チグリジア

ゆぐ

第1話

 冬暁ふゆあかつき。早朝の寒さで空気が澄み、太陽がビル群の間から差し始める。太陽の光が眩しくも、抱きしめるように美しく光る。


 波紋一つない八分目に注がれたやかんの中の水。それを見ながら、表情筋を微動だにせず、考えに耽っている女。部屋の中は、照明は日光に頼り、風が吹くたびに、カーテンの裾がひらりとし、フィカスベンジャミンの葉っぱたちや、チグリジアたちが踊る。コンロに火をつけ、またやかんの中を覗き込む。


            【まだ液体は動かない】


 小さい頃、性への目覚めが早かった。記憶を目一杯遡り、初めて射精したのは保育園生の時だった。たぶんもっと前かもしれない。床に寝そべり、両手の指先で一物を体の中に押し込むような感じで、そっと左右交互に力を加える。無知だったあの頃は、オーガズムだの、射精だの知らなかった。その行為をすると身震いがして、やった後はパンツが濡れる。それが私の普通で、みんなもやっていることだと思っていた。だから、私は誰にも言わなかった。今思えば、言えなかっただけかもしれない。


 小学生に上がっても、その行為は止まることもなく、その頃にはインターネットから知った知識も付け加えられてくる。浅はかな知識。精子の味も知った。最初は妊娠でもしてしまうのではと、内心ドキドキはしたが、意外にいけた。日によって味が変わる。疲れていると苦くなり、至って健康の時は、喉越しのいい味になる。


 高学年になると、けつあなに指を突っ込みながら、一物を刺激するプレーに走り始めた。きっかけはアダルトビデオ。女性の陰部を刺激するプレーを観て、私にもできるのではと、謎の自信が私の性欲を掻き立てた。最初は何にも感じなかったし、痛かったが、何回かやってく内に気持ちよさが分かったきた。

 女性にGスポットがあるみたいに、男性にも前立腺というものがある。射精をするのに重要な器官だ。押してみると、ビー玉ほどの柔らかいしこり。そこを刺激すると、気持ちよいピリピリ感が一物の刺激に乗っかる。それが絶頂になるにつれて前立腺は、ものすごく硬くなる。それが一物オンリーの時とは違う快感。私は事あるごとにそんなプレーをし、中毒になっていた。

 それに加え、私はもともとの体の体質上、粘液便になりやすかった。ストレスか何かで腸が一時的におかしくなってしまう。その粘液便の量が多くて、女性の愛液みたいに、ドバドバ出てきた。ぬるぬる感が気持ちよく、うんこ臭もしないから、粘液便になったときは決まってやっていた。

 他にも、穴の穴に突っ込むのも指では満足できなくなり、家にあった直径4センチの懐中電灯を入れた。最初は痛かった。穴の穴が切れて血が出た。それでも慣れてしまえば気持ちよかった。速く動かすと失禁しそうで、それも快感だった。懐中電灯も驚いているだろう。暗いところを照らす道具なのに快楽のために、別の使い方をされるなんて。


 しかし、私が一番悩んでいるのは、一般的自慰行為から外れていることではない。時々襲ってくる、内と外が乖離かいりしているような状態。自分の体のはずなのに、どこか離れているような感覚があること。でも、自慰行為をしているときの自分は、自分だと理解できる。自慰行為で、自己理解ができる。自問自答ができる。

 ––なぜ私のは胸がない。

 ––なぜ私には一物がある。

 ––なぜ女じゃない。

 ––なぜ、男なの。


 そして気づいた。私は、体は男だが、心は女性というMTF(Male to Femaleの略)だということ。最初にアダルトサイトで女性の裸体を見た時、なぜだか性欲よりも憧れの気持ちが先に湧いた。あの曲線美。やわらかい白い肌。男性より何倍も気持ちよくなれる陰部。世の一般男性は女性の裸体を見れば真っ先に興奮するもの。なのに私は、神でも崇拝するかのごとく憧れの眼差しを向けた。今思えばあの頃から女性になりたかったのかもしれない。


 あの頃に戻りたい。性というものに関心がなく、無垢な幼少期のあのころ。男性女性という概念がない。ただの一人の人間として遊んだり、接したりする。誰も胸だの、一物だの考えていない。マイノリティだの、マジョリティだの考えすらもしない真っ新な状態。

 朝、目覚めて女にでもなっていないかな、と願って眠りにつく。そして目が覚めて、ダル重い体を無理やりでも起こして、今日も相変わらずの変わらない自分だ、と絶望する。鞭打つ馬のように元気な自分でいようと奮起する。どことなく違う自分が、世の中の普通と呼ばれる人間でいようとする自分に殴られて気絶する。目覚めては、殴られて気絶する。その繰り返し。だから自慰行為している自分は、羽を伸ばせる。「快楽を、快楽を」と、依存者のように貪る。指と懐中電灯で、己の本当の自分を解放させる。快楽が私の知能指数を一時的に上昇させ、終わりが来るまで手は止まらない。そして終わるとまた気絶する。内なる女性という自分を押さえつけ、社会で生きていくしかない。


           【やかんの底に小さな気泡が】


 あの頃は沼に足がはまり、じわじわと死ぬのを待つかのようだった。一層のこと死んでしまえば楽になれる。死んだら別の世界に運ばれて、そこが私のような人間が認められている世界だったら、と何度考えたことか。それでも私は死ぬことはしなかった。何かの本で読んだことを思い出した。

 『人生は表現物のようなもの。死は完成を意味し、どう自分が納得のいけるようなものにしていくか。期限付きの創作物。自分の納得がいくまで、何回も試行錯誤を繰り返す。でも期限が来てしまえば、作品に手を付けることはできなくなる。人生も同じようなこと。』

 

 でも私はこの苦しみを何とかしようと、リストカットにハマった(ハマった、という言い方があっているのか?)。痛みはどんな感情にも勝る。心理学の本で読んだことがある。最初はリストカットする人の気持ちがわからなった。なぜ自分の体を傷つけてまでそこまでしてやるのか。自分でやってみて分かった。

 カッターナイフを腕に当て程よく力を入れて、すーっと引くと、それに合わせて内側から血が滲み出てくる。それに伴う痛みはなぜか感じなかった。むしろ私はハイになった。それ以降頭痛がするから頭痛薬を飲むように、頻繁にやった。自分が死なないために。人生は創作物。まだ私の人生は自分が納得できるまでには至っていない。


                【気泡の増殖】


 ただひたすら、だらだらと学生生活を送りながら、ガス抜きをするかのように、自分のわがままを具現化した自慰行為と自傷行為をして欲を満たす。それで得られたのは、快感だけだった。

 こうなってくると、何もかも嫌になってくる。趣味もなく遊びもせず、ただ何か世の中の普遍的なルールを逸脱することを起こしそうで、自分でも制御ができなくなりそうで怖くなってる。周りにあるすべてのものが嫌になってくる。歩くときに感じる空気の肌感とか、蒼々とした空や雲とか、なんと形容すればいいかわからない空気の匂いとか。今まで感じてきてもスルーをしてきたものが、今の自分にとってストレスを繁殖させる。


 何者でもない自分がとてつもなく怖い。そんな自分に光を灯したのが、『新宿2丁目』だった。私のような人間が集える場所。ここなら私は生きていける、と思った。新宿2丁目に行くための理由づけとして、勉学に励んだ。大学はよく高学歴と言われる大学に入学。それと同時に、念願の新宿2丁目デビューを果たした。今までの日常が一変した。雲泥うんでいの差がある生活。

 

 ––そして私の人生は、あの人が来店したことで動き出した。

 

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