第11話 別れ
見間違えるはずもない。腰まで伸びた艶やかな黒髪に、日光を拒絶したようなシミ一つない真っ白な肌。そして、切れ長な冷たい目。
玄関に立っているのは間違いなく『塩対応のお姫様』、榊 沙織さんだ。
「どうして、榊さんが……うちに来るんだよ。しかも、こんな時間に……」
家の場所は確か……前に何かの時に、話したような気もする。でも、榊さんがうちを訪ねてくる理由なんて……ないはずだ。
「夜分遅くにすみません。少し……お話ししたいことが、ありまして……」
榊さんが、口を開く。俺はさっきまでとは違う意味で高鳴る胸を押さえながら、できる限り平坦な声で言う。
「悪いけど今はお客さんが来てるから、帰ってもらっても……いいかな」
「それは……お忙しいところ、すみません。ですが、あなたのスマートフォンのことで、話しておきたいことがあるんです」
「俺の……スマホ?」
どうして榊さんが、そのことを知っているのだろう。榊さんには、スマホを失くしたことすら話していないはず……だが、まあ俺が隣の席でスマホを探していたのだから、気づいていてもおかしくはない。
それに、あの榊さんがわざわざ家まで訪ねてきたのだから、余程のことがあったに違いない。
「…………」
正直、話の内容は気になる。けど、今ここで彼女を家に上げて古賀さんと鉢合わせるのは……避けたかった。
今さら浮気だ何だと言われる筋合いなんてないが、古賀さんの前で言い合いなんてしたくはない。
「悪いけど、それでも今は無理だ」
だから俺は、そう言って榊さんに帰ってもらおうとしたのだが、まるでそれを遮るように、榊さんがカメラの方に何かを向ける。
それは……
「……え? 俺の……スマホ」
……いや、違う。榊さんが手に持っているのは、俺のスマートフォンのカバーだ。あんな派手な真っ赤なスマホカバーを使っている奴なんて、俺以外にはいない。
「……それを渡す為に、わざわざ持ってきてくれたの?」
「はい。せめてこれだけは、渡しておきたいのですが……」
どうして榊さんが、俺のスマホカバーを持っているのだろうか? ……やっぱり、榊さん関連で何かあったのか?
「…………」
流石に家まで届けてもらっておいて、ポストに入れて帰ってくれとは言えない。でも今は家に、古賀さんがいる。この状況で榊さんを家に上げるのは……
「随分長く話してるけど、誰かお客さん?」
いつの間にか近くまで来ていた古賀さんが、俺の背中越しにモニターを覗き込む。
「……え? 女の子……」
そしてカメラに映った榊さんの姿を見て、大きく目を見開く。俺は誤魔化すようにモニターに背中を向けて、言った。
「この人は、友達っていうか……クラスメイトなんだよ。俺が落としたスマホのカバーを、届けに来てくれた……みたいなんだよね」
「あ、なんだ。そうなんだ。じゃあ、上がってもらったら? あたしは別に……気にしないよ?」
「そう? ……って、古賀さん。背中つねるのは……やめて。痛いから」
「あ、ごめん。無意識だった。……無意識でした」
古賀さんはすぐに俺の背中から手を離し、ソファの方に戻る。俺は榊さんに少し待っててと伝えてから、玄関の扉を開けに行く。
「ほんと、なにやってんだか」
ため息を飲み込んで、玄関の扉を開ける。そこにいたのはやはり……榊さんだった。
「すみません。いきなりお邪魔して。でも……できるだけ早く、お渡しした方がいいと思いまして……」
「届けてくれたのは、助かるよ。……ありがとう」
榊さんからスマホのカバーを受け取る。……榊さんが今日、俺に声をかけようとしてきたのは、このことがあったからなのか。俺がもう少し彼女の話に耳を傾けていれば、こんな面倒にはならなかった。
……少し、反省しないとな。
「お茶くらい淹れるけど、上がってく? それとももう遅いし、お礼はまた後日の方がいいかな?」
「いえ、お礼なんて必要ないです。私はスマホカバーを、届けにきただけですから」
榊さんは、遠慮するように視線を逸らす。……前からすれば、考えられないほどしおらしい態度。もしかして、俺が古賀さんと再会したように、榊さんにも何かあったのだろうか?
「まあ、とにかくありがとう。……助かったよ」
「いえ、元はと言えば私が悪いんですから。では、私はこれで失礼します」
どうやら榊さんは、このまま帰るつもりらしい。俺からすればそれはありがたいことだが、届けてもらっておいてこのまま追い返すような形になるのは失礼だろう。
……まあ、今さら俺が、榊さんに対してそんなことを気にする必要はないのかもしれない。どうして榊さんが俺のスマホカバーを持っていたのかは気になるが、もう遅い時間だし、引き留めるのも迷惑だろう。
そんなことを、頭の中でごちゃごちゃと考えていると、背後から声が響いた。
「初めまして、あたしは古賀 琴音っていいます。落葉くんの幼馴染で、今はちょっと家にお邪魔させてもらってるんですけど、もしかして落葉くんのお友達ですか?」
薄着のままの古賀さんが、俺の方に身を寄せて榊さんを見る。榊さんは一瞬、驚いたような顔をするが、すぐにいつもの冷たい表情に戻る。
「はじめまして。私は坂島くんのクラスメイトの、榊 沙織です。お楽しみのところお邪魔して……すみません。私はすぐに、帰りますので……」
「そうなんですか? ……だったら落葉くん、送っていってあげたら? もう遅いし、女の子一人だと危ないかもしれないよ」
「いや、俺は──」
「あたしなら、大丈夫。ちゃんとここで待ってるから。だからさ、帰ってきたら……さっきの続きしようよ? あたし、もう少し落葉くんに……触れて欲しいな」
古賀さんはまるで見せつけるように、俺の腕を抱きしめる。柔らかな胸を通して、彼女の温かな体温が伝わってくる。
「……仲が、よろしいんですね」
榊さんが小さな声で、そう呟く。俺は少し答えに迷ってから、口を開く。
「そうだよ。仲がいいんだよ。……でもそんなの、榊さんには関係ないことだろ?」
「そう……ですね」
榊さんはまるで傷ついているかのような顔で、視線を下げる。
……どうして彼女は、今になってそんな表情をするのだろう? 俺のことなんて都合のいいキープとしか思っていないはずの彼女が、どうして今さら……
「……いや、いいや。それより榊さんの家って、確かここから離れてるよね?」
「三駅ほど、離れてますね」
「じゃあ、駅まで送って行くよ」
「いえ、そんなことして頂かなくても……」
「いいって。帰りに何か事件にでも巻き込まれたら、俺が困るから。……それに、昨日、話せなかったことも話しておきたいしさ」
榊さんは悩むようなそぶりを見せたあと、小さな声で「では……お願いします」と、言った。
「じゃあ悪いけど、古賀さんはちょっと待っててくれる? お土産に、プリンかアイス買ってくるから」
「分かった。……でも、あんまり遅いと、落葉くんの部屋とか漁っちゃうからね?」
古賀さんは小さく笑って、リビングの方に戻っていく。……帰ったら古賀さんにも榊さんとのことを話さなければならないな、なんてことを思いながら俺は靴を履いて家を出る。
外はもうすっかり真っ暗で、街灯が煌々と夜道を照らしている。見慣れたいつもの夜の街。俺と榊さんは、少し距離を取ったまま歩き出す。
「よく、うちの場所が分かったね」
榊さんの方に視線を向けず、俺はそう口を開く。
「……前に教えてもらったのを、覚えていたので」
榊さんはいつもと同じ淡々とした声で、そう答える。そして彼女はそのままこちらを向いて、頭を下げた。
「昨日は約束をすっぽかして、申し訳ありませんでした」
「……いいよ、もう。済んだことだし、終わったことだ」
「それでも……なかったことには、なりません」
「それを言うなら、俺も今日は酷いこと言って……ごめん。ちょっと、感情的になってた」
「いえ、坂島くんは悪くないですから」
「…………」
「…………」
しばらく沈黙。冷たい夜の風が、頬を撫でる。俺はポケットに手を突っ込み、榊さんの方に視線を向ける。
「それで、どうして榊さんが俺のスマホカバーを持ってたの?」
「それは……昨日の放課後、拾ったんです」
「拾ったの?」
「はい。……放課後、坂島くんの様子を見に保健室に行ったんです。でも坂島くん、気持ちよさそうに眠っていて……。それで私、一度教室に戻ろうと思ったんですけど、その途中で空き教室から声が聴こえてきたんです」
「…………」
俺は黙って先を促す。榊さんは淡々と、言葉を続ける。
「なんだか怪しいと思って聞き耳を立てていると、どうやらその人たちは……あなたにスマホを返すかどうか、揉めているようで……」
やっぱり、誰かに盗られていたのか。そりゃ、いくら探しても見つからないはずだ。
「どうやらその人たちは、私の……ファンのような人たちみたいで。坂島くんのスマホを盗んで、坂島くんの浮気の証拠を見つけるとか言っていたんです」
「浮気の証拠、か。くだらないな」
「……はい。それで私が声をかけると、驚いて逃げてしまって。追いかけたんですけど、追いつけなくて……」
「…………」
もしかしてその間に、俺が目を覚まして教室に戻ったのか。それで、すっぽかされたと勘違いして、八つ当たりをしてしまった。
「……ほんと、なにやってんだか」
俺は小さく息を吐く。榊さんは、言葉を続ける。
「結局、追いつけなかった私は、諦めて空き教室に戻ったんです。するとそこには、スマホカバーだけ置いてあって……。せめて、それだけでもお渡しできたらと思い、あなたの家を訪ねたんです。……少し、迷いましたけどね」
「迷惑かけたね、ありがとう」
「いえ、大したことはしていません。私がその人たちの名前が分かれば、もっといろいろできたんですけど……。写真を撮るとか、先生に言うとか、そういう気も回らないで……」
「いや、いいよ。ありがとう。いろいろと、気を遣わせたみたいだね」
その辺の奴らへの対応は、やはりもう少し考えた方がいいのだろう。今までも何度か揉めたことはあるが、スマホを盗むなんて真似をされたのは初めてだ。……流石にそこまでされて、こちらも黙っているわけにはいかない。
「……その、私も一つ訊いてもいいですか?」
そう言って、榊さんがこちらを見る。やっぱりそれは彼女らしくない、不安そうな表情。……俺は、内心を隠すようにいつもの笑みを浮かべる。
「ん、なに? なんでも訊いて」
「その……さっきのあの人……とても、可愛らしい方でしたけど。とても……仲が良さそうでしたけど。どういう……関係なんですか?」
「ああ、古賀さんのことね。古賀さんとは……幼馴染なんだよ。といっても、もう五年以上会ってなかったんだけどね。この前、偶然会ってそれで……」
それで、どうなのだろう? 今はまだ友達だと思っているが、異性として意識していないとは……言えない。もし榊さんがうちを訪ねてこなければ、俺は今ごろ古賀さんと……
「もしかして、お付き合い……されているのですか?」
「してないよ。古賀さんとは、まだ再会したばかりだから」
「そう……ですか」
榊さんは、安心したように息を吐く。少し前の俺なら、勘違いしてしまっていたような態度。でも、そういうのに一喜一憂した結果が、都合のいいキープだ。
「ほんと、なにやってんだか」
空を見上げる。欠けた月がこちらを見下ろしている。……いや、欠けたように見える月が、こちらを見下ろしている。月は変わらず、いつも同じ面を向けて、こちらをただ見つめている。
俺は空を見上げたまま、口を開く。
「俺さ、榊さんのことが好きだったんだよ」
「……え?」
俺の突然の言葉に、榊さんは足を止め、驚いたようにこちらを見る。俺も足を止めて、榊さんを見つめる。
「ま、俺から告白したんだし、散々似たようなこと言ってきたから、榊さんからすれば今さらかもしれないけどさ。でも、俺は本当に……君のことが好きだった」
「…………」
榊さんはなにも言わない。遠くから、車のクラクションの音が聴こえてくる。音の少ない静かな夜に、自嘲するような男の声がただ響く。
「君の笑顔を見てみたかった。一度でいいから、触れてみたかった。俺が君を守るって約束して……それがなんだか物語の主人公になったみたいで、嬉しかった」
でも結局、榊さんは一度もこっちを見てくれなかった。都合のいいキープだなんて言われて酷く傷ついて、知らない男と仲良くしているのを見て……泣きたくなった。
主人公だなんて思っていた俺は、榊さんからすればよくいるモブの一人でしかなかった。
「でも俺は、俺の都合しか考えてなかったんだよ。俺は俺のことばかりで、君がどう思っているのかを考えてなかった。俺みたいな派手な金髪の男に言い寄られたら、怖くて断れなくてもおかしくないのにさ」
「そんなことは……」
榊さんはまた、言葉の途中で口を閉じてしまう。俺は……笑う。
「正直、俺からすれば、三輪くんはうざくて面倒な男でしかない。でもきっと、榊さんにとっては大切な幼馴染なんだ。俺は榊さんに酷いことをされたと思っていたけど、榊さんからすれば、俺にずっと酷いことをされてきたと思っているのかもしれない」
欠けていると思っていたのは、きっと俺だけじゃない。
「だから、ごめんね。いろいろ当たっちゃったりして、悪かったよ」
「あなたが謝る必要なんて……ないですよ。……ないんですよ、本当に。寧ろ、私はあなたに……」
榊さんが、こちらに向かって手を伸ばす。初めて彼女の方から、俺に触れようとしてくれた。この前、抱きついてきた時とは違う。俺にはそれが、榊さんの……好意に見えた。
「……あ」
……でも、俺は首を横に張った。
「榊さんの気持ちを考えなかった俺も、悪いとは思う。でも悪いけど、俺もいつまでも君の『都合のいいキープ』ではいたくない。いい加減……そういうのはもう、うんざりなんだよ。だから……榊さん」
息を吐く。胸が痛んだ。痛い痛いと、弱い自分が胸の中で暴れ回る。……でも、いいんだ、痛くて。痛くて苦しくて泣きたいけれど、だからこそ言葉にする意味がある。
俺は、小さく笑って言った。
「──俺たちもう、別れようか」
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