あの日の空と今日の海を忘れない

小林汐希

第1話 見上げる空の色が変わった日


『コトンコトン……』


 秋の日差しが窓の奥まで差し込んで、心地よい音が響く小さな路面電車。


 この電車にはもう何度乗ったのだろう。今ではこの音を聞いていると、「帰ってきた」と思うくらいになった。


 初めてこの電車に揺られたのは、もう一年半近く前。高校二年の初夏のことだったよね。


 幼い頃から、私は教師という職業柄も影響していたであろう両親の期待を受けて、学校が終わった後の宿題だけでなく、毎日のように塾通いをする生活だった。


 ただ、なぜ勉強をするのか。本当にそれでいいのか……。


 高校二年生にもなると、いろいろな将来像が話題になる。それが実現するかどうかは別としてだけど、中には芸能界に入って女優さんを目指すなんて宣言する子もいたよ。


 そんな声をいろいろと聞いているうちに、私自身も本当にこのままでいいのか分からなくなっていた。


 これまでどおり親の敷いてくれたレールの上を走ることもひとつの答えとしてはある。


 でも、そこには私の希望なんて何一つ反映されていない。学力という意味でのいい学校に入って、世間から羨まれるような会社に入るか公務員になって……。


 結局それって私の意思とは関係ない。それこそ両親の勝手な思い込みだと反発心が私の中に生まれてしまった。


 そう思い始めてから、毎日の生活が色を失った。学校に行くことも、塾に通うことも、全てが苦痛になってしまい、その意義を見出せなくなってしまったんだ。


沙織さおりはテスト勉強しなくてもトップだもんね」


 そんな言葉を受けて以前から何も言い返せなかった私だったけれど、この時期の私には苦痛になっていて、一刻も早くその場から逃げてしまいたかった。


* * *


 一学期の期末テストを終えた採点休みの日、私は小さな冒険をすることにしたんだ。


 両親が起きる前の時間に、「一日出かけてきます」という書き置きをテーブルの上に置いて、私は早朝の住宅街の路地に飛び出した。


 家出に見られたらあとが大変だから、半袖ブラウスに膝下スカート、ハイソックスにローファーというパッと見た目は制服風。そこにお財布と定期入れ、スマホとペンケースと、あとなぜか白紙のノートを一冊、トートバッグの中身に追加していた。


 家を出る時には、そこに何を書くかなんて何も考えていなかった。


 とにかくいつもの街を離れたい。駅まで歩く間に、小学校の遠足で行ったことのある海にしようと決めた。


 電車に乗ってスマホで検索して、その当時の場所が江の島だとはすぐに分かったのだけど、その時はどうしても自分の目で見たい景色があったから、少し手前の駅で降りることにした。


 海を目の前にして、テレビや雑誌などの媒体にも登場する無人駅に降り立った頃には太陽もすっかり上がっていて、私が断りもなく外出をしたことは両親にも分かっているだろう。


 スマホの画面を見たけれど、着信は一件もなかった。スマホを持っていることは分かるだろうから、その時点では静観というところだったと思う。


「着いた……」


 周囲には大きなお店などもなく、目の前に大きな海と真っ直ぐな砂浜だけが広がっていた……。

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