荻田③
岩下の嗚咽音が耳に届く中、荻田はすぐ死体の方に目をやった。鑑識達が邪魔になってよく見えない。その隙間を縫うように探ると、鑑識が移動するのに伴って、死体の頭が見えた。
黒髪だった。顔面の赤色との対比でより鮮明に見える。ということは、この金髪はあの死体のものでは無い。
「荻……田…さん、もう大丈夫…です。警官のところに行きましょう」
真っ青な顔で口を拭きながら岩下が言った。
「お前は外に出て少し休んでろ。聞き取りは俺が行ってくる」
「すいません。ありがとうございます」
そう言って岩下はまた嗚咽を始めた。
金髪を2本指で挟みながら、荻田はその場に立った。
警官のところへ向かう途中、すれ違った鑑識に話しかける。
「これ、あそこの物置の影に落ちてた金髪だ。
一応、渡しとく」
「了解です。ああ、でもこれ毛根無いですね。
ただの切れ毛だ」
まじまじと金髪を観察しながら鑑識が言った。髪の毛からDNAを採取するには必ず毛根が必要になる。ということは、さっき見つけた金髪は、何の用途にも使えない。
「そうか。まあでも預かっといてくれ」
鑑識がこくりと頷いた。
この本膳倉庫はもう長い間使われていない。
なので、あの金髪がもし犯人のものではないとした時、と荻田は考えた。
妙な胸騒ぎがする。
倉庫の外に出て、冷たい風を体に浴びると、一直線に救急車の方向へ向かった。
救急車のバックドアが上に開いており、そのドアを屋根にするように1人が立っていて、腕に包帯を巻いた1人がパイプ椅子に座っていた。
制服や若い見た目から、この2人が通報を受け交番から現場に駆けつけのだろうと荻田は察した。
荻田に気づくと、立っている1人が頭を下げて、1人がパイプ椅子から慌てて立ち上がる。
「お疲れ様です」
2人が一斉に声を出した。荻田は、声が大きくて少し耳障りだなと思いつつ「おつかれ」と返した。
「大丈夫だったか」
荻田が包帯を巻いている警官に話しかける。
「軽傷ですみました。でも、犯人を取り逃してしまい申し訳ありません」
その警官がすごい勢いで頭を下げる。
「それはそうだが、まずは無事でよかった。それで、お前は怪我ないのか」
もう1人の方を向いて話すと、何故か後ろめたい表情をしたのに気づいた。
「いえ、あの、実は通報を受けてから、1人だけで現場に向かったので、自分はさっき来ました」
俯き気味に目の前の警官がそう言うので、怪我をしている警官を指差しながら荻田が返す。
「こいつ1人だけで向かったってことか」
「はい。そういうことです」
ありえない。そう荻田は思う。
「通報の内容は、どんなものだったんだ」
「大人2人が喧嘩をしている声がうるさいので困っている……というものでした」
「それで、なぜ2人で行かなかった。原則として、1人で行くことは禁止されてるはずだぞ。
交番は2人勤務なんかじゃないはずだ」
鋭い眼光を飛ばしながら荻田は言った。
「はい…。どうせイタズラ通報か何かだとたかを括っていました……。以前にもイタズラ通報があったので。それがこんなことになるなんて……本当に申し訳ありません……」
歯切れ悪く言葉を発する警官を尻目に、荻田の口から乾いた笑いが飛び出した。その後に、沸々と煮えたぎる怒りをどうにか抑えながら静かに言葉を発する。
「お前らがやったことはな、取り返しがつかねえんだよ。殺人犯が一般社会に放たれたんだ。
2人で向かっていれば捕まえられたかもしれない」
2人は何も返す言葉がないようで黙ったままだった。
以前に、交番勤務している警官の態度がよろしくないという報告は聞いていた。若いやつらが、舐めている態度で仕事をしていると。それがここまでなのか、と荻田は思う。警察内部の綻びが、実害として出てしまった。これからその犯人が犯行を続けていったとしたら、それは警察の責任だ。
荻田は深い深呼吸をして自分を落ち着かせた。今ここで、こいつらにキレ散らかしたとしても、ただの時間の無駄だ。今考えるべきは、一刻も早い犯人の逮捕。ただそれだけだ。
「お前らの処分に関して俺は何も知らない。上が決めることだからな。それより、犯人の見た目、服装、なにか気になった点全部教えろ」
「身長は170センチくらいでした。見た目はだいぶ若くて、高校生か大学生くらい。上の服は返り血で真っ赤になっていて、下は確かジーパンを履いてました」
「お前を切りつけて、走って逃げていったんだな」
「はい。そうです」
走って逃げたと言うことはそんなに遠くへは行けないはずだ。それにしても、高校生か大学生だと。やっぱり、1番厄介なパターンだ。先天性の
ここで、荻田はふと思い出す。
「髪はどうだった。髪の色は金か?」
「いえ、黒だったと思います」
あの髪の毛は犯人のものでは無い、ということか。いや、あの髪の毛が、この事件に関係がない可能性の方がよっぽど高い。この倉庫にたむろしていた不良のものだったりするのだろう。そう荻田は自分を納得させる。強く働いている刑事の勘を、上から押さえ込むように。
「分かった。聞き取りは以上だ」
そう言ってその場を離れると、おもむろに電話を取り出してかける。相手は澤柳だ。
「もしもし、澤柳さん。今から犯人を追います。まだ近くにいるはずです」
「荻田。それはダメだ」
起伏のないトーンで澤柳が言った。
「何故ですか。事態は一刻を争います。今すぐに動かないと、更なる被害者が出ます。指示をくださいお願いします」
声を荒げて荻田が言う。
「この暗い夜の中で何ができるって言うんだ。近隣への聞き込みか?下手に大きく騒ぐと、帰って刺激しかねない。一般市民の人たちにも不安を与える可能性がある」
「それはそうですけど、朝になれば遠くへ行ってしまいます」
「犯人には移動手段がなにもない。その状態で遠くへ逃げようとしても限界がある。犯人が逃げたということを各メディアに報道してもらって注意喚起をする。だからその間に、1度本部で作戦を練って、行動しよう」
荻田は納得がいかなかった。澤柳の言っていることは間違いではない。ただ、昔なら、澤柳は自分で犯人を捕まえようと突っ走っていた筈だ。
「それなら、自分だけで探します。昔の澤柳さんならそうしてたでしょ」
「ダメだ。もし何かあったらどうする。責任問題になりかねない。岩下もいるだろ?いいから早く帰ってこい。命令だ」
荻田は何も言わずに電話を切った。
「くそっ」と言う言葉が暗闇に広がっていく。
いつからこうなってしまったのか。
もうあの頃の澤柳の姿はない。
俺1人でも探しに行こう、と荻田は決心を固めた。岩下には悪いが、1人で車に乗ろう。
荻田は拳を強く握る。手柄を上げてやるよ。
車へ向かって走り、運転席のドアに手をかけて開いた。その瞬間、荻田は舌打ちをする。
助手席で、岩下が寝ていた。
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