第8話 平凡ベータは気付かない

 ベッドに腰掛けて食べるのだと思っていたら、 窓際にテーブルと椅子が用意されていた。窓の外を眺めながら食事ができるらしい。しかも用意されたのはトマト味のリゾットで、生ハムの乗ったサラダには人参色したドレッシングがかかっていた。飲み物はフランスの天然水だ。ワイングラスにしか見えない足の着いたグラスに注がれた水をゆっくりと飲んだが、貴文にとっては水は水だった。


 (1週間ぶりの食事が、こんなんでいいのか?)


 貴文は悩みながら食事をしたけれど、リゾットは確かにお粥みたいな形状をしているし、トマトが赤いと医者が何とか、なんてことわざもあった。貴文は自分を無理やり納得させて食事をした。もちろん、1週間ぶりの食事は美味しかった。


「ああ、美味しかった。ご馳走様です」


 家でしているように手を合わせて挨拶をする。そうすると、無言でスタッフに洗面所を案内された。先程トイレに行った時にも見たけれど、アメニティが充実していた。要するに食後に歯磨きをしろということなのだろう。貴文は自宅で使ったことの無い、綺麗な3色の歯磨き粉を使って念入りに歯を磨いた。口をゆすぐのに使ったコップがガラス製で多少驚きはしたものの、それでも何とか平静を装うことが出来た。

 そうして部屋に戻ってみれば、なぜだか車いすが用意されていた。


(いや、俺歩けるけど)


 貴文は内心どうやって断ろうかと考えていたが、看護師の一言でそれが無理なのだと悟ったのだった。


「杉山さんは一週間も寝たきりだったんですから、いきなり検査のためとはいえ院内を歩くのは危険です」


 そう、病院食に感じないあのリゾットのせいで失念していたけれど、ここは病院で貴文は一週間も寝ていたのだ。というより意識がなかったのだ。確かに、常識的に言っていきなり院内を歩かせるのは危険だろう。何しろ、貴文が入院している個室の床は、映画に出てくるような毛足の長いふかふかの絨毯が敷かれていたのだ。


「はぁ、それもそうですね」


 貴文は言われるままに車いすに座った。そうやって自分の足を見れば、履いているスリッパだってふわふわでもこもこだった。足が優しく包み込まれているようで、履き心地は最高だった。だがしかし、この年齢で介護のようなことをされるとなんだか気恥ずかしいもので、ついでに言えば自分の考える速度とまるで違ってちょっとだけスリリングな体験だった。

 しかし、さすがはプロである。一定の速度で移動し、止まるときの衝撃もない。貴文は特に苦労することなく検査室に連れてこられてしまったのだった。


(廊下で誰ともすれ違わなかった気がするんだが、俺の気のせいだろうか?)


 初めての車いすで、あちこちをきょろきょろと見ていた貴文であったが、他の入院患者はおろか、看護師の姿さえ見なかった気がした。いや、それよりも、ナースステーションさえ目に入らなかった。貴文は不思議に思ったが、それを口にする前に、検査台に寝かせられてしまった。


「体を輪切りにした画像を撮りますので、動かないでくださいね」

「は、はいっ」


 貴文が少々おっかなびっくり返事をすると、看護師が離れ、ゆっくりと機械が動き出した。

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