たのさ!!」
「俺、大学って行ったことねぇから
社会科見学ってやつだよ」
「ホントにもう!! だからって講義まで受けることないじゃん!」
ずいぶん仲好さそうだな。
もしかしてカップルとか?
オレがじっと見ていると、
ふたりに声をかけられた
「何ガン飛ばしてんだよ」
「アンタ誰? 2階に何の用?」
……ちょっと怖いな。
男の人はガリガリだし、女の人のほうは小さいから
ケンカしても負けはしないかもしれない。
けど、なんというか
変な威圧感がある。
「あ、あの!
オレ、今日102号室に引っ越してきた吉田っていいます!」
「んだよ、新入りか」
「ふうん」
「おふたりは2階に住んでらっしゃるんですか?
これ、つまらないものですが……」
興味なさそうなふたりに、
洗剤入りの袋を押し付ける。
「……洗剤?」
「はいっ! これからご迷惑をおかけするとは思いますが……」
「酒じゃねーのかよ」
「は?」
「ケン、この子どう見ても未成年じゃん。酒はないよ。
見た目通り、穢れも何も知らない爽やか少年ならね」
な、なんなんだろう。
この人たち……。
笑顔がさすがにひきつる。
洗剤、迷惑だったのかな。
消耗品だから、そんなことはないと思うんだけど。
「まあ、よろしく」
「は、はいっ!」
女の人は一応挨拶してくれた。
よかった。
怒ってるとかそういうわけじゃないんだ。
安心していると、男の人がからかうように笑う。
「ノゾミよりもガキが来たな。
ガキ同士仲良くしたらどうだ?」
「うるさいよ! ほら、ついでだからうち寄ってって。
新しいやつ、考えてるから」
「はいはい」
そんな会話をしながら、ふたりは202号室へ入って行った。
……ふたりって、どういう関係なんだろう?
ちょっと気にはなったけど、
余計な詮索はしちゃいけないよな。
それが都会の常識だって話も聞くし。
「よし、とりあえず103号室の人は後日ってことで
事務所へ向かおう!」
事務所へ到着すると、さっそく社長であるカナタさんの待つ
部屋へと案内された。
ノックを2回すると、
「は~い」とハスキーな声がする。
「失礼しますっ!」
ドアを開けるとそこには初めて会う社長と、
そのそばにゴスロリの少女の姿があった。
「あ~! よく来たな、翔太!」
このカナタさん……社長は、元V系バンドのギタリストだったらしい。
今でもその容姿は衰えず、
男のオレでもきれいだと思える。
整った顔立ちに、長髪も似合う。
そんな社長は見た目とは裏腹で、意外と気さく。
さっそくオレたちはハグを交わす。
「会うのは初めてだよな。
メールやメッセでやり取りはしてたけど」
「はい! これからよろしくお願いしますっ!」
離れると、ついゴスロリの女の子のほうへ目が行ってしまう。
彼女もきれいな子だな。
まるで人形みたいだ。
年齢は同じくらいといったところか?
じっと見ていたら、少女は挨拶もしないで
出て行ってしまった。
「あの、今のは?」
「えっと……ちょっと言いにくい関係者、かな。
気にしなくていいよ」
「はぁ……」
『気にしなくていい』と言われても
すごくきれいな子だったから気にはなる……。
いやいや、一応オレもこれからバンドでやっていく身なんだ。
恋とかそういうのはまだ早い!
「ところで、他のメンバーは?」
「ああ、早く会いたい気持ちはわかるが、
一応全体で顔合わせするのは明日なんだ。
ただ、今日翔太を呼んだのにはわけがある」
「なんでしょう?」
「ちょうどうちのスタジオで、『ゾンビスクラップ』が
ニューアルバムの収録をしててね」
「えっ!? 今ここにいるんですか!?」
嬉しい話で思わず顔がほころぶ。
テンションも急上昇だ。
「10階のBスタジオにいるぞ。
さっそく見学しておいで」
「はいっ!」
元気よく返事をして、もう一度社長に頭を下げると、
オレは速足で10階に上るエレベーターの前に移動した。
10階に到着すると、迷いそうになりながらも
Bスタジオを探す。
……あった、ここか。
ここに『ゾンビスクラップ』のみんなが
今まさに新曲を作ってるんだ!
「はぁ……深呼吸しないと」
大きく吸って、息を吐く。
その横を、社員証を付けた人が通りすぎ、
スタジオへと入ろうとした。
「あっ! ちょっと待ってください!」
「はぁ……」
「あの、『ゾンビスクラップ』のみなさんは?」
「ちょうど今、夕食に出てっちゃったけど。
あ、Ryuseiさんだけはいるよ。
何か用事?」
「えっと、今度デビューすることになったので、
一足先にオレだけご挨拶にと」
「わかった、呼んできてあげる」
やった! これでゾンビスクラップ……
しかも憧れだったRyuseiさんと再会することができるんだ!
「Ryuseiさ~ん、お客さんですよ!」
「………」
スタジオの奥から出てきたのは、
迷彩のつなぎにガスマスク姿の男性。
そう、彼こそが誰一人素顔を知らないという
メタルバンド『ゾンビスクラップ』のギタリスト・Ryusei。
オレの地元で、最高にかっこいい演奏をして、
音楽の虜にさせた人……。
しばらくの間、声が出なかった。
感極まってというやつだろう。
それほどオレは、Ryuseiさんと会うことを楽しみにしていて……。
これが夢なんじゃないか、
現実だったら明日死んでしまうくらい
ラッキーなんじゃないかってくらいに興奮する。
「あ、あのっ! オレ……」
Ryuseiさんはオレの顔を一瞬見た気がした。
「っ!! 」
緊張しすぎて声が出ない。
オレは勢いよくお辞儀をして、その場から立ち去ってしまった。
「はぁ、せっかく挨拶に行ったのに、
何も話せなかった……」
あのあとカナタさんと契約について話をして、
帰路に着いたのはすっかり遅い時間になった。
腕時計を見ると、すでに午後11時を回っている。
話し合いのあとにまたBスタジオに寄ってみたが、
すでに今日の収録は終了していた。
カナタさんも気をつかってくれたのに、
憧れの人とひとことも言葉を交わすことが
できなかったなんて……。
「あー、もったいないことした!
でも、明日はちゃんと話して、
今度は緊張しないように、何を話すかも考えて……」
ぶつぶつ独り言をつぶやきながら、
大通りからちょっとわきの道へとそれる。
ここからアパートまでは一方通行だ。
引っ越し業者のトラックが出られなくって、
困ってたっけ。
小さな街灯の光の下を歩いていると、
黒く長い影が揺れている。
顔を上げると、ジャージ姿にぼさぼさ頭の
男の人が前を歩いていた。
背中には大きな……あれはギターか?
向かいの大きなお屋敷の人ではなさそうだ。
だけど、この道を歩いているということは……。
「あ、あの、すみません!
ハイツ響にお住いの方ですか!?」
「……そうだけど……」
ボーッとした男の人は振り向くと
オレを見つめた……気がする。
長い前髪のせいで、どこを見られているのかわからないのだ。
「オレ、今日102号室に引っ越してきた
吉田翔太って言います!
103号室の方ですよね!
さっきご挨拶へ行ったんですけど、お留守だったので!」
「……はぁ」
うっ、会話が続かない。
今は事務所からの帰り道だから、洗剤も持ってない。
とりあえず、一度家に帰ってから
再度お邪魔することにしよう。
「これからご迷惑をおかけすることも
あるかと思うので、一度帰ったあと
またちゃんとご挨拶しに……」
ぐううっ……。
「あっ、ヤベ」
そういえばなんだかんだ言って
今日は朝から何も食べてなかった。
盛大に腹の虫が鳴って、思わず手で押さえた。
かっこ悪いな。初対面の人の前でお腹が鳴るなんて……。
「……これ、食べる?」
「え?」
男の人は持っていたコンビニの袋から、
ごそごそとカップ麺を取り出して、オレに差し出した。
「引っ越し祝い。そばじゃなくってラーメンだけど」
「いいんですか!?」
「うん。僕は笹井っていいます。よろしく」
「ありがとうございます、笹井さんっ!」
「ん……」
笹井さんはオレの隣の部屋の鍵を開けると、
さっさと入ってしまった。
なんだかあまり外に出なさそうな感じの人だけど、
楽器も持ってたし、何か音楽をやってるのかな?
意外と話も合うかも。
それに悪い人でもなさそうだ。
「……へへっ」
初めて出てきた東京。
都会は寂しいとか、アパートでも隣近所の人の顔もわからないって
話をよく聞く。
そんな中、隣人のちょっとした優しさに触れることができて、
嬉しい。
オレも自分の部屋に入ると、キッチンでお湯を沸かして
ラーメンをいただくことにした。
「Ryuseiさん、おはようございます!!」
「………」
オレは朝6時に起きると、最低限の荷物だけを持って
事務所へ向かった。
目的地は10階のBスタジオ。
レコーディングは今日もあるはず。
そう踏んで、朝食も済まさずずっと待ち伏せていたんだ。
待っていた甲斐があり、Ryuseiさんと顔を合わせることができた。
Ryuseiさんは今日もガスマスク姿。
どんな場所でも気を抜かず、素顔を出さないという噂は本当だったんだ。
オレはバッグから色紙を取り出すと、それを差し出した。
「ずっと……ずーっとファンでしたっ!
ご迷惑じゃなければ、サインをいただけませんでしょうか!?」
「………」
すっと人が通る感じがした。
頭をゆっくりとあげると、先ほど目の前にいたはずのRyuseiさんがいない。
うしろを向くと、スタジオの扉が閉まった。
……そっか、サインはやっぱりダメだったか。
がっくりと肩を落とすと、オレは気を取り直して
集合場所である会議室へ急ぐことにした。
「遅くなりましたっ!!」
「翔太、遅いぞ。
お前が最年少だけど、だからこそ一番に来ないとダメだろ」
「すみません!」
スタジオに寄っていたせいで5分の遅刻。
そのせいでカナタさんから怒られる。
バンド仲間になるみんなも、呆れた表情だ。
「みんな、彼がドラムの翔太。
翔太、ギターのヒロとベースの石坂、ボーカルのテツだ」
「よろしくお願いしますっ!」
オレは今日も勢いよく頭を下げる。
話は聞いてたけど、みんなオレなんかより大人だ……。
ハタチは過ぎてそうだな。
こんな人たちと一緒にこれからステージに立つんだ。
もっとしっかりしないと。
「こんなガキで平気なのか?」
「テツ、見ただろ! あの動画。こいつはメジャーバンドの
ドラマーよりも数十倍うまい。別次元だ」
「そうだよ。今の俺たちに必要なのは、腕の立つドラマーだ」
「一生懸命頑張ります!」
「『一生懸命』ね……」
石坂さんやヒロさんはオレを歓迎してくれてるみたいだけど、
テツさんは違うのかな。
びくびくしつつも笑顔を崩さないようにする。
これから何をするのにも一緒なんだから、
感じが悪いのはよくないよな。
「それで、君たちのバンド名なんだけど」
カナタさんの前に一列に並ぶ。
オレは一番ドアに近いところ。テツさんの隣だ。
テツさんはじろっとオレをにらんでいる。
……バンド名の発表もだけど、
こうも目をつけられると余計に緊張しちゃうな。
「じゃ発表します。君たちのバンド名は……『地獄の殺人鬼』ね」
「……は?」
「え、殺人鬼……?」
「ちょ、待ってください! 何ですか、その名前!」
オレ以外の3人が声を上げる。
それに対してカナタさんは笑顔で説明を始めた。
「ほら、間に『の』って入ってるの、今風じゃない?
あと、文章っぽいのも。
ローマ字で表記しようか検討してて……」
「いや、だからって俺たちのバンドの方向性とは逆ですよ!
『地獄の殺人鬼』って……」
「そうです! 俺らは青春系とか爽やか系なイメージで……」
「翔太の見た目とも全然合わないでしょ!」
「お、オレ!?」
文句を言っていた石坂さんやヒロさんはまだいいが、
テツさん、オレの容姿にバンド名が合ってないって……。
そりゃみんなに比べると子どもだし、
そういうダークな感じの名前とは合わないけど!
「でも、いいじゃないですか!
『ゾンビスクラップ』と同じ事務所なんですし、
立ち位置的にも……」
「なめんな、クソガキ」
「えっ」
テツさんは冷たい視線でオレをにらむ。
さっきのほうがまだマシだった。
それに、石坂さんとヒロさんもオレのことを擁護しててくれたはずなのに
テツさんと同じような目でオレを見つめる。
何かまずいこと言った……?
凍りついた場に、カナタさんの声が響く。
「君たちには、次世代の『ゾンビスクラップ』になってもらう」
「嫌ですよ! あんなコスプレバンドの後釜なんて!」
「そうだ! 誰かの真似をするためにバンドをやってるわけじゃない!」
「俺たちは俺たちだっ!!」
「まぁまぁ、みんな落ち着いて」
カナタさんに一斉に噛みつく3人。
オレだけが事態を把握できてなくて、ぽかんとしている。
場の雰囲気はどんどん悪くなっていく。
それでも一度決定してしまったことは覆せないのだろう。
バンド名だって、ただの思い付きじゃない。
会議を重ねての決定のはず。
カナタさんは3人の意見を聞こうとしない。
ただ、受け流すだけだ。
3人が吐き出すだけ吐き出したら、ようやくカナタさんは話し出した。
「正直な話、もうゾンビスクラップは終わりなんだよ。
メジャーデビューしてたった5年間だが、
作詞・作曲を担当してたRyuseiが使い物にならなくなってね。
今じゃベースのKUROやドラムのKOUが曲も詞も担当してる。
それも微妙な出来だ」
「そんな……」
Ryuseiさんの大ファンだったオレは、
頭を殴られたような感じだった。
社長に見放されたということは、もうこの事務所ではやっていけない。
「これを機に、うちの会社も売り方を変えようと思う。
ゾンビスクラップのファン層をうまく取り入れつつも、
若いファンもターゲットにする。
メタル系の曲と青春系の曲の融合が目標だ。やってくれるよね?」
にっこりと笑う社長は、昨日会った気さくなカナタさんとは違う。
音楽をやるだけじゃダメなんだ。
すべては結果。
結果が出なければ、切り捨てられる世界。
オレは……どうしたらいいんだ?
結局今日も夜遅くなってしまった。
顔合わせのあとは、さっそくヒロさんの作ってきた曲で
初めてのセッション。
社長がOKを出すまで、延々と演奏し続けるという過酷なものだ。
オレもきつかったけど、ボーカルのテツさんはノドの心配をしていた。
そしたら、それはそれで『自己管理は徹底しろ』と冷たい言葉が
飛んでいて、改めてプロになることの責任を自覚させられた。
「『好きだから』じゃダメなのかな……」
今日もとぼとぼと誰もいない部屋を目指して歩く。
すると昨日と同じように、黒くて細長い影が
前を歩いていた。
「笹井さんっ!」
オレが声をかけると、びくりと身体を震わせて
ゆっくりと振り向く。
「………」
「笹井さんも今帰りですか!?」
「……うん」
「そっかぁ!! オレもなんです!」
「………」
うーん。
笹井さん、いい人そうだしお隣同士だから
仲良くしたいなって思ってたんだけど、
迷惑だったかな。
そうは言ってもアパートまでの数十メートル、
同じ道だ。
オレは黙っている笹井さんの横を歩くことにした。
「笹井さんも音楽、やってるんですか?」
「……なんで」
「『なんで』って、ギター背負ってるじゃないですか!
いつからやってるんですか?」
「……十代の頃から」
「そうなんですか! オレもドラムやってるんです!
3歳からずっと。
父が教えてくれたんですよ。
昨日東京に出てくるまでは長野の実家で演奏させてもらってて……。
あ、オレの実家、ライブハウスでっ!」
「……そう……お疲れ様」
笹井さんは一言告げ、特に雑談もせずに行ってしまった。
オレ、ちょっとうざかったかな。
都会の距離感がいまだにつかめない。
でも、まだ2日目だし、そんなに悲観することもないか。
ぐううっ……。
「あ、そういえば今日も何も食べてないや……」
オレは仕方なく来た道を戻る。
確か近くにコンビニがあったはず。
気分が落ち込みそうなのは、食事してないからかな。
そういう風に理由づけて、自分を奮い立たせるしかない。
オレはこの街にひとりきりなんだから。
弁当を買って、テーブルにそれを広げる。
「いただきまーす!」なんて元気に声をあげても、
誰も反応してくれない。
部屋にひとりなんだから、当たり前か。
静寂が訪れる。
ご飯を咀嚼する音くらいしかしない。
これは予想以上に寂しいな……。
まずい、さっそくホームシックになりそうだ。
でも、東京に出てきてたったの2日目。
父さんだってオレに夢を託してくれたんだ。
それを裏切ることはできない。
「気晴らしに動画でも見ようかな」
デスクトップのパソコンを立ち上げると、
部屋も少しざわつく。
音があるのとないのとはかなり違う。
このブーンという騒がしいだけのファンも、
オレにとってはありがたいものだ。
お気に入りに登録してあるゾンビスクラップの動画を流すと、
幾分気を紛らわせることはできる。
でも、今日の社長の言葉。
『もうゾンビスクラップは終わりなんだよ』
本当にそうなのか?
社長がそう言っていても、
本人……Ryuseiさんはどう思ってるんだろう。
もやもやした気持ちでも、睡魔は訪れる。
お腹がふくれたオレはいつの間にか眠りについていた。
翌日もスタジオで曲合わせだ。
オレの学校が冬休みの間は、ずっと練習をして
バンドの呼吸を合わせるらしい。
新曲は今テツさんとヒロさんが鋭意制作中との
ことだ。
「何がメタルと青春系のコラボだ」
「っていうか、これ人気出るのか?」
「やってみない限りわからないな」
ヒロさんとテツさん、石坂さんは険しい顔だ。
オレもプロトタイプの譜面を見せてもらったが、
かなりドラムも激しい。
売れる曲を作るのって、難しいんだな……。
オレがそんなことを思っていたときだった。
「おーい、みんなこっちに集合」
社長が呼んでいる。
何かと思って廊下へ出ると、そこにはガスマスクの集団。
ゾンビスクラップだ。
「お前ら、きちんと挨拶してなかっただろ?
ゾンビスクラップのほうが時間できたっていうから、
わざわざ足を運んでもらったんだぞ」
相手はメジャー5年目。
それなのに、新人バンドに挨拶へ来てくれるなんて。
「それだけ落ち目だってことだな」
テツさんがぼそりとつぶやく。
やっぱりそうなのかな……。
「とりあえず、ゾンビのみんなは後輩の指導もよろしくな?」
「お世話なんてされる思い、ありませんから」
「そうです。俺たちは俺たちの音楽をやるだけです!」
ヒロさんも石坂さんも敵意むき出しだ。
先輩にそんな口の利き方って……。
オレがRyuseiさんのファンだからってこともあるかもしれないけど。
険悪な雰囲気に、俺はしょぼんとなる。
同じ事務所の先輩、後輩で仲良くできないのかな。
頭を下げていると、ぽんと何かが触れた。
Ryuseiさんの手だ。
「これからが大変だと思う。僕たちのファンを取り込む方針……なんだよね」
「ご存じだったんですね」
「……うん。それに君は長野から出てきたんでしょ? 頑張れ」
「Ryuseiさん……」
ゾンビスクラップのメンバーに挨拶が終わると、
またBスタジオへと戻って行った。
Ryuseiさんが励ましてくれた。
『長野から出てきたんだから頑張れ』って。
そうだよ。
不安なことは色々ある。
けど、オレは音楽をやるために東京へ……。
あれ?
そういえばRyuseiさん、なんでオレが長野出身だって
知ってたんだろう?
「社長」
「どうした、翔太」
「オレが長野出身って、誰かに話しましたか?」
「いや?」
社長が話したわけじゃない?
だったら誰に聞いたんだろう。
他に話した人と言ったら、大家である静さんと笹井さんくらいだよな。
練習が終わると、社長はまたオレたちを集めて
話を始めた。
「今日、地獄の殺人鬼の公式HPをリリースした。
事前にプロフィールは確認してもらったはずだが、
再度家に帰ったら間違いないか見るようにな!」
公式HPもできたんだ。
まだまだこの業界で音楽をやっていくには
不安が多い。
けど、確実に前進はしていっている。
それが正しいか正しくないかは別として。
やりたい音楽ができるかどうかも
まだわからない。
それでもオレは立ち止まっちゃダメなんだ。
家に帰るとさっそく公式HPを検索する。
社長の言った通り、『地獄の殺人鬼』で検索すると、
トップに出てきた。
オレは自分のプロフィール欄を
見てみる。
……うん、間違いはない。
事前にオレが出したものと相違ない。
下へスクロールすると、ある個所に目が留まった。
「あれ? Ryuseiさんのメッセージがある!」
ゾンビスクラップのメンバーが、
各メンバーがどんな人間か解説していた。
これもファンを取り込む一種の作戦だろう。
テツさんたちは嫌がるだろうけど……。
「さて、なんて書いてあるんだろう?」
そのまま画面を下ろす。
『彼は僕のファンだと言ってくれました。嬉しかった。
しかし、君ももう立派なミュージシャンなんだ。
同じ土俵で戦うライバル同士でもある。
だからサインは断った。
すでに自分もプロであることを自覚してほしい』
そっか。
あのときサインをくれなかったから、
もうオレのことをファンとしてじゃなくライバルとして
認めてくれていたから……。
あのRyuseiさんにライバルとして見てもらえるなんて、嬉しい。
事務所内での確執はあるけど、
オレはRyuseiさんのファンであることは変わらない。
「明日、もう一度だけ……Ryuseiさんに会いに行こう。
お礼も言いたい」
今日はきちんと夕飯の材料を買ってあるから、
自炊だ。
カレーを作ると大皿にご飯とカレーをよそう。
満腹になるまで食べると、
翌朝のために早めに風呂に入り、寝ることにした。
翌朝、Bスタジオ前。
時刻は9時。
ゾンビスクラップは昨日から缶詰で
作業をしているという。
オレは根気よく誰かスタジオから出てくるのを
待っていた。
関係者なら、誰でもいいんだ。
Ryuseiさんと話す時間が欲しい。
忙しいかもしれないけど、一言お礼したい。
収録中のライトが一旦消えると、
関係者の男の人が出てきた。
「あの、すみませんっ!」
「ああ、君。地獄の殺人鬼の……」
「Ryuseiさんに会わせていただけませんでしょうか!?
HPのコメントのお礼を言いたいんです」
「……ちょっと待ってて。Ryusei! お客だぞ~!」
男の人が大声で呼ぶと、
中からノソノソとガスマスクで顔を覆ったRyuseiさんが
出てきてくれた。
相変わらず表情も、どんな顔をしているのかさえもわからない。
それでもオレは頭を下げた。
「Ryuseiさん! HPのコメント、ありがとうございました!
サインを断った理由も……オレ、Ryuseiさんにライバルって言ってもらえて、
嬉しかったです!」
「……本当はライバルなんかじゃない」
「え?」
Ryuseiさんの言葉に、俺は思わず聞き返す。
「何言ってるんですか?」
「……もう君のバンドのほうが勝ってるよ」
「そんなことないです! だってまだ、始動したばかりで……」
「君がこれからの事務所を背負っていくんだ。
同じ故郷のよしみもある。応援してるよ」
「同じ故郷……って、そうだ! Ryuseiさん、なんでオレの地元のことを
知ってるんですか?」
「それは……昔凱旋ライブのときに見たんだ、君の演奏。
お父さんのライブハウスで。天才だと思った」
「ちょ、ちょっと待ってください! 父さんがライブハウスを経営してたことは、
社長が知ってるくらいで、あと話したのはアパートの隣の人だけ……」
オレは目の前にいるガスマスクにつなぎを着た男の体つきを
じっと見つめる。
猫背ではないが、ひょろっとした細い身体。
よく観察してみると、髪もぼさぼさ。
見覚えがある。
いつもオレの前をフラフラと歩く、あの影……。
「もしかして、笹井さん……?」
「Ryuseiがここでの僕の名前だよ。
その名前もすぐに忘れられてしまうかもしれないけどね。
事務所の方針で、そろそろ切られそうだから」
「なんで……そんなことを言うんですか?
事務所に切られないように努力しないんですか!?
Ryuseiさんのファンは、オレ以外にもたくさんいるんですよ!」
「……そうだね」
Ryuseiさんは黙ってしまう。
なんでこの人はこんなに落ち着いていられるんだ?
好きなことをやって成功したはずだ。
その『好きなこと』ができなくなってしまうかもしれないのに、
どうして平然としてるんだよ……。
「君は……音楽が好き?」
その質問にオレは強くうなずく。
好きじゃなかったら、小さいころからドラムなんて
叩いてなかった。
音楽が好き。
その理由だけで、東京に出てきたんだ。
それに、憧れの人……Ryuseiさんと同じ事務所だ。
もしかしたら一緒にセッションできるんじゃないかって
期待もしていた。
だけど、今オレの前にいるRyuseiさんは、
オレが知ってるカッコイイバンドのギターボーカルなんかじゃない。
ただ変なコスプレをした、暗い感じの兄ちゃんだ。
「Ryuseiさんは、音楽嫌いなんですか?」
「昔は大好きだった。けど、5年間活動して……嫌いになった」
「何でですか!?
好きなことで生活できるなんて、素晴らしいことじゃないですか!」
「好きなことは仕事にしないほうがいい。
まだ君は本格的にデビューもしていない。逃げるなら今だ」
「逃げる……!?」
オレはその言葉に思わずカッとなり、Ryuseiさんの襟首をつかんだ。
「好きなことから逃げるなんて、最低です!
オレは今まで、音楽が好きで好きでたまらなかった!
そして、運が味方してくれてやっとここまでたどり着いたんだ!
逃げるわけ、ないじゃないですか!」
「……そのうちわかるよ。好きだけじゃ仕事にはならないって」
襟首をつかんでいた手を弱める。
気づいてるよ、そんなこと。
昨日の社長の言葉で、『売れないと残れない』ってわかった。
好きなことをやっても、それがウケるとは限らない。
自分の好きなことだけやってても、曲が売れなかったらただの自己満足だ。
自己満足で終わるなら、地元で自由に音楽をやっていたほうが
楽しいかもしれない。
「Ryuseiさんが言いたいことはわかってます。
それでもオレは、好きだからこそ仕事にしたいんです!」
再び口を閉ざしてしまうRyuseiさん。
手を放すと、こほんと咳こむ。
つい力が入りすぎてしまった。
「ひどいですよ……。
スポットライトの光を浴びたくても
浴びることなく終わる人間もいるのに……。
あなたは恵まれた人間だから、そうやって今の立場を
簡単に捨てることができてしまうんだ!」
Bスタジオの前で言い争っていると、
そこを通る人たちが興味深そうに視線を送ってくる。
そんなこと構うもんか。
先輩にさっそくケンカを売ってるように見えたって、
それは事実なんだから。
大好きだったRyuseiさんはもういない。
「あなたみたいなミュージシャンになりたかった。
でも今は、あなたみたいになりたいなんてちっとも思わない!」
「そうだね、それでいい。
君は君のなりたい人になればいいよ」
オレは再度Ryuseiさんの顔を見る。
やっぱりマスクのせいで表情はわからない。
知らなくてもいい。
Ryuseiさんはオレの憧れじゃなくなったんだから。
もう振り向くことはなく、自分の向かわなくてはいけない
目的地へと歩き出すことにした。
「父さん……」
携帯を眺めながら、実家に電話しようか悩んでいた。
ここで電話したら負けかもしれない。
それはわかっているけど……1回だけ。
耳に電話を当てると、すぐに実家へと繋がった。
出たのは母さんだ。
『翔太……』
「母さん、元気? っていうのもおかしいか。
引っ越し、無事に終わったよ。きちんと報告してなかったよね」
『そのまま連絡が来なくなると思ってたわ』
「うん、そのつもりだった。だってそれが……」
父さんとの最後の約束。
引っ越す前日に病院で亡くなった、元ドラマーの遺志を息子が受け継ぐ。
親の死を乗り越え、すべてのしがらみを捨てて
この東京で独り立ちすること――。
それが父さんがオレに託してくれた
『夢』なんだから。
お互い無言になった。
やっぱりダメだ。
本当のオレは弱いから……。
弱いから、強くならなきゃ。
「母さん、元気でね」
『うん』
ひとこと交わすと、電源ごと切り
事務所へ戻ることにした。
メンバーが嫌がっても、ゾンビスクラップの後釜だろうとも、
『地獄の殺人鬼』が今のオレの居場所なんだ。
東京に出てきて数週間が経った。
「なぁ、吉田! お前、今度いよいよステージに立つんだって?
ネットで情報拡散されてたぞ!
マジですごいんだな」
「すごいっていうか、このために東京に出てきたんだから!」
高校のクラスメイト、高橋がオレの机の前ではしゃぐ。
高橋は、転校初日にオレへ話しかけてきてくれた。
ちょっと軽い感じはするけど、明るくていいヤツだ。
「しかもゾンビスクラップの前座なんだろ?」
「うっ、その言い方はやめてよ。
先輩たちは先輩たち、オレたちはオレたちの演奏をするだけなんだから」
「なんだよ、確執でもあんの? 気になるな~」
「そういうわけじゃないけど……」
笹井さん……Ryuseiさんとはアレ以来話していない。
アパートですれ違うこともあったけど、
向こうもこっちも話しかけることはなかった。
最初はいい人だと思ってた。
けど、笹井さんは負け犬だ。
戦おう、この業界で生き残っていこうっていう気迫が
もうない。
社長が終わりだって言った意味もわかった。
笹井さんの曲じゃなきゃ、ゾンビスクラップは輝けないんだ。
「なぁ、クラスメイトってことで、チケットもらえない?」
「ごめん! 社長にそういうのはダメって言われてるんだ」
「へぇ、案外ケチじゃん」
「っていうか、オレの初めてのステージは、父さんしか呼ばない予定なんだよ」
「そっか。じゃ、無理は言えないな~。ざんね~ん」
高橋には悪いけど、今度のライブは父さんに捧げるものって決めてるから。
通学カバンを持つと、「また明日!」と軽く手を振って
教室を出る。
今夜も練習だ。
初めてのステージ。
まだ拙い演奏でしかないと思う。
それでも、今あるオレの全力を出し切って、あの空の向こうにいる
父さんに見てもらいたい。
「夕日、きれいだな……」
通学路にある歩道橋を渡ると、そのまま駅へ。
都会の電車はスムーズに来る。
時刻表を見る必要もなく、事務所の最寄り駅に着くと
カバンの中に入っていたドラムスティックを握りしめた。
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