取り返しのつかない時間
中田ろじ
第1話
コトリ、サラサラ。
時間が解決してくれるんだよ。彼女はそう言った。ならば今回の出来事も時間が解決してくれるだろう。プレゼントされた瞬間に、中身を見なくてもお気に入りが確定された砂時計。
「びっくりでしょ。砂時計なんて」
正直言ったら戸惑った。そこに含まれている意味について考えてみるが、随分と複雑な答えが出てきそうでそれでいて、実際は何も浮かばない。
「どうして砂時計だと思う?」
そして彼女は言ったのだ。時間が解決してくれるんだよ。努力家の彼女にはなるほど、お似合いのアイテムなのかもしれない。
珍しく晴天の冬空。澄んだ空気に冷気が忍び込み、吐息が白く自己主張を始めていることだろう。雪の気配だって近づいている。そろそろ冬休みも始まるし、と考えて指折り数えてみる。停学を喰らっておまけに冬休みなんて、怠惰の極みじゃないか。
「まあ。悪くはないか」
僕は基本、怠け者だ。平日よりも休日を好むし、授業を聞くより休み時間を好む。何なら授業中だって舟を漕いで夢の世界に行っている。怠惰のレッテルを張られたとて、平常運転なのは変わらない。
「炬燵って。人をダメにするよね」
今年から我が部屋に導入された炬燵。コイツのせいで部屋のスペースをほぼ占領されているが、快適なので文句は言わない。文句どころか尊敬しかない。居心地が最高だしいつまでも入っていられる快適さだし何より。
「なんにも。したくなくなるね」
炬燵と受験生ってこの世でもっとも相性が悪いんじゃないかな、と絶賛二年生の僕は他人事のように思う。来年の今頃に勉強机に向かっている気がまるでしない。
サラサラ。
炬燵のうえには砂時計だけが載っている。上から下へ落ちていく砂を見ていると、時間が目に見えて分かるので日によって抱く気分が変わる。焦燥の時もあれば虚しさで満たされることもある。もちろん、過ぎ行く経過にわくわくすることも。カウントダウンはいつだってどこか胸高鳴るところがあるものだ。
五分で落ちきる砂時計。きちんと最後まで見ていないと、本当に五分経ったかは分からない。常に見守っていなければいけない存在。便利なのか不便なのか、だけれど情緒は確かにあるわけで、インテリアとしては悪くない。
僕はいま、ほとんどの時間を砂時計を見ることに費やしている。貴重な青春が、永遠に戻れない時間が、落ちていくのを見守っている。
コトリ、サラサラ。
ベッドの上でスマホが声を上げている。電源を切るのを忘れていたらしい。謹慎中は外界を遮断しておくつもりでいたのに。
震え続けるスマホ。見つめる。一向に鳴りやむ気配はない。手を伸ばせば届く距離だ。でもめいっぱい伸ばさなきゃいけない。それがなんだか途轍もなく億劫だと思った。思ったらもうダメだった。見届けよう。見送ろう。
スマホが止まった。何故だか安堵の息が漏れる。誰からだろうと無視をする所存だったけれど、鳴っている携帯の放置というのはなかなか心荒ぶるものがあった。僕は根が真面目なのかもしれない。
まあいい。これで平穏は訪れた。ちょっと目を離した隙に、砂が半分以上流れていた。砂の色は白だった。時間に色が付くとしたら何色だろう。
再びスマホが己を誇示しだす。今度こそ気づいてください、と息を吹き返したかのようだった。
「……だから億劫なんだって」
手を伸ばせばそれでいい。でもそれよりも何もしたくない。どうして電源を切らなかったのだろうと己に怒りがわいてくる。確認したらさっさと切れよ。
もしかしたらボタンを長押しするのさえ面倒になったのかもしれない。それとも他に切り方が存在するのだろうか。だとしてもそれを探すのもまた面倒。とにかく、怠け者の僕に炬燵を噛ませた時点で、連絡手段はないのだと悟ってほしいばかりだ。
鳴きやんだ。やれやれとばかりに嘆息。このタイミングで電源を切りにかかった方がいいのかもしれない。でもそこで考えてしまう。
電源を落とす為に腕を伸ばす。だったら最初から電話に出た方が良かったんじゃないか? これを誰かに見られたらどう言い訳すればいいのだろうか。断固拒否していることがバレバレだ。
何かを強く主張するのは苦手な方だ。それなのに堂々と示している。僕は電話に出たくない。誰とも話したくないのだと。まあ間違いではないけれど、声高に宣言はしたくない。いや待てそれ以前に。
「いまは僕ひとりじゃないか」
などと当たり前のことを思っていたら。三たび、スマホが震え始める。どうして出てくれないの、とヒステリックに喚いているように見えてくる。こうなってくると恐怖だ。同じ人間であっても怖いし、違う人間なら不可解だ。いや、それとも謹慎の自分を気遣ってくれる仲間が多くいるということか。それはそれで悪くない考えだ。
今度はすぐに止まった。さすがの億劫屋の僕も、今回ばかりはと手を伸ばす。
「いやいや。電話が切れてから手を伸ばすとか。先輩ってあれですか。謹慎を心配してくれる仲間の声を無視して、人望あるけど孤独に浸る俺カッコいい、みたいに一人で悦に入る残念な部類の人間なんですか?」
部屋のドアへ。勢いよく振り返る。そこにはわが校の制服を着た女子が立っていた。
「なんですか。じっと見て。見惚れてるんですか。見惚れ呆けているんですか。いくら私が可愛すぎるからって、そこまで凝視してたらさすがに有料会員になってもらいますけど」
人が立っているという時点で、頭はパニックを起こしていた。ここは僕の部屋だ。そして二階だ。家人はいない。というか家の玄関は施錠されている。
「なに……ものですか」
「先輩が電話に出ないから。こうやって押しかけるはめになっちゃったじゃないですか」
「……いや、だから。なんで……」
「分かりました。先輩。ここは深呼吸です。いいですか」
言われるままにした。深く吸って、吐いて。三度繰り返す。不審者に促されたとはいえ自身でやったのだ。効果はしっかりあった。おかげで冷静さを取り戻す。そして沸いてくる疑問。今度は整理してからぶつける。
「なんで。玄関はどうしたの」
「開いてましたよ」
「嘘だ」
「そうです。嘘です」
打てば響く即答。その中身は疑問符だらけ。
「じゃあどうやって入ったんだよ」
「先輩。私は新聞部です」
「だからなんだよ」
「情報を武器にしているってことです」
「意味が分からない。あれかピッキングとかいうやつか」
「先輩。鍵って知ってます?」
「バカにしてるのか」
「コケにしています」
そう言ってずかずかと部屋に入ってくる。そしてなんの躊躇いもなく僕の向かいの炬燵に足を入れた。
「いいですよね。冬は炬燵ですよね」
「僕の権限で新聞部を廃部にしてやろうか」
「私の悲鳴で先輩を暴漢に仕立て上げることが出来ますよ」
「勝手に僕の部屋に入るな。というか炬燵に入るな」
「応答が無かったから入ったんですよ。目の前に炬燵があったら入るのが礼儀ってものじゃないんですか?」
口と同じくらいに忙しなく視線も動いていた。大きな瞳で詮索している様はさながら好奇心旺盛な猫のようだ。
「きょろきょろするな。失礼だぞ」
「すみません。異性の部屋ってあんま経験なくて。エロ本、どこにあるんですか?」
「口閉じろ」
「一緒に袋とじ開けちゃいます?」
このままでは相手のペースだ。気を落ち着けることに集中する。
砂は完全に落ちきっていた。窓から見える冬空の晴天は、室内からだとその寒さはまるで窺えない。
わざわざ家に来たのは。見知らぬ新聞部の女子生徒。確かに生徒会メンバーには来るなとは伝えた。律儀に守ってはくれたけれど、どうやらイレギュラーが発生しているみたいだ。
「いつから扉の前にいたんだよ」
「初めてスマホが鳴った時から」
「……すぐに声掛けろよ」
「だったらすぐに電話出ろよ」
二度目が鳴り終わって人の目を気にして云々と思ったのはあながち的外れじゃなかったということか。それにしても自分の鈍感さが悔やまれる。
「先輩って。人の気配に鈍感なんですね」
と思ってたら早速芯を喰うことを言ってきた。
「人の目は気にしない。いるんだよなそういうタイプ。少数派ですよね。自意識過剰な高校生ならなおのこと」
「いいじゃないか鈍感。気づかない方が良いこともあるんだよ」
「気づかなかった結果がとんだサプライズじゃないですか。ビビりませんでした。可憐な少女が部屋にいて」
「可憐な少女なんてどこにいるんだ?」
「あれれ。目、悪いんですか。良かったら潰してあげますよ」
全ての疑問符が回収されたわけではないのに、無駄口ばかりが多くなる。気づけば乗せられて口を開いている。これが新聞部としての技術だとしたら恐ろしく有能な部員ということになる。
「というか君は」
「
「天里後輩は。ここに何しに来たんだ」
「そんなの決まってるじゃないですか」
そう言って、携えていた鞄からノートとペンを取り出した。
「
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