第4話 アーティスト

 連れていかれた廊下の先、黒服が蛍を教室へ放り込む。

 途端に凄まじい悪臭に顔が歪む。それは蛍だけではなく、黒服も同じだった。


「う……。こ、ここに道具はある。あとは……」


 黒服は蛍の要求したメモを見て眉間に皺を寄せた。


「…… ? 三番目のこれは…… ? 何故 ? 」


「いや、これは不可能じゃないか ? ルキさんに報告した方がいい」


 黒服二人が困惑する。

 蛍は教室へ入るとぐるりと見渡す。

 どんなにオンボロな木造校舎でも、やってる事は同じだ。


 掲示板に書道の発表と、給食の予定表。掛け算九九のマグネットと、教員用の机……田舎だからか五個しかない児童用机。


「あ、あの ! 」


 黒服の一人が、スマートフォン片手に慌てた様子を見せる。


「ルキさん。涼川 蛍の要求したものの中に、矛盾したものが…… 」


 蛍の要求したもの。


 一つ目は女性と赤子。

 二つ目は男性の焼死体と十二人の男の遺体。

 三つ目は……


「古川 香澄は参加者で、まだ生存してます ! 」


 蛍の三つ目は香澄の遺体だった。


「どうしますか ? 」


 電話口からルキの楽しんだ声色がする。


『ケイがそう書いたの ? じゃあ、問題ないんじゃない ? 』


「えぇ ? 」


 その時、教室の扉が思い切り開く。


「蛍 !! 」


 香澄だった。

 どれだけの妨害工作を振り切ったのか、血まみれだった。よく見ると引っかき傷や鋭利な物で斬られた跡があるが、どれも致命傷では無い。暴れ、制止させる為だけに付いた傷だろう。


「蛍ちゃん ! こいつらそんな強くないよ……早く逃げよう !? 蛍ぃ〜 ! 」


 だが、蛍は振り向きもしなかった。

 窓の外を眺め、教室の電気を点ける。そして置かれていた児童用机をガタガタと移動させる。


「なんだよ ! なんでだよ蛍〜 !! 」


 直後、西校舎担当の黒服が駆け付け懐から銃を抜いた。


パンッ !!


「あぁっ !! 」


放った銃弾が、いとも簡単に香澄の心臓を貫いた。


「う、うわ ! 危ねぇな ! 」


「こいつ、俺の足を噛みやがったんだ ! 」


糸の切れた人形のように、目を見開いたまま香澄は床に崩れ落ちた。


「え…… ? じゃあこれって……」


『銃声……。もしも〜し。

 香澄ちゃんは死んだのかい ? 』


 立ちすくんだ黒服のスマートフォンからルキの声がする。


「は、はい。西から脱走してしまいました。マニュアル通りに……。

 一人、怪我を……いえ、軽傷です」


『はは…… ! ケイは流石だね。

 要求通りに古川 香澄をケイに聞いて運んであげて』


「は、はい」


 香澄が撃たれたその瞬間。

 たった一時でも、蛍が香澄に視線を向けることは無かった。開いたままの眼球の中、何の感情もない蛍の後ろ姿だけが揺らめく。


「……あいつ、頭おかしいんじゃねぇか ? 」


「確か幼馴染なんだよな ? 」


 黒服の方が余程……しかし、蛍は全く別の事を見ていた。


 葬儀屋で培った技法と教え。

 それに相対する自分の本能。


 そして、それをルキに見せつけるというマウント。


 蛍の精神はルキとは質が違った。


「くだらない見世物大会に付き合ってやるよ、ルキ」


 蛍は道具の中からナイフを取り出すと、一つだけ色の違うカメラを見据える。観覧者に繋がれたカメラとは違う。その先にいるのはただ一人。ルキだ。そのカメラへ真っ直ぐナイフを突き付ける。

互いに感じる敵意と防衛本能……。

カメラ越しに交わる視線。その目元はどちらも刃のように鋭い。


「ふ……そうでなくちゃ」


ルキは蛍のカメラを一度切る。


「楽しみだな……あぁ、楽しみ……。俺はなんて幸運なんだ」


背後にいる黒服は意味が分からず、ただジッとルキの挙動を伺うだけだ。


「さて、お客様は……へぇ、二階が人気かぁ」


 モニター越しの部外観覧者は二階東、芸大生の動きに夢中であった。香澄の死などまるで誰も気にしていなかった。


□□□□


二階 東棟。

 芸大生 山本 美果。


 彼女の要求した物は見目の良い女性の遺体。状態は上半身〜頭までがある、外傷のない遺体。そして少しの裁縫道具と粘土、そして石膏であった。


 ブロンドの女性の遺体が用意された。見た所目立つ傷は確かにないようで、穏やかな眠りについていた。


 美果は針に糸を通すと、そっと唇を縫い付ける。これはエンバーミングに行う手法であり、葬儀屋の蛍の方が詳しいだろう。勿論、資格もない彼女がやってはいけない処置だが……ここでは許される事を理解したのだ。

 最初こそ震えていた美果だったが、一人きりの教室に日没の絶望感。

 そして逃げられる可能性を踏み躙るような屈強な男達の見張りと、先程の銃声。

 行動しない事には生きて帰れないと、本当に悟った。


 その時に降りて来た。

 そう──降りて来たのだ。


 そう。往々にして創作者に訪れる、閃きのイカズチである。


 ルキも観覧者も美果に釘付けになったのは、その豹変ぶりであった。


 彼女は生粋の芸術家だった。

 彫刻の経験はあったが、それほど造形は得意な方では無い。

 だからこそ思いついたのかもしれない。


 デスマスクの作成。


 一般的には知られていないが、デスマスクが保存されている著名人や、死後に自分のデスマスクの作成を依頼する事例はある。


 美しい金糸の様な髪に白い肌。

 その顔に頬を寄せる勢いで美果はそっと唇の糸を切る。


 その表情にはもう恐怖の色は無かった。

 先程まで着ていた、自分とは不釣り合いなけばけばしいチュニックを脱ぎ捨て、デニムと黒シャツ一枚の姿。

 作業をしていくその鋭い眼光は、まさに職人域の集中と光を写す。この姿は誰もが魅力的な美果だと思うだろう。


 ついに聖女の様な美しい女性のデスマスクが出来上がる。


「はぁ……よし……。

 あとは……つ、次は男性 ! 男性をやるわ ! 」


「かしこまりました。用意します」


 黒服が下がる。


 美果は結局、教室一部屋につき一体の人体を使い、デスマスクを作成した。

 例え法に触れるような事をしても、自分の意思で選べるものは全て芸術に捧げる。そうでないと、今日、生きて帰れない。


 美果は人体をいたぶることも、粗末にすることもなかった。

 ここにいる被害者や遺体の山の中で、このマスクの彼女たちは『存在したのだ』という証明と供養の強い祈り。


 観覧者はモニター越しに皆、ルキ側に着信を入れ始めた。

 観覧者達はこのモニターの映像を様々なプライベートエリアで観ているが、その中でも特に男性を中心にルキに取り次ぐよう話が来る。

 デスマスクが欲しいのだ。

 それほど、貴重な物だからだ。

 そもそも貴重な物で、作れる者も多くは無い。飾るには身内のマスクでは心が痛むし、客人が来た時も心象が悪い。


 だが、あれはどうだ ?

 美果の作り上げたマスクはまさにレリーフのように美しい。

 元の女性が誰もが認めるほどの美女だった為余計にだ。


 二体目の男性は恐らく日本人だろうシワの多い、老年の男。

 そのマスクは正確に人間を写す。神経質そうなシワの入り方と堅物そうなへの字口。

 それがマスクにすると、まるで仁王の様な、東洋の独特な畏怖のイメージが色濃く仕上がった。

 三体目は子供。男女の双子で、この子らもまさに天使のようだ。

 必死に型を取り石膏の準備をする美果は、自身の信じた芸術の道を行く……アーティストだった。

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