第8話 子どもに教える「道徳教育」の矛盾

学校で行われる「道徳の授業」。そこでは、善悪の区別や社会での正しい行動について教えられます。しかし、この「道徳教育」は本当に子どもたちにとって有意義なものなのでしょうか?その裏には、見過ごされがちな矛盾や課題が隠れています。


まず問題になるのは、道徳が「正解」を提示する形で教えられる点です。たとえば、授業ではある問題状況を提示し、「こうするのが正しい」という結論が示されることが多いでしょう。しかし、現実の道徳的な判断には正解がない場合がほとんどです。むしろ、さまざまな価値観や状況を考慮して判断を下すことが求められます。道徳教育が一つの模範解答を押しつける形では、子どもたちの自由な思考や倫理観の形成を妨げる可能性があります。


また、道徳教育の内容が必ずしも時代や社会の多様性を反映していないことも問題です。たとえば、日本の道徳教育では「和を重んじる」「協調性を大切にする」といった価値観が強調されます。これらは重要な教えではありますが、一方で個性や自己主張の価値を軽視する側面もあります。現代社会では多様性が重視される一方で、道徳教育がその変化に追いついていない場合があるのです。


さらに、「正しい行動」を強調するあまり、子どもたちが失敗や葛藤を経験する余地が少なくなっていることも見逃せません。道徳は単なる「答え」ではなく、むしろ「問い続けるプロセス」です。子どもたちが実際に困難な状況に直面し、自分自身で考え抜く経験を通じてしか、本当の道徳的判断力は育たないのではないでしょうか。


また、教育現場そのものが必ずしも道徳的でない場合もあります。たとえば、教師や学校が「いじめは絶対に許されない」と教えながら、実際にはいじめの問題に対して適切に対応できていないケース。こうした矛盾は、子どもたちに「道徳の言葉」と「現実」の乖離を感じさせ、教えそのものの信頼性を損なう危険があります。


では、子どもに本当に必要な道徳教育とはどのようなものなのでしょうか?

鍵となるのは、「固定された答えを教える」のではなく、「問い続ける力」を育むことです。子どもたちに、多様な価値観や視点を学ぶ機会を提供し、自分自身の倫理観を形成する手助けをすること。さらに、失敗や葛藤を恐れず、自分で考え抜く力を尊重する教育が求められます。


もう一つ重要なのは、大人が模範を示すことです。教師や親が日常の中でどのように道徳的な行動を取るのかを、子どもたちは常に見ています。教科書での学び以上に、大人たちの行動が子どもたちの道徳観に大きな影響を与えるのです。


次回は「自己犠牲は道徳的か?」をテーマに、他者のために自分を犠牲にする行為が本当に正しいのかを考えます。道徳的な判断の中でも特に難しいこのテーマを、深く掘り下げてみましょう。

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