第38話 憧れ、信じたその先で


『――一位赤組、天野伊織くん』



 アナウンスを聞き、僕は大きく息を吐いた。

 

 一位、か……いつぶりだろう。


 同じグループに、陸上、サッカー、バスケなどの、俊足がいなかったことも大きい。

 久しぶりのゴールテープを切る感触に、僕は感動を覚えた。


 ――けれど、それより重要なのは。

 

「……タイム、何秒でした?」


 係の人に聞きに行く。

 するとその人は、手元を確認して。

 

「えっと……『6.83秒』ですね」

「……っ」


 よし。

 思わず拳を握る。

 この体育祭の目標を、どうにか達成できた。


 元より運動が苦手ではなかったが、それでも六秒台は初。

 それを達成できたのは……


「――おう、目標達成か?」


 横から声をかけられ、意識が逸れる。

 横を向く前に、がっと肩に腕を回された。


「蓮二」

「あの子のおかげだな」

「……ああ」


 女子テントの方に目を向ける。

 探すまでもなく目立つ美月と、その隣にいる朝陽。


「ほれ。せっかく彼女と並んでるんだし、ちょっとアピールでもしてやれよ」


 にやにやとうざい。

 うざいけど……確かに。

 あいつのおかげなのは、事実だから。


「……」


 軽く拳を握って、突き出してみる。

 どう考えても似合わないし。恥ずかしいけど。


 すると美月の方は、微笑んで軽く手を振ってくれた。

 それに、肩に回された蓮二の腕が強まる。


「……改めて見るとめっさ腹立つな。お前への露骨な特別扱いっぷりが」


 そのまま首を絞められる。

 いや、お前から言ったくせに。


 ……一方、朝陽の方は。

 

(……やっぱり、何も反応してくれないか)


 目が合うと、露骨に顔を逸らされた。

 その様子に、蓮二も困惑した顔をする。


「……なあ、伊織」

「……分かってるよ」


 言われなくても。

 いつまでも、目を逸らしていられないことくらい。



『――それでは、これより昼休憩に入ります』



 ちょうどその時、アナウンスが流れた。


「……っし、伊織。飯にしようぜ」


「……ん」


 空気を変えるように明るく言う蓮二に、僕も頷いた。





 SIDE:井上朝陽



 ――また、目を逸らしちゃった。


 タイム、達成できたのかな。

 せっかく伊織センパイが、らしくもないアピールしてくれたのに。


 ……でも仕方ない。


 だってそれが、”約束”だから。


(……お姉様)


 隣に座る、美しい少女を見上げる。

 彼女は、僅かに微笑んで。

 ……小さく、あの人に手を振っていた。


 それを見た近くの女子が、ぎょっとした顔で彼女を見ている。

 ……その気持ちは、痛いほどよく分かった。


 ありえない。

 この人が、特定の男子に手を振るなんて。

 そんな”特別扱い”をする相手なんて、いるはずがない。


 ……少し前なら、私もそう考えたと思う。


 でも、今は。

 

「――朝陽ちゃん」

「あ……」


 呼ばれ、顔を上げる。

 すると雪村センパイが、その大きく美しい瞳で、私を見つめていた。


「もう、お昼だよ」

「……え、と」


 その瞳は、いつもと変わらない。

 キレイで、魅惑的で。なのに……


「……はい」


 冷たくて、怖い。


 ……怖い。この人に、そんなことを思うなんて。

 ずっと憧れて、近づきたくて。

 "朝陽ちゃん"って呼んでもらえる度に、飛び上がるくらい嬉しかった。

 なのに……


「……どうかした?」


 優しい声音。


 それさえ素直に受け止められず、つい視線を逸らしてしまう。

 けれど。


(……あ……)


 逸らした、その視線の先に。


「――おい天野、お前案外走れんだな!?」

「くそ、タイム負けた……! ついこの前までちょっと成績いいだけのもやしだったくせに……!」


 ……あの人の、姿。


「……っ」


『――天野くんと、今後もう関わらないこと』

 

 あの一言が、頭から離れない。


 その約束の意味。

 この人が、伊織センパイを……なんて。

 ありえない。そう自分に言い聞かせても、頭には、たった一つの答えしか浮かばない。


 ……だってそれなら、納得できてしまう。


 何に? ——今までの、全てに。

 

 あの約束も。

 あの時、私を助けたことも。

 そして……


「……雪村、センパイ」


 口が、勝手に動いた。

 何を話すのか、頭の整理もつかないまま。


「なに?」


 振り向いた彼女は、首を傾げて私を見る。

 

「……一つだけ……お聞きしても、いいですか……?」

「……?」


 そう聞くと、彼女は一瞬目を細め、やがて小さく頷いた。


 ……唇が震える。

 今から言葉にすることを、心が拒絶していた。


 でも、聞かないと。

 もし仮に、私の考えていることが正しくて。

 この人の心に、特別な誰かがいたとして。


 もしも、今までの全てが。


「……ずっと、分からなかったんです」


 全部……決まっていたのなら。


「どうしてあの時……関谷センパイは、私なんかに告白したんだろうって」


 唐突な言葉。

 でも雪村センパイは、ただ黙ってこちらを見つめていた。

 

「あの人は、バスケ部の有名な人で……女子からも人気があって。でも……」


 名前だけは知っていた。

 バスケ部に、ちょっと悪そうだけど、カッコいい人がいるって。

 だけど、それだけで。


「でも、おかしいんです。私、あの人と話したことなんてなくて。なのに……」


 その答えは、よく分からない噂。

 身に覚えなんてないのに。


「私が、関谷センパイに気があるとか、噂が広まってて……」


 ただの偶然かもしれない。

 誰かの冗談が、たまたま広まっただけ。

 誰のせいでもない、ただの不運。


 ……それなら、どれだけ救われるだろう。


 だけど、確かに感じた。

 誰かの”明確な意思”。

 あれは偶然じゃないって、そう確信してしまっている。


 バスケ部の誰か。 

 クラスの誰か。

 私のことが邪魔な、誰か。


 それは……


「お姉様……教えてください」

「……」

「違うなら、土下座でもなんでもします。いくらでも謝ります。でも、もしもって……」

 

 感情は、違うと訴えている。

 この人はそんな人じゃない。

 私の憧れた、綺麗で優しい人なんだって。


 ……だけど。


『――あ、伊織センパイ!』

『ん、朝陽か……なんだよ。バスケ部ならもう行かないからな』

 

 私自身、自覚すらしていなかった想い。

 もしこの人が、それに気づいていて。


 そして、この人が……



「あの噂を流したのは……お姉様、ですか?」



 私が思うよりずっと……あの人のことを、愛していたら。

 

 けれど、その言葉を口にした瞬間、酷い吐き気に襲われた。

 自分は一体、誰に何を言っているのだろう。


 この人は、私の憧れで、恩人で。

 今もこの人のおかげで、自分は元通りの学園生活を送れている。

 それなのに……


 私の言葉に、雪村センパイは何も言わない。

 表情一つ変えずに、じっと私を見下ろしている。


 ……その沈黙の意味なんて、考えたくもなかった。


 怖い。怖くてたまらない。早く何か言って欲しい。

 違うなら違うって、そう言って。


 そう言ってくれさえすれば、私は全力で謝る。謝って、泣きついて、そして……


 また、この人と。


 そんな希望だけを胸に、痛いくらいの沈黙に耐えた。

 一秒が永遠にも感じる静寂の中……やがて。 


「……」

 

 ――彼女はスマホを取り出し、何事かを打ち込んだ後。


 ……何も言わずに、席を立った。


 そのまま、私に背を向け歩き出す。


「……え……?」


 その背中を、私は慌てて追いかけた。

 

 横に並んでも、彼女はこちらを見ない。

 まるで見えていないように、私の呼びかけに答えてくれない。


 ……そうして、雪村センパイを追いかけた先。


 人気のない、学校の校舎裏。

 私が、関谷センパイに告白された場所。

 その陰で、雪村センパイは足を止めた。

 困惑しながら、私も彼女の隣に並ぶ。


 それから、数分。一言も喋らずに待ち。

 やがて。


 ……そこに、あの人がきた。

 

(伊織、センパイ……)

  

 柱の影にいる、私たちには気付いていない。

 その姿を見て、思わず一歩踏み出そうとした、その時――


「……っ?」


 そっと、肩を抑えられた。

 振り返ると、雪村センパイが、そのしなやかな手を私の肩に当てている。


 そして、彼女は一歩踏み出す。

 同時に、私の体を、小さく手で引いた。


 ――これ以上は、ダメ。そう諫めるように。


「……お姉、様?」


 その呼びかけに答えることなく、彼女は、そっと手を離して。


 ゆっくりと、伊織センパイの方に歩いて行った。


 そして……



「――伊織、お疲れ様」


 

 優しく、甘い声音で、そう呼びかけた。


(……え……?)


 今、あの人は何て言った?


 思考が止まる。

 そして、その直後。


「……なんだよ、美月。こんなとこに呼び出して」


「――っ」


 ……咄嗟に悲鳴をあげなかったのは、奇跡だと思った。


 伊織センパイは、警戒したように辺りを見回した。

 

 それに私は、咄嗟に柱の陰に身を隠す。


(……今、”美月”って……)


 ありえない。

 この学校に、そんな人は一人もいない。


 あの”雪村美月”を、名前で呼び捨てにする人なんて、誰も……。


「さっきの50M走、見てたよ。かっこよかった」

「ちょ、こら、学校ではやめろって……!」


 恐る恐る覗き見ると、雪村センパイが伊織センパイの頭を優しく撫でていた。

 そして伊織センパイも、困惑しながらも、どこか慣れた様子で。

 その姿は、まるで……


(……嘘……)


『――しかも相手、超絶美女』

『天野くんと、今後もう関わらないこと』


 繋がる。

 今までのことが。最悪の想像が。

 私の中で、ぴたり、と嵌った。

 ……嵌ってしまった。


 そして、呆然と眺める私に。


「――」


 不意に、彼女が目を向けた。


「……っ」


 思わず小さく悲鳴が漏れる。


 一切の感情のない、人間のそれとは思えない眼差し。

 ……あの時と、同じ。


「……うっ」


 考えるより先に、体が動いていた。

 早く、この場から離れないと。そう強迫観念に駆られて。

 

 その場から、駆け出していた。









 ――そして、少女が走り去った後。



「……それで、どうしたの」


「――別に」



 彼女は、何の未練もなく視線を切り。



「会いたかっただけだよ。伊織」



 ただ一人だけを瞳に映して、微笑んだ。









 ――どれだけ、走っただろう。


「……はぁっ……はぁ」


 気付けば、学校すら飛び出して、見慣れぬ路地裏の壁に手をついていた。


(……嘘……)


 頭に浮かぶのは、その言葉だけ。

 確かに、覚悟はしていた。

 憧れの人が、恋敵になるかもしれないって。


 ……でも、それどころじゃない。

 恋敵なんかじゃない。

 私はただの……邪魔者だった。


 あの人にとって私は、それだけの存在でしかなかった。


「……あ、はは……」


 笑えてしまう。

 笑わないと、壊れてしまいそうだった。

  

 ……もう、何も誤魔化せない。


 私を陥れたのは、雪村センパイ。

 私を追い詰め、救い、逃げ場をなくして首輪をつける。そんなマッチポンプ。


 何も疑わず、信じて慕っていた自分が、滑稽なピエロのように思える。


(……ひどいなぁ)


 心の大事な部分に、傷を負った自覚がある。

 これはちょっともう……耐えられないかな。


 ……なんて、他人事のように思った。


 イジメを受けた時の痛みとは、違う。

 あの時は孤独であっても、希望があった。 

 憧れの人は、憧れの人のままだった。


 それに……


『――大丈夫か? 朝陽』


 あの素直じゃなくて、それでも優しいセンパイが、いつかきっと助けてくれる。

 心のどこかで、そう思っていた。

 

 ……だからこそ、なのだろう。


 それが分かっていたから、あの人は。

 荒唐無稽な妄想かもしれない。

 でもきっと、真実だと思う。


 だって……


 ――伊織。


 そう呼ぶあの人の声が、あまりにも甘かったから。


「……そっか」


 ……分かりました。雪村センパイ。


 私は、邪魔なんですね。

 私は、いない方がいいんですよね。


 ひどいと思う。恨みたい気持ちもある。


 でも何より、救いようがないのは。



「……それでも……やっぱり好きだなぁ……」



 どっちを? ――どっちも。


 泣き叫びたい気持ちを堪えて。

 砕け散った心を、かき集めて。


 せめて、あの人の望む通りにしよう。


 私はそう、心に決めた。


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