第2話「キツネの神さまを仲間にする」

 前世でリーマン (24歳独身)だった俺は、あの雨の日、居眠いねむりり運転のトラックにひかれて死んだ。

 その後、異世界に転生したんだ。

 トライト王国の貴族、ナーランド伯爵家はくしゃくけの次男、トウヤ・ナーランドとして。


 だけど、転生先の伯爵家は没落ぼつらくしていた。

 だから俺は冒険者になるために、森の奥にある湖にたどりついた。

 そこで、稲荷神のハツホさまと出会って……前世の記憶を取り戻したってことか。


「あなたは、あの神社の神さまなんですか?」

「そうじゃ」


 狐耳きつねみみの少女はうなずいた。


「改めて名乗ろう。わらわは稲荷神いなりしんのハツホと言う。わらわはお主とともにこの世界にやってきた。そして、お主と再会するまで、この場所で、霊的れいてきな状態で、眠りについておったのじゃよ」

「霊的な状態?」

「幽霊みたいなものじゃな。他の者には姿は見えず、触れることもできぬ状態じゃ」

「……なるほど」

「わからぬでもよい。とにかく、わらわはお主と出会ったことで、目覚めることができたのじゃ」


 稲荷神いなりしんnのハツホさまはうなずいた。


「お主とはえんがあるでな、いずれは会えると思っておった。この湖は……なんか霊的なものが強い場所じゃからな、わらわが眠るのにちょうどよかったのじゃ。まあ、ずいぶんと待たせるものじゃと思っておったが」


 むふー、と鼻を鳴らす稲荷神のハツホさま。


 きつね色の長い髪。

 腰のあたりで結んだ髪。

 頭の上からは、同じ色の、ふさふさの耳が出ている。

 ふわふわとした尻尾もある。


 ただ、着ているものがこの世界とは違う。

 前合わせの上着を帯で止めた──俺の前世で言う、和服だ。

 そこに緋色ひいろはかまをつけている。


 確か……あの日にお参りした神社には、稲荷神をまつったお社があった。

 ちゃんと覚えてる。

 めい茉莉まつりが回復するように、全部の社を回ってたからな。

 小さなやしろにもお賽銭さいせんを入れて、祈った。

 このハツホさまがその社の神さまなのか? 本当に……?


「いや……でも、神さまが実在するなんて信じられないんですが」

「転生している人間の言うことか!?」

「そうだけど」

「じゃろう?」


 稲荷神のハツホさまは胸を張った。

 身長は俺より少し低いくらい。

 彼女は大きな胸を揺らして、俺を見てる。


 ハツホさまが神か、それに近い存在だということは疑ってない。

 俺が茉莉まつりの回復を祈ったことを知っているのが、その証拠だ。


 あの日、俺は社の前で、彼女の回復を祈っていた。

 夜遅かったから、小声で。

 あの場に俺以外の人間はいなかった。

 なのに俺の願い事を知っているということは、ハツホさまは本当に神さまなんだろう。


「でも……どうして日本の神さまが異世界にいるんですか?」

「おぬしが原因じゃな」


 ハツホさまは目を細めた。


「おぬし、うちの神社におまいりしたじゃろ?」

「お参りしました」

「そのあと、トラックにはねられたじゃろ?」

「はねられました」

「そのときにお主の血が、わらわの社と鳥居とりいにかかってしまったのじゃよ。ついでに言うと、お主の様子を見に行っていたわらわも、お主の血をあびてしまった。それでわらわとお主の間には、深いえにしができてしまったのじゃ」


 俺が転生した理由は、ハツホさまにもわからないらしい。

 ただ、俺の血を受けた彼女は、俺と深い縁ができた。

 そのせいで、俺が転生したときに、こっちの世界に引っ張られてしまったそうだ。


「我も抵抗ていこうしたのじゃよ。本宮ほんぐうの神に『なんとかしてくれ』と願い出ておったし」

「本宮の神さまはなんと?」

「『これもなにかのえんだろう』と言って、見送るだけじゃった」

「えー……」

「仕方ないのじゃ。あの世界は神が八百万やおよろずもおるからのぅ」

「神さまがたくさんいるって本当だったんですね……」

「じゃからの、わらわひとりがいなくなったところで、誰も気にせんのよ」


 ハツホさまはため息をついた。


「というわけで、わらわはお主と一緒にこの世界にやってきた。でもな、肝心かんじんのお主が前世の記憶を取り戻しておらんかった。いわば、記憶が眠りについておったわけじゃ。わらわもそれにつられて、この地で眠っておった。その後、お主がここにやっってきて、わらわを見つけたじゃろ?」

「あ、はい。俺はハツホさまを見て、前世の記憶に目覚めました」

「うむ。お主とわらわをつなぐ『えにし』が、わらわを目覚めさせたのじゃ」


 ハツホさまは岩の上で立ちあがる。

 それから、彼女は俺を、びしりと、指さして、


「では、話を戻すとしよう」

「話ですか?」

「うむ。わらわがお主に興味きょうみを持ったのは、言いたいことがあったからじゃ」

「言いたいこと……」

「そうじゃ!」


 ハツホさま……怒ってるのかな。


 まあ、そうだろうな。

 俺と縁ができたせいで、見知らぬ世界に来ることになったんだから。

 文句くらい言いたいだろう。


 俺は地面に正座した。

 神さまからお説教を受けるんだから、きちんとしないと。


「まずは聞こう。お主のこの世界での名前は?」

「トウヤ・ナーランドです」

「では、トウヤ・ナーランドに、稲荷神いなりしんのハツホがもうわたす」


 ハツホさまは、じっと俺を見て、


「お主! もっと自分を大切にせよ────っ!!」


 そんなことを宣言した。

 ………………って、あれ?


「あの……神さま」

「ハツホでよい」

「じゃあハツホさま……怒ってないんですか?」

「なにがじゃ?」

「ハツホさまは俺のせいで、異世界に転移することになったんですよね?」

「トラックにはねられたのはお主のせいじゃなかろ?」

「そうですけど……」

本宮ほんぐうの神さまは『運転手にはバチを当てておく』と言っておった。あと、お主の願いもかなえてやるそうじゃ。お主のめいの怪我じゃが、治ったはずじゃぞ」

「ありがとうございます!!」

「そこじゃ!」

「どこです?」

「なんでお主は人のことばっかりなのじゃ!? もっと自分を大切にせよ!! だいたいお主、雨の中で1時間以上祈っておったじゃろ!? かさもささずに!!」

境内けいだいの中は樹が生えてて、雨をさえぎってくれましたから」

「そういう話ではないのじゃ!」

「そうなんですか?」

「寒い中、いのっておらんでもよいのじゃ! 帰って寝ろ!」

「そんなこと言われても」

「そもそも仕事が遅くなったのも、後輩の尻拭しりぬぐいいをしておったからじゃろ?」

「なんで知ってるんですか?」

「コンビニは神社のご近所さんじゃ。だから、お主が電話する声が聞こえたのじゃよ。あのなぁ……お主」


 ハツホさまはため息をついた。


「面倒見がいいのは結構じゃが、自分を犠牲ぎせいにしてどうする? そんなことじゃから死んじゃったのじゃろう? わらわをあまり心配させるでない」

「俺は……まわりの人が傷つくのが嫌なんです」


 気づくと、俺はそんな言葉を口にしていた。


「俺は前世では、子どものころに両親を亡くしてます。伯父さんの家に引き取られたけど、その伯父さんは病気で働けなくなりました。それからは、他の家族が家計を支えてたんです。姉貴は相手を見つけて結婚しましたけど、結局、離婚りこんしちゃいました。その後、新しい相手と幸せになったんですけど……今度は茉莉まつりが事故にあって……」

「それはお主のせいではなかろ?」

「俺が疫病神やくびょうがみなのかもしれないじゃないですか」

「お主って、わらわよりえらいの?」

「え?」

疫病神やくびょうがみって、めっちゃメジャーな神なんじゃが。わらわよりくらいが上なんじゃが?」

「……えっと」

「え? なに? お主って神なの? わらわより偉いと思っておるの?」

「いえ……そんなことはないんですけど」

「じゃろう!?」


 ハツホさまは歯を見せて笑ってっみせた。

 それから、俺の背中をたたいて、


「わらわが保証する! お主は疫病神やくびょうがみなどではない!! まわりの人間の不幸は、お主のせいではないのじゃ! だから、もっと自分を大切にせよ!!」

「は、はい」

「ならばよし!」

「ありがとうございます。ハツホさま」

「言うべきことを言って、我も満足じゃ!」


 腰に手を当てて、からからと笑うハツホさま。

 この人はまちがいなく神さまだ。

 俺が前世から抱えていた悩みを、一瞬で消し去ってくれたんだから。


「ところで、ハツホさま」

「なんじゃ?」

「ハツホさまは、これからどうするんですか?」

「……………………うむ」


 ハツホさまはまわりを見回した。

 ここは伯爵領はくしゃくりょうの森の中。

 まわりにあるのは湖と森だ。

 鳥居とりいやしろも、どこにもない。


 こんなところに来るのは俺くらいだろう。

 ここでハツホさまがどうやって過ごしていくのかというと──


「…………どうしよう?」

「考えてなかったんですか!?」

「異世界に転移した神さまなんて、わらわが史上初なんじゃもん!」


 ぺたん、と地面に座り込むハツホさま。


「お主のことばっかり考えてて、他のことが頭から抜けていたんじゃもん! 仕方ないんだもん。人間をみちびくのが神さまの仕事なんだもん!!」

「わかりました。俺がなんとかします」

「大丈夫なのか?」

「大丈夫です。うちは貴族ですから」

「貴族? 平安貴族へいあんきぞく華族かぞくみたいなものか?」

「まあ、そんな感じです。ただ、うちは貧乏びんぼうですけどね」

「貧乏じゃと!?」

「ぶっちゃけ没落貴族ぼつらくきぞくです。だから俺は冒険者になってお金を稼ぐつもりなんです。この森に来たのは、その腕試しのためだったんですよ」


 祖父の代までのナーランド伯爵家はくしゃくけは、裕福ゆうふくな名家だった。

 それが傾き始めたのは、父さんが当主になってからだ。


 人のいい父さんは知人を信じて、事業の共同出資者になった。

 そしたら事業は大失敗。巻き添えになった父さんは、莫大ばくだいな借金を作ってしまった。


 折悪おりわる寒波かんぱがやってきて、領地の作物が大被害を受けた。

 領民を守るために、父さんはさらに借金を重ねた。

 その後、借金を返すために領地の開発をはじめたけど、成功したものはひとつもない。

 金額は……もう、返すのが難しいレベルになっている。


 俺は次男だ。家督かとくぐことはできない。

 なのに、借金まみれの家に頼るのもなー、と思って、冒険者を目指すことにしたんだ。


 この世界では、貴族の子どもが冒険者になるのは珍しいことじゃない。

 基本的に爵位しゃくいは長男しかげないからな。

 次男や三男は傭兵ようへいになったり、武官や文官になったり、冒険者になったりする。


 戦闘関係の仕事が多いのは、この世界には魔物がいるから。

 貴族は魔物と戦って、領地と領民を守る義務がある。


 というか、戦えない貴族はなめられる。

 領民を守れない貴族の領地は、他の貴族に奪われることもある。『領民保護のために介入する』って。領民の方も、民を守れない貴族にはついていかない。


 そんなわけだから、俺も祖父から戦い方を学んでいる。

 祖父はめちゃくちゃ強かった。

 国王陛下とくつわを並べて、魔物討伐をしたこともあるそうだ。


 俺は祖父から戦い方を学んで──

 祖父が亡くなったあとは、ひとりで修行をして──

 15歳になったから、冒険者登録の前の腕試しとして、森に入り──


 こうして、ハツホさまと出会ったというわけだ。


「これから俺は冒険者としてお金をかせぎます。ハツホさまひとりくらい、やしなってみせますよ」

「お主、わらわの話を聞いておった?」

「聞いてましたけど?」

「じゃあ、どうしてそういう結論になるのじゃ!?」

「どうして、って……」

「わらわは言ったじゃろ? 自分を大切にしろって言ったじゃろ? 他人のために自分を犠牲ぎせいにするものではないと、びしりと言い聞かせたじゃろうが!?」

「最後のは聞いてませんけど」

「これから言う予定だったのじゃ!」

「そんなこと言われても」

「わらわはお主を困らせるために異世界転移したんじゃないのじゃぞ!!」

「でも、ハツホさまをこの世界に引っ張り込んだのは俺ですから」

「この頑固者がんこものめが────っ!!」


 ハツホさまは俺をにらみつけて、叫んだ。

 それから、肩で息をしながら、


「よーし、わかった。ならば、世話になる代わりに、わららはお主の手伝いをする!」

「え?」

「お主を守護しゅごする神さまになる!! なるったらなる!!」

「…………あ、はい」


 ハツホさまは大きな胸を揺らしながら、ほほをふくらませてる。

 ……うん。手伝ってもらうのは、助かる。


 これから俺は冒険者として働くことになるからな。

 ハツホさまには、その手助けをしてもらおう。

 彼女の生活費くらい、俺が稼げるだろ。


「そういえばハツホさまって、どんなものを食べてらっしゃるんですか?」

「人間と同じでよいぞ」

「そうなんですか?」

「普通におそなえ物とか食っておるし、太古には人間と暮らした神もおったしなぁ」

「わかりました。じゃあ、表向きは俺の仲間ってことにします」


 俺はうなずいた。


「これからよろしくお願いします。ハツホさま」

「うむ。お主の願いを叶えよう!」

「無理しないでくださいね」

「お主こそ、無理して我を引き取ることはないのじゃぞ?」

「大丈夫ですよ」

「本当かー? 我は神じゃぞ? まわりの者にどう説明するのじゃー?」


 俺の顔をのぞきこんでくるハツホさま。

 まあ、なんとかなるだろう。


 俺はハツホさまを連れて、伯爵家はくしゃくけに帰ることにしたのだった。

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