第9話 お嬢様



「いいスマホ、見つかってよかったね?」


 中古ショップから出てすぐ、古賀さんがこっちを見て笑う。


「うん、手頃な値段で見つかってよかったよ。古賀さんが付き合ってくれたお陰かな?」


 そう言って俺も、笑顔を返す。


 偶々、目について入った小さな中古ショップで、型落ちの機種が格安で売られているのを見つけた。これなら仮に落としたスマホが見つかったとしても、後悔しない。そう思い俺は迷うことなく、そのスマホを買った。


「でも、いくら安いっていっても、落葉くん今、一人で生活してるんでしょ? お金とか大丈夫なの?」


「別に、縁を切られてる訳じゃないし、生活費とかはちゃんと貰ってるから、大丈夫だよ」


「そうなんだ、なら安心だね」


 古賀さんは、安心したように息を吐く。俺は心配してもらえたことが嬉しくて、ついニヤけてしまう。


 まあ実際、お金についてはあまり心配する必要はない。買おうと思えば最新機種のハイエンドモデルだって、買えてしまう。それくらいの金は、ちゃんと毎月振り込まれている。


「……でも、なんか気に入らないんだよな」


 そういうことで甘えるのが、何だか少し……癪だった。だからこのまえ失くしてしまったスマホも、自分でバイトをして買ったものだ。


 でも結局、生活費とかその他の金はあの人たちの世話になっているのだから、そんなことにこだわる意味はあまりないのかもしれない。


 ……そう思うのだが、そんな簡単に割り切ることもできない。


「でも落葉くん、お金は大丈夫でも、掃除とか洗濯とかは大変じゃない?」


 古賀さんの大きな瞳が、こちらを見る。俺は慌てて、意識を現実に引き戻す。


「大丈夫、そっちももう慣れたから。というか、古賀さんだってお父さんとかお母さんのご飯、作ったりしてるんでしょ?」


「あたし? あたしは……ほら、好きでやってるだけだから」


 「実はいい子なんです」と、古賀さんは胸を張る。俺はつい、笑ってしまう。


「……やっぱ、古賀さん変わったね? 昔はおばさんに、少しは家のことも手伝いなさーいとか言われて、怒られてたのに」


「あははは。流石に、小学生の頃と同じことはできないよ。寧ろ今はあたしが、それを美海子に言ってる」


「あー、確かに。失礼かもしれないけど、美海子ちゃんあんまり家事とかするようには見えなかったからな」


 この前、家にお邪魔させてもらった時は、古賀さんが料理しているのを見つめながら「今ならおっぱい揉めますよ?」とか言ってきたし。


「……でも、あれだよ? その……落葉くんさえよければ、あたし……手伝いに行ってもいいよ?」


 足を止めた古賀さんが、上目遣いでこちらを見上げる。……何だか意味もなく、俺はドキッとしてしまう。


「……有難いけど、流石にそこまでは甘えられないよ。古賀さんもいろいろ、忙しいだろうし」


「そんなことないよ! あたし暇だよ! 暇すぎてほんと、毎日干物になってるくらいだし! 旨みを蓄える以外に、やることないし!」


 古賀さんが、ガバッと俺の肩を掴む。……なんか古賀さん、やっぱり今日はちょっとテンション高いな。


 ……ってか、胸が当たってる。


「……じゃあ、時間に余裕がある時に、お願いしようかな。もちろん、お礼はするからさ」


「やったっ! じゃあ、任せてよ! 成長したあたしの家事スキルを、見せてあげるから!」


 古賀さんはそう言って、また笑った。相変わらず古賀さんは、本当に楽しそうに笑う。そんな古賀さんを見ていると、こっちまで楽しくなってくる。


「それで、このあとどうする? 古賀さんもどこか、付き合って欲しいところがあるんだよね?」


「え? あ、うん。そうだけど……でもその前に、ちょっとお腹すいたから、どこかでご飯でも食べない?」


 古賀さんはまた頬を赤くして、俺から視線を逸らしてしまう。……もしかして何か、言いにくいことでもあるのだろうか?


「でもまあ、そうだね。俺もお腹減ったし、どっかその辺の店に入ろっか。今日のお礼に、何か奢るよ」


「いいっていいって。落葉くん、スマホ買ったばかりでしょ? そんなことで、お金なんて使わなくてもいいよ。寧ろ、今日はあたしが──」


 そこで古賀さんが、足を止める。何かあったのだろうか? と、正面に視線を向けると、そこには古賀さんと同じ制服を着た金髪の女の子が立っていた。


「あら、こんなところで会うなんて奇遇ですわね? 琴音さん」


 少女が、こちらに向かって頭を下げる。……品のいいお辞儀。多分、ハーフか何かなのだろう。俺とは違い、ナチュラルな金髪と翡翠色の瞳。優雅な仕草と相まって、どこかの国のお姫様みたいだ。


「……ご機嫌よう、天音子あまねこ先輩」


 古賀さんは嫌そう……というより、面倒くさそうに頭を下げる。けれどその少女は気にした風もなく、華やかな表情で笑った。


「はい、ご機嫌よう。……それと、そっちは初めまして、ですわね。古賀さんの……彼氏さんですか? わたくしは、御鏡女学院が誇るお嬢様四天王の一人、三輪みわ 天音子あまねこですわ。おーっほっほっほ!」


「……ど、どうも、初めまして。俺は古賀さんの友達の……坂島です」


 お嬢様四天王? 何を言ってるんだ、この人は……と思ったが、初対面で指摘することもできない。俺はとりあえず、軽く会釈をして誤魔化す。


 ……でもまさか現実に、『おーっほっほっほ!』なんて笑い方をする人間がいるとは思わなかった。


「あーもう、落葉くんが引いちゃってるじゃないですかー。だから外ではその喋り方、辞めてって言ってるのに……」


「申し訳ないですが、わたくしは学院を出てもお嬢様ですから。この喋り方は、辞められませんわ」


「恥ずかしいです。めちゃ、恥ずかしいです。先輩そんなだと、頭いいのに馬鹿だと思われちゃいますよ?」


「構いませんわ。わたくしは、御鏡女学院のお嬢様四天王として、相応しい口調で話しているだけです。誇ることこそあれ、馬鹿にされる理由などありませんわ」


「……そうですか、分かりました。……行こ? 落葉くん。この人、変な人だから毒される前に逃げよ」


「え、あ、うん……」


 まだ事態をうまく飲み込めていない俺は、古賀さんに手を引かれるがまま歩き出す。


「あら、つれませんわね。その方が、あなたの言っていた幼馴染で初こ──」


「先輩! お嬢様は、後輩が男の子と楽しく遊んでいるところを、邪魔したりしませんよ?」


「……確かに、それはそうですわね。では、わたくしはこれで失礼させて頂きますわ。……って、あら?」


 そこでどうしてかその少女……三輪と名乗ったその少女は、こちらに近づき俺の顔を覗き込む。甘い香りの香水が、鼻腔をくすぐる。


「あの……どうかしましたか?」


 俺は綺麗な翡翠色の瞳から逃げるように、つい視線を逸らしてしまう。


「もしかしてあなた、わたくしとどこかでお会いしたことがありませんか?」


「いや、初対面だと思いますけど……」


「……そうですか? それにしてはわたくしのお嬢様センサーが、警鐘を鳴らしているようですが……」


「警鐘って、何か気に障ることでもしましたか……?」


「寧ろその逆ですわ。あなた……いえ、きっと気のせいでしょう」


 そう言って少女は、俺から距離を取る。


「ではわたくしはこれで、失礼させて頂きます。……琴音さんも、あまり羽目を外しすぎないようにしてくださいね?」


 おーっほっほっ! と、高笑いを響かせながら、少女はそのまま立ち去る。


「……なんか凄い人だね」


 と、俺は本心からの言葉を口にする。


「まあ、あの人あれで成績は学校で一番で後輩にも優しいから、尊敬されてはいるんだけどね」


「それはなんていうか……納得できるような、そうでないよな」


 まあ、結局彼女がどういう人でも、俺には全く関係ないのだが。


「……でも三輪、か」


 ついこの間、それと同じ苗字をした奴と話をしたばかりだ。でもきっとそれは……偶然なのだろう。


「……どうかしたの? 落葉くん。もしかして……先輩のことが気になったりする?」


 古賀さんがジト目で、こちらを睨む。俺は首を横に振った。


「いや別に、気になることなんてないよ。ただちょっと、知ってる奴と同じ苗字だっただけだから」


「……むー、なんか怪しい感じ。もしかして落葉くん、あたし以外にも御鏡女学院の知り合いとかいたりする?」


「いや、いないって。あんなお嬢様学校に、接点なんてないし」


「……ほんとに? もし嘘だったら、嫉妬する琴音……シトネになっちゃうよ?」


「なんだよ、シトネって。……大丈夫大丈夫。こんなことで、嘘なんてつかないから」


 何がそんなに気になるのか、古賀さんは不満そうに俺の顔を覗き込む。……無意識なんだろうけど、また胸が当たってる。それくらいで動揺するのは情けないと思いながらも、どうしても心臓がドキドキしてしまう。


「なんてね、冗談冗談。ただのかまちょでした」


 古賀さんはそう言って、楽しげに笑った。


「……変な冗談は辞めてくれよ」


 俺は大きく息を吐く。


「それより、この後どうする? もう結構、遅くなっちゃったけど、これから何か食べる? それとも今日はもう終わりにして、また今度にする?」


「あ、そうか。もうそんな時間か……」


 古賀さんは俺から距離を取り、照れている……というよりかは、無理やり照れているのを隠しているような表情で、口を開く。


「落葉くんさ、もしよかったらなんだけど……これから落葉くんの家に……行ってもいい?」


「え? 今から? 俺は別に構わないけど、うち何もないよ?」


「大丈夫大丈夫! 外だとほら……さっきみたいに変な先輩が、急に声をかけてくるかもしれないし……。だからできれば、落葉くんの家でゆっくりご飯食べたいな、なんて……ダメかな?」


「いや、ダメってことはないけど……」


 寧ろ、それはそれで楽しそうではあるが、今から俺が古賀さんを家に呼ぶのは……大丈夫なのか? 変なことをするつもりなんて全くないが、うち俺以外に誰もいないし、もし何か間違いでも起こったら……


「……もしかして、嫌だったりするのかな?」


 古賀さんが不安そうにこちらを見る。俺は慌てて、首を横に振った。


「いや、嫌なんてことはないよ。ただ……古賀さん、どこか付き合って欲しいところがあるとか、言ってなかったっけ?」


「それなら大丈夫! あたしの用事は、落葉くんの家でもできるから!」


 古賀さんが、俺の腕を掴む。……何だかやっぱり、不安そうな表情。俺は覚悟を決めた。


「分かった、じゃあうち来なよ。……でもうち、ほんとに何もないからね?」


「やったっ! じゃあ決まり! 行こっ!」


「ちょっ、引っ張らないでよ、古賀さん」


 古賀さんが俺の腕を抱きしめて、歩き出す。そんなことをされると、また大きい胸が当たってしまうのだが……まあいいだろう。古賀さんは凄く嬉しそうだし、水を差すようなことは言うべきじゃない。


 そうして数年ぶりに、今度は古賀さんが俺の家に来ることになった。



 ◇



 榊 沙織は、後悔していた。



「何をしているのでしょう、私は」


 誰もいなくなった教室で、沙織は一人ため息を吐く。


「……嫌われてしまいましたね」


 しかしそれは、当然だろう。例えどんな理由があったとしても、自分は約束をすっぽかしてしまった。そうでなくても今まで散々、辛く当たってきた。それを考えれば、落葉の今日の態度は優しい方だ。


「……はぁ」


 理屈ではそう分かっていても、心がまだ納得してくれない。沙織はまた、大きなため息をこぼす。


 落葉はどれだけ頭に来ても、沙織の悪口を他の誰かに話したりはしなかった。寧ろ彼は沙織の評判がよくなるように、彼女を褒めるようなことばかり口にしていた。


 ……そのせいで、惚気ているとか自慢しているとか言われても、彼はずっと……優しかった。


「今さら気づいても、どうすることも……できない」


 もう今更、できることなんて何もない。クラスメイトたちもいろいろ気を遣ってくれたが、もう関係修復なんてできるはずもない。


「案外、三輪くんの言う通りだったのかもしれませんね」


 人には誰しも、相応しい相手がいる。それは確かに、その通りだ。自分みたいに嫌な女と、あんな優しい人では全く釣り合いがとれていない。


「それでも、スマートフォンのことだけは、ちゃんと話してあげないと」


 沙織は最後にそう呟き、教室を出た。


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