第47話 ついに卒業式当日だ!それにしても・・・さ、寒い。寒すぎる!まずは機械を暖めなければ!
3月1日。卒業式の当日だ。朝一番に来た私達は放送室を開けると、早速マスターの電源を入れ、さらに電気ストーブも点けて室内を温め始めた。
ちなみに“マスター”とは、学校や公民館の放送室に設置されている、アナウンス用マイク、スライダック、パワーアンプ、イコライザー、電源装置、接続端子盤パネル、スピーカー選択パネル、ジャンクションパネル等が一体化している放送システムのことだ。このシステムなんだけど、メーカー毎に“学校用AVシステム”“放送卓”“音声調整卓”と言うように名称はバラバラで、決まった名前は無いみたい。なので、うちの学校では、呼びやすいから、と言う理由で“マスター”と呼んでいるんだ。行事や式典に対応するために体育館のマスターには、さらにワイヤレスマイクチューナー、CDデッキ等を接続している。
さて、このマスターには、まだまだアナログ機器が使われている。と、言うよりも予算等の事情で、学校の放送機器は耐久限界が来て壊れない限り更新されないのが普通だそうだ。そのため、どこの学校でも五〇年くらいは平気で使われ続けているらしい。だから、音響に欠かせないパワーアンプも、流石に最古の真空管アンプは使われていないけど、一世代前のトランジスタアンプはまだまだ現役で、オーディオアンプICが使われていないことも多い、と鯨山君から聞いている。
トランジスタアンプは、気温によって音質やサステイン(※音楽において、楽器の音が発生してから、音が途切れるまでの余韻のこと)が大きく変化するのが特徴だ。20℃から40℃代で最高のパフォーマンスを示す一方、20℃以下の低温下や50℃以上の高温下では、耳で聞いて判るほどはっきりと能力が低下する。これは、メカに詳しくない私でも、はっきりと体感で判るから事実だ。
3月に入ったとは言えまだまだ寒い。特に山の中腹にあるうちの学校は、標高が高いこともあって午前7時の段階で気温は5.6℃しかなかった。こんだけ温度が低いと放送機器は悲惨なレベルの音しか出せないので、本番までに機材の温度を上げておく必要があるのだ。元々放送機材は発熱量が多い。だから起動させてから数時間も電源を入れっぱなしにしておけば十分に温度が上がるものなのだが、今は気温が低過ぎるため空気が熱を奪ってしまい、思うように温度が上がらない恐れがある。だから、真っ先に電源を入れて部屋を暖めるんだ。
機械の温度を上げることと音響のチェックを兼ねて、王子浜君が音楽を流し始めた。人気の無い体育館内にバッハの曲が荘厳に流れる様は、これから始まる卒業式への想いと相まって寂寥感が広がっていく。そんな中、皆は黙々と機材チェックをこなしていった。昨日、チェック済みだから、5分もしない内にすべてのチェックは終了した。
「ご苦労様。保護者の受付は9時からだから、それまで休憩しましょう。」
体育館に持ち込まれたストーブ全てに点火し終えた神倉先輩が声をかけてくれた。
「有り難うございます。」
「ここは寒いわ。生徒会室に行きましょう。」
そう言って、悠々と体育館を出ていく先輩の後を、私達は急いで追った。
生徒会室はすでにストーブで温められており、ポットのお湯も沸いていた。
「予め、準備されていたんですね。」
「ええ、去年も2時間近く体育館で待機していて、すっかり体が冷えてしまったから・・・。体調を崩して本番が上手くいかなかったら本末転倒でしょう?だから、今年は端から9時まではここに避難しておくつもりだったのよ。」
「あぁあ、先輩!お茶なら私が入れます!」
先輩が何の躊躇もなく皆の分のお茶の用意を始めたので、慌ててそれを止め、茶筒を奪い取った。
「あら?ゆっくりしてていいのに。」
「何言ってるんですか!こう言う雑務を先輩にさせておいて、自分達は寛ぐ後輩なんて聞いたことありませんよ!」
私が叫んだ途端、響子ちゃんも紙織ちゃんもすぐに事態に気付いて動き始めてくれていた。
「皆!お茶が良い?それともコーヒー?」
男子3人組は、互いの顔をちょこちょこっと見合したかと思うと、鯨山君が右手を挙げて、
「俺たちはコーヒーがいいでーす!」
と返事してくれた。・・・こ奴ら、もしかしてテレパシーが使えるのか?
「先輩はどちらですか?」
「あ、そうね。寒いんだから甘味のある飲み物の方が良いかもね。・・・じゃぁ、コーヒーをお願い。」
「了解です!紙織ちゃんもドルフィンちゃんもコーヒーでいい?」
「はい!皆に合わせます!」
私の返事を肯定するように、紙織ちゃんは無言でうんうんと顔を縦に振っている。
それを受けて、響子ちゃんは人数分のカップを並べ、すかさず紙織ちゃんがスプーンでインスタントコーヒーを適量ずつカップの中に入れていった。それを端から私がポットから湯を入れていくと、鰹島君と王子浜君が皆の席へと運んでくれた。
「砂糖の量は好みがあるだろうから、皆、自分で入れてね。」
「了解。」
「りょ。」
「はいな。」
「うむ。」
「構わぬ!」
あはははは、と先輩が明るく笑った。
「やっぱり、貴方達と一緒に居てるとホッとするわね。気が置けなくて良いわぁ。」
「生徒会はそうじゃないんですか?」
響子ちゃんが無遠慮に訊ねた。
「ええ。責任ある仕事が多いから、互いに気を置いてしまうことが多いのよ。仕方がないのだけど・・・。」
そう言った先輩の横顔には、何時もの陽光のような明るさは無く、少し寂しそうに見えた。
☆
9時になり、私達は体育館に戻った。他の役員さん達と一緒に式場に入場するからと、先輩は生徒会室に残った。
丁度受付も始まっていて、担当の先生方が忙しそうに保護者の対応をしていた。早くからストーブを点けていたからか、体育館の中もほんのりと温かくなっていた。
「さて、機材の最終点検を済まそうか。」
鯨山君の合図で皆が散らばった。
「こちら壇上マイク。あーあーあー、テステステス、しっしっしっ・・・OKです。」
「こちらMCマイク。あーあーあー、テステステス、しっしっしっ・・・OKです。」
「こちら送辞用マイク。あーあーあー、テステステス、しっしっしっ・・・OKです。」
「こちらワイヤレスマイク1。あーあーあー、テステステス、しっしっしっ・・・OKです。」
「こちらワイヤレスマイク2。あーあーあー、テステステス、しっしっしっ・・・OKです。」
「了解。マイク全てOKでした。CDデッキは現在、会場内にBGMを放送中。問題なく音が出ています。」
「舞台上の照明をONにします。・・・ONしました。照明確認。このまま点けておきます。」
「よーし、オールOKだ。では、各員開始時刻まで待機だ。」
と、そこに音楽の北摂先生が顔を覗かした。
「ちょっといい?ピアノの音出しをやりたいんだけど。」
「はい!勿論です!BGMは消しますか?」
「いいえ。それは大丈夫。」
そう言って、先生は舞台上に移動してピアノの鍵を開け、弾き始めた。国歌、校歌、式歌の順に一通り弾くと、ピアノを弾ける状態のままにして放送室に戻って来た。
「寒いから、出番以外は放送室に居ていい?」
「勿論ですよ。ドアを開けた状態にしておけば出入りは目立たないと思いますので、開けたままにしておいてください。」
「有り難うね。」
「いえいえ。どうぞ、ストーブの前で温まってください。」
そんな遣り取りをしている間に時刻は9時40分になり、生徒会役員の皆さんが在校生代表として入場してきた。一列に並び、前後との均一な距離、歩く速度、どれをとってもバラバラ感が無く、非常にバランスと統一がとれた入場に関心してしまった。先輩が鍛えたのだろうか・・・それとも元々役員の皆さんのレベルが高くて普通にできるのか・・・一体どっちだろう?
生徒会役員の入場からほとんど間を置かずに校長先生が来賓の方々を先導して式場に入って来た。壁に沿って歩き、式場上手の来賓席までくると、校長先生が座る場所を説明しているようだった。来賓の方々が座られると、校長先生は舞台前を横切って、自分の席に向かわれた。ふと気が付くと、教頭先生と事務長先生もいつの間にやら自分の席に座っていた。どうやら私が来賓の動きに気を取られている内に入って来ていたようだ。
MCの先生が保護者に対し、式典中の注意事項を説明し始めた。
「よし、王子浜!BGMをフェードしろ。もうすぐ卒業生入場だ。入場曲にシフト!」
「了解。BGM、フェードアウト。シフト完了。」
「よし。」
私はと言うと、放送室の小窓から外の様子を窺っていた。すでに体育館の入口には3年学年主任の姿が見えた。時刻は、間もなく卒業生入場の時刻になろうとしていた。それまでストーブに手をかざしていた北摂先生が、すっと立って舞台に移動して行った。時計を見るとジャスト9時55分!体育館入口にいる担当の先生が腕で大きく丸を作っている。
「合図出ました!入場準備完了です!」
『卒業生、入場!』
MCの先生の台詞がスピーカーから聞こえて来た。
「王子浜、BGM2、再生開始!」
「再生開始!」
館内に荘厳なJ.S.バッハのブランデンブルク協奏曲第5番が響き渡り、卒業生の入場が始まった。
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