2-7 迂闊

「何があったのかは聞きませんが―――しばらくは安静にしてください」


「はい。迅速な治療、感謝いたします」


 それでは。とだけ言って保健医は頭を下げると部屋を出ていった。

 僕とメリアだけをその場に残して。

 包帯を額に巻き付けられた僕はメリアたちのやり取りをただ眺めていた。

 貴族専用の個室治療室とかあるんだなぁ。

 なんて、どうでもいいことを考えながら。

 いわゆる、現実逃避だ。

 ―――。

 今、この部屋の空気がとんでもなくピリついている。

 それがわからない僕ではない。

 いつも煩いエイが黙る程度には爆発寸前なのだ。


「何を、考えていらっしゃるんですか?」


 ―――ひえっ。

 沈黙を破ったのはメリアだった。

 感情が一切乗っていない声。

 人を射殺いころせそうな剣呑な目つき。

 心裡に秘められた煮えたぎる怒りに身が竦む。

 皆にとって、もっとも恐ろしい怒り方はどんなだろうか。

 僕は静かに怒られるのが一番恐ろしい。


「病み上がりで無茶を―――いえ、病み上がりでなくとも到底看過できません。突然地面に頭を打ち付けるなんて何を考えていらっしゃるんですか?」


 魔力ってやつは感情の影響を受けやすい。

 冷静さを欠けば容易く乱れてしまうのだ。

 今のメリアがいい例だろうか。

 髪の毛先は揺れ動き、微量ではあるが魔力が漏れ出している。

 傍から見れば落ち着いて見えるが。

 これは、とんでもなく怒っている。


「衆目であのようなことをすればどうなるか想像がつかないあなたではないでしょう?貴族たちの噂のコントロールにも限度はあります」


「悪かった」


 こういうときはさっさと謝ってしまうのが一番だ。

 そも、言い返せるようなカードも手持ちにはないわけで。

 この威圧感と正面からやりあっていたギルバートに僕は少しばかり尊敬を覚えている。

 とてもじゃないが勝てる気はしない。


「ハイレンジア家の力をもってして現状は―――え?」


 作中において、メリアの怒りは概ね正しかった。

 正当なものだったと僕は思っている。

 ギルバートが危険なことに足を突っ込んだり。

 ヒロインが非常識なことをやらかしたり。

 大体はそんな感じだ。

 今回も結局は僕が馬鹿をやったってだけで。

 素直に謝るのが筋なのだ。


「軽率だったよ、すまなかった」


「―――」


 あくまでギルバートのキャラを崩さない範囲で。

 全面的にこちらが悪かったと、そう伝えてみたのだが。

 メリアからの返答がない。

 目を丸く見開いて硬直している。

 コンピューターがフリーズしたかのように微動だにせず。


「―――メリア?」


「―――」


「おーい」


「―――はっ!?」


 数秒のラグの後。

 正気に戻ったメリアが信じられない物を見るかのように僕を見る。

 まぁ、これまで謝罪なんてしたことがないわけで。

 というか謝るようなことが起きる距離感でもなく。


「大丈夫か?どこか調子でも」


「いえ、そういうわけでは。ただ、すこし―――」


「すこし?」


「驚いたというか、その―――」


 らしくない。

 彼女にしては歯切れが悪い。

 心なしか顔が紅潮しているようにも見える。

 僕の謝罪がそれほど衝撃的だったのか。

 謝っただけで衝撃を与える人間性。

 ―――それは人としてどうなんだろう。


「あ、あの。近い、です」


 あぁ、なるほど?

 僕は硬直したメリアの顔を覗き込んでいた。

 目線を合わせるために腰を屈めて。

 手を伸ばせば容易に触れることができる距離感だ。


「その、すこし離れていただけると」


 なんというか。

 すごく恥ずかしそうである。

 メリアはろくに異性との接点を持たない子だ。

 婚約者がいる侯爵令嬢に近づこうとする命知らずはそうはいない。

 故に、異性に対しての免疫が極めて低いのだ。

 作中でも手が触れただけで頬を赤らめているシーンがあった。

 相手がギルバートという点に不満はあったが。

 それでも、僕の好きなイベントの一つだった。


「―――やっぱり、かわいいな」


「へ?」


 ―――しまった。

 推しへの想いがつい。

 ぐるぐると目を回すメリアの破壊力が凄まじく。

 ギルバートが絶対に言わないようなことを口走ってしまった。

 なんとか誤魔化せるだろうか。

 いや、言い訳をすればするほど悪化する気がしてならない。

 僕が考えを巡らせる間にも、メリアの顔がみるみるうちに赤くなっていく。


「なっなな!ななななにをッ!!」


 どうしたものか。

 いま、こんな話をしている場合ではないのではないか?

 二人っきりになれる機会はそうそうないんだ。

 本題はこれまでの謝罪だろう。

 それをしないことには次に進めないのだから。


「メリア。俺は君に言わなければならないことが」


「と、ととっ、とにかく!今後はお気をつけください!私、もういきますので!」


「え、ちょっ」


 バアン!と、勢いよく扉を開いて。

 目にもとまらぬ速度でメリアは行ってしまった。

 制止に伸ばした手はただただ宙をさまようばかりで。

 なんの役にも立ちはしなかった。


「謝り損ねた」


『間抜けだねぇ』


 まったく、間抜けもいいところだ。

 今回ばかりはエイの言う通り。

 我ながら呆れて物も言えない。

 部屋に残されたのは一人の愚か者。

 これからはもう少し、後先を考えて動けと。

 そう自分に言い聞かせるのであった。

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