14. 両親

 その日も一階で勉強をしていたのだが、朝からカレルは浮かない顔をしていた。


「どうかした?」


 落ち着かなくてそう尋ねると、彼は口元に笑みを浮かべる。


「どうもありませんが……なにかおかしいですか?」

「おかしいのはいつもだけど」

「辛辣ぅ」


 そう冗談めかして、ハハハ、と笑う。

 でも、どこかぎこちなくて、感情が隠せていない気がした。


「心配事とか、不満とかあるなら、言いなさいよ」


 わたしになにかできるかはわからないが、もしできることがあればしよう。

 わたしにできなくても、わたしからの希望だとヘイグ公爵家に伝えれば、手を貸してくれるのではないだろうか。


「ほら、早く」


 そう急かすと、カレルはおずおずと口を開く。


「ツェツィーリエお嬢さま」

「なに」

「……もしかしたら、ヤナだけここを辞めるかもしれません」

「えっ」


 ヤナは今は、屋敷に食事を取りに行っている。

 出て行く前はどうだっただろうか。なにか不満そうだっただろうか。覚えがない。


「どうして?」


 もしかしてお給金が下がったのだろうか。他にもっと稼ぎがいい職場が見つかったのだろうか。

 それなら、わたしから公爵家に願い出れば、なんとかならないだろうか。

 わたしがそんなことをぐるぐると考えていると、カレルは答えた。


「だってヤナはお嫁に行ったら、家庭に入るかもしれませんから」


 思いも寄らない返答で、わたしはポカンとカレルの顔を見つめてしまう。


「そりゃ……そうかもしれないけど。まだ先の話じゃない?」


 ヘイグ公爵家の屋敷のほうに住んで、この塔にやってくる毎日だ。恋人を作る暇なんてなさそうだ。

 それに彼女はお金が欲しいとは言うが、結婚したいとは聞いたことがない。


「ヤナは可愛いですからね、いつ誰に見初められるかもわかりませんし、今から覚悟を決めておきましょう」

「……気が早くない?」

「先日、王家の使いが来たじゃないですか。それでヤナに話しかけたりしていたし。だから、心配になって」


 そして困ったように眉尻を下げる。

 確かにダニエルはヤナに話しかけていた。けれど、ヤナを口説いているようには見えなかった。

 妹が大好きなカレルからすると、気が気でないということだろうか。


「大丈夫じゃない?」

「でも、身分が上の者から求められたら、ヤナは断れませんよ」

「それはそうね」


 だからダニエルが来ると、不機嫌になっているのだろうか。


「だからそうなる前に、逃がします」

「心配性ね」

「はい、そうなんです」

「そうなったときは仕方ないわね。でもまだしばらくは仕えてもらうわよ」

「それはもちろん。心配しすぎなのは自覚していますから、今すぐという話ではないんです」

「わたしも、ヤナにいなくなられると困るわ」

「それは光栄です」


 少しばかり無理があるが、妹大好きなカレルなら、ありえない理由ではない。


 言い訳をずっと考えていたのだろう。

 カレルは噓をついている。


 それがわかったけれど、わたしは追及することなく、話を流した。

 そこを突っ込んでしまうと、二人ともがわたしの前から姿を消してしまうような気がしたから。


「お嬢さま、お食事ですよ」


 そこでヤナが食事の入った籠を持って、塔に帰ってきた。

 そうしてその話は、もう続けられることはなかった。


   ◇


 屋敷から塔に帰ってきたカレルは、開口一番、こう報告してきた。


「先ほど初めて、ヘイグ公爵夫妻にお会いして、少し話をしました」


 わたしはそのとき、日課のようになってしまった、一階のテーブルで正円を描く練習をしていた。

 少しばかり、カレルの歯切れの悪さを感じる。


「初めてだったの?」


 わたしはペンを持つ手を止めることなく、顔も上げることなく、返事をする。


「はい。僕たちを雇ったのは執事長ですし、特に身分もない僕たちなんかに、公爵夫妻にお会いできる機会なんてないです。ましてや話をすることなんて。今日はたまたま、廊下で行き会ったのです。見慣れぬ者を確認したかったからか、お声をいただきまして」

「ふうん」


 耳だけで話を聞いて、わたしは気のない返事をする。

 カレルの様子からして、楽しい話ではなさそうだし、気合を入れて聞くこともないだろう。


「公爵閣下からは、お嬢さまが元気かどうか尋ねられましたので、元気だとお答えしました」

「そう」

「それで……」


 そこでカレルはいったん口を噤んだ。

 ああ、円が乱れた。わたしは今描いたばかりの歪んだ円を、ペンでぐしゃぐしゃと消す。

 その様子を見ていたのかどうなのか、カレルは小さな声で続けた。


「『私たちを恨んでいる様子はないか』と訊かれました」

「へえ」

「ですので、『そんな様子はございません』と答えました」

「そう」

「……本当に、その答えでよかったのでしょうか?」


 そう問われて、やっとわたしは彼に視線を向ける。


「どういう意味かしら?」


 カレルは身体の側面でぎゅっと両の拳を握り、泣きそうな顔で答えた。


「僕の返答を聞いたご夫妻は、非常に安心した様子でした。でも僕はむしろ、お嬢さまは恨んでもいいと思います」

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