2

 「いなくならないで……」

 「……」



 それは、昨夜僕が伝えた言葉と同じ。

 感情を隠そうともせず、ただ淋しいと切実に伝えてくる。


 だけど、僕は頷くことはできない。その願いを叶えられるのは、僕じゃない。


 律にお似合いのひとはいくらでもいるから。彼のそばにいるのは、僕なんかじゃなくていい。


 でも、こんな弱った律を置いて行くのは良心が痛む。

 彼を傷付けたくない。幸せでいてほしい。

 葛藤が僕の行動を抑制する。


 

 「紡、」


 ~~♪



 掴まれた手にぐっと力が入る。

 律が何かを言おうとした瞬間、スマホの着信音が静かな部屋に喧しいほどに鳴り響いた。


 その音を聞いて、ハッと我に返った。

 違う、僕のいるべきところはここじゃない。


 何とか手を離そうも試みるけれど、律もそう簡単には許してくれない。



 「電話、出ないと」



 早く出ろと急かすようにスマホは鳴り続けている。


 仕事の連絡だったら、たくさんの人に迷惑がかかる。業界人からの評価も高いのに、律の好感度をこんなことで落としたくない。


 諭すように言うと、律は苦虫を噛み潰したような表情で僕を見上げる。


 たぶん、律はわかってる。

 手を離したら、僕がいなくなるってこと。

 ……ごめんね、律。その通りだよ。




 そうしているうちに着信は一旦切れたけれど、間を置かず、またすぐにスマホがうるさく主張し始める。


 こんな朝から何度も電話をかけてくるのだ。よっぽど重要な用事なのだろう。



 「お願い……」

 「…………わかったよ」



 これ以上、貴方の負担になりたくない。


 消え入るような声で頼むと、律は本当に渋々といった顔で僕の手を離し、スマホを手にとった。



 「……もしもし」



 聞いたことのない、冷たく暗い声で律が電話に出る。感情を持たない視線は、僕にロックオンしたまま。


 彼の電話が終わるのを待っていられる程、僕の心臓は強くない。ここはいわば天界、凡人の住むところじゃない。



 (律……、さようなら)


 もう貴方に会うことはないけれど、誰よりも幸せを願ってる。


 表情が崩れるのを我慢するために唇を噛み締めて、僕は律に一礼すると、そのまま早足で家を出る。


 最後に見えた、捨てられた子犬のような顔をした律が、走っても走っても脳裏にこびりついて離れなかった。



◇◇



 「律さん、聞いてますか? あと十分で着きますからね」

 「ああ、わかってる」



 マネージャーとの通話を終えた律がベッドに沈む。


 淋しい。虚しい。悲しい。

 この世にある負の感情を全て集めて煮詰めたみたいな、そんな心境。


 彼を腕の中に閉じ込めたとき、これ以上ないほどの幸せを感じたのに……。紡がいない今は、ぽっかりと心に穴が空いたみたいだ。


 律は天井を仰ぎ見て、自分を取り巻く環境に絶望した。

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