第3話 取引先で
得意先の応接室で担当者を待っている間、ぼくは柿谷先輩と小声で商談の打ち合わせをした。課長の幽霊に気を取られて、何も準備ができていなかったのだ。作ろうと思っていた資料もできていない。今日は口頭でごまかそうということになった。全く迷惑な話だ。
担当者が入ってきた。ぼくたちは立ち上がる。担当者は、まず私たちに深々と一礼した。
「灰田課長の件、お悔やみ申し上げます」
「ありがとうございます」
課長の声。隣を見ると私たちと一緒に頭を下げていた。
「どわーっ」
「うわっ」
のけぞる私たち。
「どうされました?」
不思議そうな担当者。彼には課長が見えない。
「失礼しました。携帯のバイブが急に鳴りまして」
柿谷先輩がその場を取りなす。
「私は釣られて声を出してしまいました」
ぼくも調子を合わせたところ、担当者は笑った。
「びっくりしましたよ。どうぞおかけください」
柿谷先輩とぼくが元の長ソファに座ると、課長はテーブルと直角の位置にある一人用ソファへどっかりと座り込んだ。まるで生きた上司が同席しているみたいに。ほんと勘弁して欲しい。ぼくは懸命に課長を見ないようにした。
「先日いただいたお話ですが」
柿谷先輩が商談の口火を切る。
この担当者は我が社に好意的であり、いろいろと商談のチャンスをくれる。今回もとある大型製品の見積りを依頼されていた。
ところが、この製品は我が社の専門外だった。グループ内にメーカーを持つライバル社と違い、外部調達しかない我が社では勝負にならなかった。はるかに高額な価格提示しかできないのだ。しかも技術的には全く不得手な分野であり、仮に無理やりお客に押し込んでもろくなアフターサービスを提供できない。
社内で検討した結果、この製品の提案は辞退した方がよいのではという方向に傾いた。目先の売り上げに目がくらんで得意先の信用を失っては元も子もない。
ところが、これに意を唱えたのが今は亡きというか、隣にいる灰田課長である。社内会議でこんな大型商談を辞退するやつがいるか、何が何でも根性で受注しろとわめき散らした。とは言っても、世の中にはできることとできないことがある。黄林主任と柿谷先輩が理詰めで社内関係者へ説明し、最終的には銀星部長も巻き込んで提案辞退へと動いた。
すると、往生際の悪い灰田課長は聞いたことがない海外製品をどこかから見つけてきて、それで提案すればいいと言い出した。みんな猛反対だったが、課長は一歩も引かない。社内が揉めに揉め、結論が出ないまま今に至っていた。
「社内で検討させていただきましたが、やはり弊社では・・・・・・」
柿谷先輩はこの機会に断ってしまうつもりだった。すると、課長が立ち上がって担当者に頭を下げた。
「ぜひ、やらせてください!」
柿谷先輩とぼくは顔が引きつったが、課長を見ないように努めた。担当者には見えないし、聞こえないのだ。この機会に決めてしまわなくては。
「やはり、難しいですか?」
担当者はにこやかに腕を組み、ソファの背にもたれた。
「そうですね・・・・・・」
「やります、やらせてください!」
柿谷先輩の声を打ち消すように課長がわめく。
「社内でだいぶ議論させていただいたのですが……」
「弊社にできないことはありません。ご採用いただきました暁には誠心誠意、不惜身命の誠心誠意をもって導入させていただきます」
相撲取りか、おまえは。
「何分、私どもにはこの製品に詳しい技術者がおりません」
柿谷先輩の言葉が終わらないうちに課長は立ち上がり、わめいた。
「技術者などいくらでも連れてきます。私が見つけた外国製の機械、こちらなら競合他社の半額で販売できます」
だから怖いんだよ馬鹿と思った。国内で導入実績のない大型機械をいきなり得意先に押し込むか?うちの会社、誰もわかる人いないんだぞ。
「御社は何でもできるイメージがありましたので、ひょっとしたらいけるかなと思ったのですが」
この担当者は本当にいい人だ。
「ありがたいお言葉ですが、機械をお売りできたとしても、導入とか、その後のメンテナンスを考えますと、私どもの手には負えないようでして」
「そんなことはありません!」
課長がわめいた。
「導入もメンテナンスもすべて弊社はできます。柿谷と白井。この2人にやらせます。ご安心ください!」
さすがに柿谷先輩とぼくの顔は引きつった。ふざけるな。この馬鹿課長は過去にも適当な約束を取引先にしてまわり、その尻拭いを全部ぼくたち部下に押しつけてきたのだ。その時の怒りがふつふつと甦ってきた。
「どうされました?」
担当者がぼくたちの変化に気がついた。
「いえ、別に」
「柿谷、白井、今こそ勝負の時じゃないか。ここで負けたら男がすたる。やらせてくださいと言え!」
課長は立ち上がり、右腕をぐるぐるまわし始めた。野球でコーチが三塁のコーチャーズボックスでやる、あれだ。
「ご提案させていただきたいのはやまやまなのですが」
必死に話を戻そうとする柿谷先輩。
「行け、行くのだ!」
課長はますます高速で腕をまわし始めた。
「いろいろ検討させていただいた結果、やはり・・・・・・」
「行け!」
「どうしてもきびしいですか?」
残念そうな担当者。
「押ーせ、山田機械、なーにもーのーぞ、それ!」
課長は両足を縦に開き、両手で押す動きを始めた。それ、で右腕を高く上げる。応援団で覚えたやつだ。大学で本当に応援団をやったわけではなく、確か高校の体育祭でちょっとやった程度だと聞いたことがある。それにしても、この男は死んでからもお客を自社の製品を押し込む対象としか思っていないのだ。
「あらゆる手段を考えてみたのですが」
「押ーせ、山田機械、なーにもーのーぞ、それ!」
「うるさいな!」
ついに柿谷先輩が課長の方を見て怒鳴ってしまった。
「えっ?」
担当者があっけに取られる。そりゃそうだ。突然、目の前の柿谷先輩が何もない空間に向けて大声を出したのだから。
しまったという顔の柿谷先輩。
「選挙カーですかね?今、大きな音を出していたのは」
ぼくはしれっと助け船を出した。
「えっ、今、選挙なんかないはずですけど。何か聞こえました?」
あっけに取られる担当者。
「すみません。そんなに大きな音じゃなかったかもしれませんが、私の地元で毎日うるさいものですから、つい過剰反応をしてしまいました。申し訳ございません」
深々と頭を下げる柿谷先輩。課長はまた三塁コーチャーに戻り、腕をぐるぐるまわしながら行け、行かんかと騒いでいる。意地でもランナーをホームインさせる気らしい。
「そうですか・・・・・・。では、私も御社を推薦した以上、社内で報告しないといけません。今回の話は正式に辞退されるということでよろしいですね?ファイナルアンサーですよ」
担当者はくだけた感じでぼくたちに最終回答を言わせようとしてくれた。
「はい、今回は申し訳ございません」
柿谷先輩は正式に辞退を伝えようとしたが、担当者へうまく伝わらなかった。
なぜなら課長が柿谷先輩の背後から彼の頭を両手でつかみ、無理やり首を横に振らせていたからだ。
「えっ、どっちですか?」
「私どもでは非常に難しく」
と、首を横に振る柿谷先輩
「辞退などさせるか。やりますと言え!」
真っ赤な顔をした課長がひたすら柿谷先輩の頭を横に振らせ続けている。
ぼくはこの修羅場に担当者の目を盗んで電話をかけた。運良くすぐに相手が出たので、スピーカーホンで声を出す。
「もしもし」
ますます激しく柿谷先輩の頭を振っていた課長がこちらを見る。そして、あっという声を出して消えてしまった。
「もしもし」
電話に出たのは銀星部長だった。部長の声で課長を消せたのだ。
「部長、白井です。山田機械さんにお邪魔しています。例のお話を正式に辞退させていただくところなのですが、部長からもご挨拶いただけませんか」
ぼくはそう言って部長の返事も聞かず、担当者に携帯を渡した。
「すみません。念のため部長の銀星とお話いただけませんでしょうか」
柿谷先輩の狂態をあっけに取られて見ていた担当者が電話に出てくれた。
「もしもし。銀星部長、お久しぶりです」
どうにか絶体絶命のピンチから脱出することができた。ただ、話はこれで終わらない。
ー第4話に続くー
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます