第2話 お嬢様、トラウマを背負う。
「それで? なんでこんなとこに? 観光って訳じゃあないよなぁ? 見るものなんて、臭え塹壕か、積み重なった死体の山しかねぇもんな?」
天幕の中心には、組み立て式のテーブル。
「こ、この椅子凄く硬いですわね……」
未だかつて感じたことのない感覚に、困惑しながらソフィアも正面に座る男をじっと観察した。
「なんだ嬢ちゃん。惚れちまったか? ははっ! いい男だろ? 俺は」
「いえ、気になったのは貴方ではありませんわ」
黒の喪服にも似た服。胸には勲章、肩には飾緒が付いたソフィアのドレスとはまた別の意味で豪華なもの。
「この服が気になるか? これは軍服つってな、我らが祖国ミールランネを守らんと立ち上がった者のみが着ることを許されたもんだ」
「へ、へぇ、そうですのね」
「お嬢様。まずは自己紹介をするべきかと」
一歩後ろのアリアンナがそっと耳打ちをしてきた。
「そ、そうですわね」
ソフィアは大きく深呼吸をして、咳払いを一つ発する。
「わたくしは、世界三大貴族、ガーデン家の次期跡取り。ソフィアガーデンと申しますの。先程は、助けていただき、ありがとうございました」
失礼がないようにと、丁寧にソフィアが言うと、男はぽかんと口を開けた。
「先程? なんか勘違いしてないか? あんたが来て、もう三日経ってる。あんたはその間、ずっと寝てたんだぜ?」
「そ、そうですの!?」
「事実です。ですから……もう目を覚まさないかもと……」
すんすんとアリアンナは鼻を鳴らした。
「アリアンナ……」
男は少し考えるような素振りを見せる。どうも、何かを伝えるべきか、酷く迷うような。
「ど、どうかしまして?」
「……いや、まずは自己紹介ご苦労さん。二、三個突っ込みたいところはあるが、一旦それはいい。礼儀として、相手にだけ自己紹介してもらうってのもスマートじゃねぇよな」
男は椅子から立ち上がる。
肘を折り、ピント張った指先を額へと当てる。
「
「さ、作戦本部? 部隊指揮官? 特務大佐? この殿方はな、なにを言っておりますの?」
ソフィアは答えを求めるように、アリアンナへと目をやる。
「言わば、騎士団の隊長のようなものですね」
「ふ、ふーん。も、勿論分かっておりましたわ。それよりも……アリアンナ」
唯一、聞き覚えがあった単語。
「……《魔女狩り》、そうおっしゃいましたわね?」
「ああ。言ったな。やっぱ来訪者か、お嬢さんとそちらのメイドさんは」
男は……いや、ラントは酷く納得したような顔をした。
「やっぱり、あんたら異世界の人間は魔女って言葉に敏感だな」
「やっぱり、異世界ですのね。ここは」
いくら世間知らずといえど、ソフィアにはそれくらいは分かった。
「質問よろしいですか?」
アリアンナが口を開いた。
「ああ。構わないぜ?」
「戦場にて、お見かけした鉄の筒。それと、鉄球はなんと言うものですか?」
「鉄の筒……あれは銃だな。火薬で鏃を発射する武器だ。鉄球の方は、手榴弾。爆薬で鉄の破片を周囲に撒き散らす武器ってとこか?」
ぼりぼりと頭を掻きながら、解説するラント自身にも詳しい仕組みはよく分かっていないようだった。
「と、ということは……あの時、も、もし助けていただけなければ……」
ソフィアはごくりと生唾を飲み下した。嫌な想像をしてしまったからだ。
「お嬢様? どうかなさいましたか?」
「ラ、ラント様っ! わたくしを助けてくれた殿方は!」
「お? なんだ? 会いたいのか?」
「勿論ですわっ! わたくしとて貴族令嬢の端くれ。受けた恩は返さなくてはいけませんもの!」
「……そうか、なら着いてきな」
***
戦場の中の休息地。天幕の外はそんな様相を呈していた。傍にライフルを携え、木箱に腰を下ろす兵士たち。その中央には篝火が|爛々(らんらん)と揺れている。
「お嬢様。足元にご注意を」
「え、ええ」
基地の中では、ソフィアの青いドレスは酷く目立つようで、周囲の視線が一点に注がれているような気すらした。
「すまんな、昨日の夜襲で大勢死んだからな。少し、張り詰めてんのさ」
「そ、そうですのね」
普段自分がいる場所とはあまりにも異なる雰囲気に顔を引き攣らせながら、ソフィアは顔を引き攣らせながら、ラントの後ろをついてゆく。
「あれは、魔女か?」「いや、異世界人だろ、大佐が魔女を前にして背を向けるはずがない」
そんな言葉が聞こえてくる。
「ね、ねえ。ラント様」
「ん、なんだ?」
「魔女とは、一体この世界においてなんですの?」
ソフィアの知っている魔女とは、幼い頃から読み聞かされたお伽話の中の存在だ。
魔法はあれど、魔女はいない。王国にはそんな言葉があった。
「魔女が何か、か。決まってる」
歩みを止めたラントは背を翻した。
「──憎むべき敵。悪魔、怪物。人という生物、唯一の天敵だ」
言ったのではなく、吐き捨てた。滲んだ怒りが、地面を這うように広がった気がした。
「そ、それは」
恐怖。ぞっと背筋が冷える。その言葉にではなく、ラントの目に色濃く写った復讐の業火に。
「詳しいことは、歩きながら話す。このまま着いてきてくれ」
はっと我に帰ったように、ラントは息を吐いて、歩き出した。
「今から五十年前。この世界には、六人の魔女が生まれた。
──《写本》《経典》《福音》《断章》《手稿》。そして、《原書》。奴らはそう呼ばれる」
ラントは緩やかな歩みを止めることなく、続ける。
「そいつらは、魔法を使う。俺たちには使えない、人智を超越した不可解な力だ」
「っ! な、なんとっ!?」
まずい。自分も使えてしまうのだが! とソフィアの心臓が一際大きく跳ねた。
「そう焦るな。お前ら異世界人も使えるのは知ってる」
「ほっ。な、なら良かったですわ」
「ここだ。さ、入ろうか」
辿り着いたのは、先ほどとは違う別の天幕。
幾分か小さく、静かな天幕だ。
「お嬢様……ここは」
アリアンナは鋭く入り口を睨んだ。
「アリアンナ?」
「ほら、入るぞ?」
「え、ええ」
持ち上げられた布をくぐり、中へと入ると。
「ひっ!? こ、これはっ!?」
「お嬢さん。あんたを助けた奴の名は──ピート・リンカー。俺の部下だ」
土の上には、一枚のシートが引かれていた。
天幕を埋め尽くすほどに、並んでいたのは、ジッパーのついた袋だった。
ちょうど人が一人が入りそうな。
「あいつは、いい奴でな。困ってる奴がいると、体が勝手に動いちまうんだと。……全く、最後の最後までバカで……救いようのない、善人だった」
一番手前の袋の前。ラントは屈み、袋へと手を伸ばす。その所作は、深く敬意を払うとともに慮っているようだった。
「お嬢。あんたに怪我一つなかったのは、こいつが全部引き受けたからだ。そのせいで、ここに運ばれた時には手遅れだった。頭、胴体、四肢に至るまで、ぐちゃぐちゃでな」
「……うっ」
「お、お嬢様っ!! お気を確かにっ!」
「吐くなら、外で頼むぜ? 流石に、こいつらにそんなもんかけたら俺でもキレる」
ソフィアはアリアンナに連れられるまま、天幕の外に出る。
すぐに堪えきれず、胃の中がひっくり返った。
初めてのことだった。人の死に触れ合ったのは。
生まれ育った豪華絢爛な屋敷には、そんなものはなかったからだ。
「ぅ、うぇ」
背をアリアンナにさすられながら、長い時間をかけて、ソフィアは息を整えていく。
「わ、わたくしのせいで……」
「お嬢様、落ち着いてください。大丈夫です。お側には私がおりますから」
「わたくしは、一体どうやって償えば……」
刹那。けたたましく、音が鳴り響く。
それは。
「アラートだっ! 来るぞ!」「各員、武装確認っ!」
周囲の兵士たちは途端に、血相を変えた。恐怖を噛み殺すような凛々しくも酷く不安げな表情。
「お嬢さん方。さっきの天幕に隠れてな。まあ、魔女の前には役に立たんだろうが、それでも運が良けりゃ、助かるかもな」
天幕から苦い顔をしたラントが出てくる。それと同時に、周囲の兵士たちがすぐさま集まり始めた。
「大佐っ! 出現位置割り出しました! この基地の南西五百より、急速接近っ!」
「ちっ、随分と近いな。ただでさえ、《写本》の作りやがった軍隊に手を焼いてるってのに」
「ラント様っ!?」
その手には、銃や見たこともない鏡のような機械。
「お嬢様、戻りま……」
アリアンナの言葉の途中。
──光ったのだ。曇天が。
「あれ、は」
「かっ! 来やがった! 総員っ! 対空警戒っ!」
その姿は、まるで天より舞い降りた天使。
「まとまった陣形を取るな! 誘爆にも注意しろ! 味方同士でも距離は三メートル以上取れっ!」
「あれが……魔女?」
背に生えた一対の翼。風に|靡(なび)く金色の髪と、純白のドレス。あまりにも神々しく、幼さの残る出立ち。しかして、その左右色の違う瞳は、あまりにも冷たいものだった。
「──魔女。《福音》のヨハネ様のご来場だ。お嬢さん方、魔法は使えるんだろ? 自分の身を全力で守れ」
「ラント様はっ!?」
「俺達は、曲がりなりにも兵隊だ。戦うっきゃねぇだろ、死んでいった奴らに報いるためにもな」
ラントは腰から拳銃を抜く。
その銃声は開戦の狼煙が如く、高く空へと飛翔した。
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