第6話 目に見えない善行:本当の道徳とは

誰も見ていないとき、あなたはどんな行動をとるでしょうか?電車で誰も見ていない隙にゴミをこっそり捨てる人もいれば、落ちているゴミを拾ってポケットにしまう人もいます。後者の行動は誰にも称賛されることはないかもしれませんが、こうした「目に見えない善行」こそが、道徳の真価を問う場ではないでしょうか。


現代社会では、善行は往々にして見える形で評価されがちです。たとえば、SNSでの寄付活動やボランティアの報告。それ自体は素晴らしい行為ですが、同時に「誰かに認められること」が目的になっていないかと考えさせられる場面もあります。もちろん、行動そのものが社会に役立つのであれば、その意図がどうであれ価値があります。しかし、目に見えないところでの行動が軽視されてしまう風潮はないでしょうか?


哲学者イマヌエル・カントは、道徳的行為について「義務のために行うことが真の善行である」と述べました。つまり、見返りや評価を期待せず、ただその行為が正しいからという理由で行う善行こそが、本当の意味で道徳的だという考えです。たとえば、誰にも知られずに募金をしたり、気づかれないように他人を助けたりする行為は、その典型といえます。


では、なぜ目に見えない善行が重要なのでしょうか?

それは、その行為が人間の「内面の善性」を映し出しているからです。他者に見られることで評価される善行は、ある意味で「外的な動機」によって支えられています。一方、誰にも知られない行動は「内的な動機」から生まれます。その純粋さこそが、道徳の本質を示しているのです。


たとえば、ある清掃員が早朝の公園を掃除している姿を想像してください。誰もその姿を見ていないのに、丁寧に仕事をこなす。その行動は「誰かのためになる」という気持ちから来ているのでしょう。そして、そのような善行を積み重ねる人々がいるからこそ、社会は裏で支えられています。


しかし、現代社会では目に見えない善行が見過ごされることが多いのも事実です。成果や目に見える実績が重視される社会では、静かな善意が評価されにくくなります。そのため、私たち自身がその価値に気づき、そうした行動を認める努力が必要です。


善行とは、表に出すことで完結するものではありません。それは、人目を気にせず自らの価値観に従って行う行動の中にこそ宿ります。本当の道徳は、他者の評価ではなく、自分自身の良心に問うものであるべきなのです。


次回は「宗教と道徳:一致するのか、対立するのか」をテーマに、道徳と信仰の関係について探ります。信仰に基づく道徳が果たして普遍的な正義なのか、それとも社会と衝突する危険を孕むのかを考察していきます。

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