目的
鮫島は銀行の前で後藤を待っていた。
次の依頼者のところへ向かう途中、向田からもらった3950万を後藤の口座に預ける為に銀行に寄ったからだ。上着の左側をめくり、少しだけ膨らんだ内ポケットを見て鮫島は微笑む。たったあれだけのことをして50万が手に入ってしまった。
でも、わざわざ100万の札束を半分にする後藤のケチさに少し呆れた。スマホで現在の時刻を確認するとちょうど2時。時給にしたら25万か。こんなに貰えるのなんて俺かプロ野球選手くらいじゃねえのか。
鮫島は脳内でテレビで見た大谷の確信歩きを思い出す。観客総立ち。鮫島も飛び上がった。
ここまで楽観的に考えている鮫島だが、自首してきた犯人がニセモノだという事がバレたらどうなるのか、ということを頭の片隅に追いやって考えないようにしていた。
昔からその気のままに生きてきた鮫島は、一番仲のいい友達が高校を退学するので一緒に退学したり、友達が東京に上京するというので親に何も言わず家出をしたりした。そうしてその場のノリで盗みをしたり、さらには半グレの仲間にまでなってしまった。
「このまま何も考えず生きてくのかお前。それでいいのか本当に」
初めて警察に補導された時、中年の警察官に言われたセリフが蘇る。
でも、他に何もすることねえんだよなあ。
鮫島はそう心の中で呟いた。
ポンポンと肩を叩かれ、後藤だと思って鮫島は振り返る。だが、そこに居たのは細身の高身長男ではなく、幼い顔をした青年だった。俺より年下だな。鮫島はそう思う。
その青年は、黒いシミが目立つグレーのシャツにジーパンを履いていた。
「あの、猫を見ませんでしたか?」
鮫島は唐突に話しかけてくる青年に驚きを隠せない。
「え?猫?」
「はい。猫です」
柔らかな笑顔の青年に鮫島の心も緩んだ。なんせ、さっきまで無愛想の塊のような男と一緒にいたから。
「いや、見てないな」
「そうですか……」
青年が残念そうに肩を落とした。
そんな時、今度こそ細身の高身長男が2人の前に現れた。
「おい、誰だこいつは」
「遅いですよ後藤さん。ああ、なんか猫を探してるらしくて」
「猫……。どんな見た目の猫なんだ」
「見た目……ああ……黒猫です」
青年は答える
すると、後藤は、青年の頭のてっぺんから足先まで舐めるように見る。そして言った。
「ああ、見たかもな」
「ええ!本当ですか?」青年の笑顔が弾ける。
鮫島は疑問に思った。この道程の間に、黒猫どころか野良猫すら見ていない。後藤だけがどこかで見かけていたのだろうか。
「どこら辺で見ましたか?」
青年が食い入るように後藤に質問する。
「覚えてないな。でも見かけたのは本当だ。もしもう1度猫を見かけたら、連絡しようか?」
「いいんですか?お願いします!」
そう言って、後藤と青年は連絡先を交換した。
なんて不気味なんだ。鮫島はそう思った。こんな裏社会を生きている男が、猫探しを手伝うものだろうか。
「それじゃあ、見つけたら連絡お願いします!」
青年は深々と頭を下げて、立ち去った。
快活な笑顔とハキハキとした話し方に、近年稀に見る好青年だと鮫島は思った。それと同時に後藤に対しての疑いの気持ちが溢れてくる。
「後藤さん、何するつもりなんですか?猫なんて見てませんよね」
「何するつもりって?そんなの、人助けに決まってるだろ。人助けであり、猫助けだ」
鮫島の心情に沸々と湧き上がってきた。
もしかしたら本当にあの青年を助けたいのか?
後藤にも、人間らしい部分があるんだろうか。
チラリと後藤の顔を見る。
後藤は微笑んでいた。
鮫島と後藤は銀行の近くのコンビニで各々食事をして、依頼者の元へ向かった。向かう途中、後藤から目的地を聞いた鮫島は、怖気付いたわけではないが、一旦深呼吸をして胸を大きく張りながら、歩く姿勢を良くした。
着いた場所は暴力団紅林組の事務所。周りは普通の一般宅で囲まれており、近隣に住んでいる人達は怖く無いのかと思う。
身代わり斡旋屋の後藤がヤクザとも繋がりがあるのは、冷静に考えれば何もおかしなことではなかった。インターホンを押してドアが開く。出迎えてくれたのは趣味の悪い柄のシャツを着た、いかにもな面々だった。
「加藤さん。お疲れさまです!」
奥の部屋に続く廊下の中央を開けながら4、5人が一斉に頭を下げる。後藤が、この事務所では加藤で通ってることが、鮫島は分かった。
後藤は手で会釈をしながら靴を脱いで廊下を歩いていく。鮫島も同じように靴を脱ぎ後藤の後をつけていった。組員の前を横切る時、ただならぬ殺気を感じながら。
ギシギシと音を立てながら廊下を進んでいき、後藤が奥にある部屋のドアを開けた。
部屋の中央にはテーブルがあり、その両端に黒革のソファが置かれている。右のソファに座っていた、和風着物の男が立ち上がり、後藤に近づいた。
「加藤さんお久しぶりですね」
「紅林組長、ご依頼ありがとうございます」
2人はがっちりと握手をした。
紅林の手は筋肉質で、多くの傷がついている。ドスの効いた声とこの風貌なので、誰かに教えられなくても組長だと分かるな、と鮫島は思った。
「そちらの若いのは新しい手伝いですか」
紅林が鮫島の方に顔を向ける。厳格な顔に圧倒されそうになりながら「そうです」としか言えなかった。
「生きが良さそうなのを連れてますな」
紅林が後藤に喋りかけた。後藤の表情に変化はない。
「組長。早速なんですが、今回の依頼内容は、殺人で間違い無いですか?」
後藤が話を仕切り直すように言った。
「ええ、そうです。事前に伝えたようにまだ殺しちゃあいません。決行は3日後です」
鮫島はこの会話にぎょっとした。とてもこの世のものとは思えない。
「何時に、どこで決行ですか」
「夜の10時、うちの組に泥塗った
「分かりました。依頼を引き受けましょう。それでは料金は1億円になります」
紅林はテーブルの下からアタッシュケースを取り出した。
「ここに入っとります。お願いしますよ加藤さん」
後藤が受け取ると、前のように鮫島に渡して言った。
「数えろ。100万の札束100個だ」
100個は多すぎるだろと思いながら、鮫島がアタッシュケースを開く。福沢諭吉の大群がそこにはいた。やはりヤクザは儲かるのだろうか。
「最後にひとつだけお願いがあります、組長」
「なんだね加藤さん」
「殺害方法は刺殺でお願いできますか。そっちの方が何かと都合がいいんです」
「加藤さんが言うならそうしよう。分かりましたよ」
後藤が何故殺害の方法にまで言及しているのか。考える暇もなく、鮫島は札束を数え続けた。
事務所を出ると、鮫島の身体中に、汗が大量に滲んでいることがわかった。思った以上に紅林の圧に押されていたらしかった。右手に持つアタッシュケースが重い。
「鮫島、アタッシュケースを寄越せ。ここで解散だ。あと、報酬の100万だ」
後藤が鮫島に封筒を手渡すのと同時に、鮫島がアタッシュケースを渡した。
「ありがとうございます。じゃあ3日後、ニュースで誰が逮捕されるのか楽しみにしてます」
そう言って後藤に背を向けようとした時、後藤がちょっと待て、と言い後に続けた。
「3日後の10時半に本膳倉庫へ来い。わかったな」
「どうしてですか。もう俺には関係ないでしょう」
「いいから来い。来ないなら100万を返せ」
鮫島は困惑した。殺人が決行されるのは10時だ。その30分後に俺が行ってどうなる。
鮫島の腹の底に一抹の不安が現れる。そしてその不安と100万を天秤にかけた。
「分かりました。分かりましたよ」
100万の方に天秤が大きく傾いた。
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