0-1 天界の少女
―――眼前に広がるのは青い空と
「成功、ですね」
仰向けに寝そべる自分の顔を見下ろしている銀髪の少女の顔だった。
「なにこれ」
思ったままの言葉を脳死で吐き出す。
状況が理解できない。
さっきまでカップ麺の香りが漂う六畳一間にいた筈なのに。
「
人外めいて美しい銀髪の少女は
柔和な笑顔でわけのわからないことを口にする。
「なにこれ?」
思ったままの言葉を脳死で吐き出す。
状況が理解できない。
さっきまではカップ麺の香りが漂う六畳一間にいた筈なのに。
「いきなりでびっくりしちゃいますよね。でも、お兄さんが言ったんですよ?」
いたずらっぽく微笑む少女は佐紀の頬に手を伸ばす。
状況を呑み込めていない佐紀は彼女の掌を受け入れ頬に触れる人肌のぬくもりにこそばゆさを感じながらも口を開いた。
「いったい何を―――
「『僕だったら絶対にメリアを裏切ったりしないのに』―――そう言いましたよね?」
そういえば。
たしかにそのような事を言った。
その瞬間少女の声が聞こえて
「突然目の前が
「思い出せましたか?元の世界でのことを」
「元の、世界?」
通常ならありえない話。
一笑に付される内容であるが、学生時代から様々な書籍を読み漁った佐紀にはある程度の受け入れ耐性が出来ていた。
「ここは
「アド…?アルス?―――というか百年!?」
聞き慣れない単語、突飛な情報に混乱する。
「はい。精神情報だけをこちらに引っ張ってくるにはそれ相応に時間がかかるんです」
状況をまるで把握できていない佐紀を落ち着かせるように冷静に淡々と答える少女の言葉を反芻する。
すでに百年の時が経過しているのなら家族や知り合いはもちろん佐紀自身もとっくに
「僕は、死んだのか?」
「生きていますよ。百年というのはあくまでこちらの世界。お兄さんの世界ではそうですね―――本を一ページ読む程度の時間です。」
独特な言い回しだ。数分くらいと言いたいのだろうか。
「そうか、ならよかっ―――
「―――ですが」
ほっとしかけた佐紀の言葉を少女が遮る。
「死にかけですよ?お兄さん」
少し目を細め、呆れたような表情の少女は佐紀を見つめてそう言い放った。
「え」
言葉が出てこない。
突然わけのわからないところに連れてこられたと思えば次は死の宣告である。
死亡原因がピンとこない。
異世界転生の定番は突然向かってくる大型トラックだが。
自宅に引きこもりぬくぬくとゲームをしていた佐紀には無縁の存在だ。
「あちらの世界のお兄さんの身体は限界でした。数年にわたって蓄積された疲労のツケと言いますか。脳の血管が破裂寸前です」
人差し指を
「もう少し自分の身体を大事にしたほうがいいですよ?」
「か、返す言葉もないです」
仰向けに寝そべり頭上に立つ少女に呆れられながら叱られて情けなく謝る成人男性の姿がそこにはあった。
「まぁギリギリでこちらに引き抜いたのでひとまずは問題ないでしょう。その場凌ぎではありますが」
「それは―――ありがとう、ございます?」
ため息交じりの少女の言葉に安堵を覚える。
とりあえず
驚くほどに身体が軽い。
デスクワークで疲弊した身体の芯にこびりついた倦怠感を全く感じない。
そもそも、体重すら感じないような
「お兄さんは今、実体のない情報生命体ですからね。疲労も感じなければ食事も睡眠も必要ありません」
「へぇ、ソイツは便利だ」
もはや疑いようもない。
先ほどまでは半信半疑だったが半透明に透けた身体を見れば流石に信じざるを得ない。ここは元居た世界とは全く異なるファンタジー世界なんだと。
「落ち着いていますね。もうすこし取り乱すかと思ったのですが」
「ちゃんと驚いてるよ。ただまぁ非現実的すぎてさ」
気付かぬうちに死にかけて異世界に連れてこられたあげく肉体も失われたのだ。
現実味がない上に事が大きすぎて実感がまるで湧いてこない。
故に佐紀は逆に落ち着いていた。
「状況を整理すると死にかけたとこを君が助けてくれて精神だけが異世界に来たってわけだ。そして死の危険は
「説明が省けそうで助かります。あまり時間がありませんので」
佐紀の言葉を肯定し、少しだけ安堵した表情を見せる少女は刻々と減り続ける砂時計を取り出した。
おそらく何らかの期限を示しているのだろうと察せられる。
「時間がない?」
「はい、先ほどお話しした通りお兄さんは
少女の声と共にコツコツと砂時計に爪先を当てる音が響く。
「つまり?」
「元の世界の死に体に戻るか、ここに留まり消滅を待つかの二択を迫られた絶体絶命の状況です」
「―――それってかなり不味いのでは?」
思っていた以上の詰み盤面に頭が追いつかずに淡白な反応とともに顔を引き攣らせる。
「ええ、ですが」
「私ならもう一つの選択肢を用意できます」
そう告げる少女は佐紀の胸にそっと手を伸ばした。
光が少女の身体を覆っていく神秘的な光景はゲームであれば間違いなく一枚絵が差し込まれていただろうと、この状況で考えられる自分のゲーム脳に少しばかり呆れてしまう。
「私の管理する
眉唾物の話である。
信じるしかない状況だ。
しかし、そのように都合のいい話には必ずと言っていいほど―――
「私って結構すごいんですよ?」
疑念の表情を浮かべる佐紀に対して少女は可愛らしい微笑みを浮かべた。
胸に触れる手から何か膨大なエネルギーが流し込まれているように感じられる。
それに共鳴するかのように佐紀の肉体からまばゆい光があふれ出す。
「なん、だ?」
「防護膜です。世界を、次元を越える際に魂が傷つかないように必要なんです。こうして触れれば一息に展開できるんですが」
「別世界の僕に対してだとそうもいかなかったというわけか」
「はい」
佐紀の精神をこの場に呼び出すのに百年かかったと少女は言っていた。
この世界では容易でも別世界となると勝手が違うのだろう。
「ということは僕の身体を修復するのにもかなり時間がかかるんじゃないのか?」
「ええ、ですのでひとつ条件があります」
少し間を空けて、少女は口を開く。
条件、助けるにあたっての対価だろう。
無条件で助けてもらえるほど虫のいい話があるはずもないよなと佐紀は考え、少し身構える。
「別世界にいるお兄さんの肉体を修復するには莫大なリソースが必要ですが、この世界にはそれを
佐紀をここに呼び出すにもかなりの時間を要していたと言っていた。
元の世界の肉体に干渉するのも例に漏れないというわけである。
「ですので自力で稼いでもらいます」
助けるためのリソースくらいは自分で用意しろという至極もっともな条件である。
命を助けてもらえる以上は一生言いなりくらいの条件を出されてもおかしくはないと考えていた佐紀にとっては拍子抜けだった。
ただ―――
「僕はどうすればいい?」
命を助けるためのリソース。
それがどれほどになるか想像もできない。
それに加えて、そもそもリソースを確保する手段すらも佐紀はわかっていないのだ。出来もしないことを条件にされても困るのだ。
「はい。時間がないので詳しい説明は省きますが、
「壊す?」
何故?と佐紀は問いかける。
「
「なるほど。それを壊すことで帰りの交通費が生まれるわけか」
「その通りです。生まれたリソースは世界に還元されるので
少女は頭を少し傾けると任せてくれと微笑んだ。
「リソースを確保する手段はわかった。問題はそれが僕に可能なのかどうかだ」
本当に出来るのかと少女を見つめる。
佐紀はあくまで一般人。
天才的な頭脳も異世界で使えるような専門知識も持ち合わせていない。
物語の主人公のように、大それた事をなせるような人間ではないのだ。
「『デルキア』」
脈絡なく少女が口に出したのは佐紀の記憶にも新しいゲームのタイトルだった。
「あのシナリオに違和感はありませんでしたか?」
大いにある。特に人間関係で。
なぜ作中では努力家で真っすぐな性格のヒロインに婚約者と敵対するようなルートばかりが用意されていたのか。
争わねばならない運命にでも従っているかのようだった。
「どうして
彼女の死を見せ付けられるたびに思った。
一つとして生存ルートが存在しない彼女が一体何をしたのかと。
何度も何度も繰り返して繰り返して。
彼女を救おうとして、そのたびに失敗した。
「何度も諦めずに
少女の
「命を落としかけるほどの執念でしたからね」
「改めて言われると恥ずかしいな、それ」
乙女ゲームに熱中し命を落とした独身の男。
ちょっと来るものがあるその称号に佐紀は苦笑いを浮かべる。
「彼女の死の運命こそが
「あの人?」
「会えばわかります。ちょっと
いつくしむように胸の前で両手の指先を合わせる少女の表情からは胸中の相手に対する並々ならない信頼が窺える。
「時間です、これよりお兄さんを
合図と共に佐紀の足元に如何にもな魔法陣が広がりあたりが一層まばゆく光る。
「君は」
光に包まれ意識が遠のく中。
直感的に名前が聞きたいと思った。
先ほどまでは状況の把握にいっぱいいっぱいで自分の命を救ってくれた少女の名前すらも聞けていないことに今更気が付いたから。
そんな佐紀の心を見通したように少女は口を開き―――
「私はリーベ。この世界における神の片割れ」
―――あなたに祝福を。
微笑みと共に佐紀を見送るのだった。
※ ※※※ ※ ※※※ ※ ※※※ ※
―――パキン。
何かが
「ギル!?ギルバート!」
意識を取り戻した時、自分が誰かに支えられていることに気が付いた。
「急に倒れこんできて肝を冷やしたぞ?」
厳格そうな顔つきの男が心配そうな顔でこちらを見つめている。
全身には尋常ではない倦怠感が降りかかり。
頭は重たい二日酔いを数倍にしたような鈍痛に襲われていた。
支えがなければとてもじゃないが立っていられない。
だが、今はそんなことはどうでもよかった。
なぜなら―――
「―――メリ、ア?」
目の前に自分が救いたいと願い続けた女の子が立っていたから。
徐々に意識が曖昧になり、自分の身体から力が抜けていく。
間近にいる男の声もだんだんと遠のいていくのを気にも留めず。
ただまっすぐ、目の前のその子から視線を逸らさない。
絵にかいたようなお嬢様。
腰まで届く長い金色の髪をたなびかせ、
記憶よりも少し幼いが気品を感じさせる顔立ち。
ひしひしと感じさせられる高貴さからは世の男性を
薄れゆく意識の中で少女の顔を見ているとリーベの言葉にしっかりと応えていなかったことに気が付いた。
彼女の名前を聞きたくて肝心な返答ができていなかった間抜けさに我ながら呆れてしまう。
意識を保つのも限界に近い。
先ほどまで抗っていた瞼の重みに逆らうことをやめ、代わりに口角を少しだけ引き上げた。
ただの自己満足。
本人に伝わらずとも構わない。
それでも、命の恩人である少女リーベに向けて佐紀は応える。
―――あぁ、任せてくれ。今度こそ僕は。メリアを死なせない。
決意と共に僕の意識は途切れた。
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