第2回

 車は資材搬入用に敷かれた凹凸の激しい山道を上った先の、開けた場所で停車した。


 風に乗って、町のほうから音質の悪い、ガサついた『七つの子』が聞こえてくる。

 音楽につられるようにそちらに目を向けた政秀に男が説明した。


「子どもたちに帰宅を促す音楽です。毎日5時に町役場が流していて、なんでも70年の歴史があるそうですよ。お昼時には、また別の曲を流しているんだとか。

 まだこんなことをしている所があったんですね」


 古くさい田舎の伝統だと言わんばかりの、小ばかにした物言いだった。


「まあ、今が何時か知るのには便利だと思いますが。

 さて、降りましょうか。廃校舎はここから少し上がった所になります」


 シートベルトを外して運転席から出ようとする男を政秀が制止する。


「降りなくていい」

「案内が必要でしょう」

「不要だ。2時間もあればすむ。2時間後に迎えに来てくれ」

「しかし――」とっさに反論を口にしかけ、男は思い直したように作り笑顔で言い直した。「分かりました。では、ここでお待ちしていますよ」


 道が開通後ならまだしも、こんな田舎で夜2時間も時間をつぶせる場所などあるわけがない。また、外灯のない夜の山道を往復するよりもここで待って、戻ってきた政秀を乗せて帰るほうがいくらか時間を節約できるし、政秀にとってもここで車が来るのを待たなくていいのだから得になる話だと考えての提案だったが。


 男に通じてないと知った政秀は小さくため息をつき、「ここに1人でいないほうがいい」と付け加えた。


「70年たっているんだろう? 十分ここもやつのテリトリーだ」


 その声、口調。男を怖がらせるためにそう言っているわけでないのは明らかだった。

 背筋に冷たい震えが走った直後、はっと正気付く。一瞬でも怖じけたことをごまかすように、男は上着のポケットを探った。


「では、これをお持ちください」政秀に向けて放った、それはスマホだった。「私のスマホの番号が入っています。それで連絡をいただければ、すぐ――」

「いらん」


 即座に投げ返されてきたそれを男はとっさに受け取れず、お手玉してしまう。


「2時間後だ」


 念を押すように言い置いて外に出た政秀の、出会って以来徹頭徹尾変わらぬ横柄な態度に、ついに男はぷちっとこめかみ辺りで何かが切れるのを感じた。


「いいから持って行ってください!」


 ドアをたたき付けるように閉めて外へ出た男は、つかつかと歩み寄り、腕をつかんでスマホを手にねじ込む。


「この際だから言わせてもらいますがね、あなたと連絡をとるのにわたしがどれだけ苦労したことか! 今日も、こんな遅い時間になってしまって。本当なら昼に来る予定だったのに! おかげでわたしの午後の予定が全てキャンセルになったんですよ! それも全て、あなたがスマホを持たないからです!


 スマホを持つか、あるいは他の連絡手段……たとえば助手を雇うとかしたらどうですか? できるでしょう!」


 政秀は初めて見た男の剣幕に面食らったか。黙り込み、手の上でスマホを転がす。


「助手ならいた。口の達者なやつだったからつなぎ役に使えるかと思ったが、調子のいいうそばかりつきだしたので、先月クビにした」


 それに、と政秀は片方の口角を少し上げ、皮肉げな笑みをつくる。


「知らないようだから教えてやるが、電子機器と霊能力は相性が悪い。ああいった機械が出す電磁波と霊力波はよく干渉しあって、互いに誤作動を起こす。

 おまえも見たことがあるだろう? 映画やドラマなどで霊が現れたり霊的現象が起きるとき、必ずといっていいほど直前にカメラやテレビといった機器が壊れたり異常が起きる」


 男がはっとした表情になり、


「あれは、本当のことだったんですね!」


 と意気込んだ直後。


「冗談だ」


 政秀はあっさり先の言葉を否定した。


「……は?」

「そんなこと、あるわけないだろう」


 男の顔の高さに持ち上げた左手首の時計のガラス蓋を爪でコツコツとたたく。

 先の話が事実なら、時計は真っ先に影響を受けて使い物にならなくなるはずだろう、と。


「信じたのか?」

「…………っ……」


 赤面して、言葉もなく肩を震わせている男の前、後部座席から荷物を下ろした政秀は「2時間後だ」と再度言う。

 男は車を急発進させると砂煙を上げながら走り去って行った。


◆◆◆


 くどくどしい男がいなくなり、せいせいした、と政秀は車が坂で見えなくなる前に背を向けた。


 ここは資材置き場として使用するために急きょ切り開かれたのに違いない。掘り崩された真新しい斜面からのぞく木の根、あちらこちらに切り株や掘り返した土の山が残る中、隅のほうに小型重機数台と小型冷凍庫ほどの大きさの道具入れがあり、そして建設資材が人の背丈を超える高さで幾つも積み上げられていた。そのどれもに雨よけのブルーシートがかぶせられ、太いワイヤーロープでしっかり止められている。簡単に外れそうにないのは一見して分かった。


 もっとも、当時は雑なことをしていて緩み、事故後にきっちり止めるようになったのかもしれないが。

 ワイヤーロープ止めから視線を外し、木々の間から見える廃校を仰ぎ見たときだ。


 ――あの人、1人だけ? あの車、戻ってこない?

 ――そうみたい。この前のことがあったから、もう来ないと思ったんだけど。


 そんなひそひそ声が風に乗ってかすかに聞こえてきた。

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