魔境の試練 二

 仲間に声をかけられて目が覚める。もう朝が来たようだ。


 アルフェリムは、明るさが広がりつつあるテントの中で、瞼を押し開いた。

 頭痛がする。体が重く、まるで濁った湖の底で水草に絡めとられているようだ。

 このところ疲労がたまっている様子のアルフェリムを気遣い、同室のミラーノはひとりで夜警の当番をこなしてくれていた。有難いが、いつまでも甘えるわけにはいかない。きちんと食事と睡眠をとって今日こそ元気に過ごしたい。そんな気持ちとは裏腹に、辛さは募る一方だ。

 悪心も強かったが、食事を取らずに回復できるはずもない。どうにか身を起こし、テントの狭い入り口から外へ出ようとしたところで――胃がひっくり返るような強烈な吐き気に襲われた。たまらず、中身を吐き出してしまう。

「うっ……ぐ……」

 胃が熱い。しかし、体は冷え切っている。筋肉痛もひどく、皮膚が衣服にこすれるだけでも痛みを感じる。

 形容しがたい気持ち悪さのあまり、アルフェリムは胸を押さえてその場で蹲り、動けなくなってしまった。


「アルフェリムさま?」

 レオニアスの声だ。いつまでもテントから出て来ない仲間を心配したのだろう。

 彼はすぐ異変に気付き、アルフェリムを抱え起こすと、仲間を呼び集めた。


* * *


 さすがのアルナールも、険しい表情で事態を見守る。


 アルフェリムの容体が、快方に向かう気配はない。不自然に白い顔色、ひび割れた唇、浅い呼吸。体温は高くないのに、ぐっしょりと汗をかいている。先ほど、レオニアスが着替えさせた。


 虹の神殿を出立して10日目。一面の砂の海から岩石地帯へと差し掛かった今、もうしばらく進んで、身を隠せる岩窟がんくつなどを確保してしばらく休息するつもりでいたのだが、アルフェリムの体はそこまで持ちこたえられなかったようだ。


 医療に関しての第一人者であるシアンに診させたが、全員が同じものを口にしているので食中毒の線は薄いし、それでは考えられない症状もあるという。

「ただ……」

 アルフェリムの脈を取りながら、シアンはある推測を口にする。

「神殿の資料にあったんだけど、これひょっとしたら、魔境の毒による中毒症状かもしれないわ」

 それならば何故他の人間は無事なのか、疑問が残る。


 レオニアスも同じことを考えたようで、「水や食料は、ウヌ・キオラスが『闇夜の抱擁』で浄化してくれたものしか口にしていないはず」と意見を述べ、その途中で慌ててウヌ・キオラスの肩を叩く。

「べつに貴方が手を抜いているとか、そういうことを言ってるんじゃないからね。あくまで事実の確認――」

「それだぁっ!!」

 青い顔でオロオロしていたはずのウヌ・キオラスが、急に叫んだ。

「これ、師匠の言ってた『花粉症』かもしれない。私にもちょっと診せて」

 

 ウヌ・キオラスは、テントの出入り口部に設置したキャノピー(日陰を作るためのひさし)に寝かせたアルフェリムのそばに傍にかがむと、月と星の錫杖を片手に、もう片方の手でアルフェリムの腕を取った。そして「あー、毒素がいっぱい」と痛みをこらえるように顔をしかめながら呟く。

 その後頭部をわしづかみにするアルナール。

「どういうことか、きちんと説明しなさい」

「分かってるよ! あのね、つまり食べ物や水じゃなくて『空気』の汚染が原因で中毒になったんだ」

 大気まで浄化していないので、呼吸の際に毒を吸い込んでしまったということらしい。

「なんでアルフェリムだけなの?」

「えーっとね、だから、花粉症なんだ。同じように花粉がいっぱいのところにいても、平気な人と、くしゃみしまくる人がいるじゃん? 逆に言うと、いま症状が出ていなくても、みんな毒素は吸い込んでいることになる」

 全員が顔を見合わせた。


 アルナールは、改めてウヌ・キオラスに尋ねる。

「対処法はあるの?」

「……これが魔性の毒である以上、『闇夜の抱擁』で浄化は可能なはず。私がやってみる」

 そして、ウヌ・キオラスは錫杖しゃくじょうに額を押し付け、女神へ祈りを捧げた。

「清淑にして罪深き我ら、女神の慈悲をこいねがいます。どうか、命あるものをお救い下さい。しもべに、命を救う力をお授けください」

 すがるような、切ない声色が風に流れる。


 以前に、ウヌ・キオラスが話しているのを聞いたことがある。

 精霊たちの使う、魔性を遠ざける祝福シュエルテ『女神の息吹』も、魔性の毒を除去する祝福シュエルテ『闇夜の抱擁』も、祝詞のりとがなければ使えないというものではないそうだ。それは特に不思議な話ではなくて、人間も祝福シュエルテを使用できるが、呪文のようなものを唱える必要はない。

 彼が祝福シュエルテを使うたび祈りを捧げるのは、女神への敬意を表す意味のほかに、精神統一の性質も持っているからだという。


 祈りを終えたウヌ・キオラスは、瞳を閉じ、無言でアルフェリムの手を握っていた。しかしやがて、頭を振って瞼を開くと、不安げにアルナールを見上げる。

「どうしよう、力が、体の中に留まらない。こぼれていってしまう」


(聖水を使うしかない、か)

 聖水は汎用はんよう性の高い医薬品だが、死に瀕した者を蘇らせるほどの劇的な効果はない。患者の体力が残されているうちに使わなければ手遅れになる。数に限りがあるため様子を見ていたが、症状が改善されないのであれば使用するほかないだろう。

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