第30話 クラウス
暗く静まり返った廊下を、一海はランタンを片手に歩いていた。
蝋燭の心もとない火を頼りに一階の奥を目指して進む。クラウスは約束通り長老を交えて三人で話す場を設けてくれた。彼は夜遅い時間を指定してきた。館の中は消灯し、皆床に就いた後だった。
ふと窓から外を見やると、小さな影が動くのが見えた。この隠れ家の結界内に野生動物が入り込んでいるのは見たことが無い。一海は気になって窓に寄った。
「プラム……?」
月明かりに照らされた赤毛が揺れていた。
彼女の顔は見えなかったが、何かに熱中している様子だ。畑の手入れでもしているのか、はたまた秘密の特訓でもしているのか。
わざわざこんな時間にやっていることだ、人に見られたくないことかもしれない。窓から顔を離し、自分の目的地へ足を向けた。
一海は両開きの扉にたどり着いた。長老の部屋だ。先に入っていいのだろうかと気になりつつ、ノックをしてみる。返事は無い。部屋に入ろうとした一昨日と同じだ。この扉は声を通しにくいらしい。扉に触れて少し力を込めてみると、鍵がかけられている感触がしない。そのままゆっくりと扉を押す。重たい扉は軋みを立てながら開いた。
「失礼します……」
小声で言いながら部屋に一歩踏み入れる。中は暗かった。この隠れ家にやって来た日、初めてこの部屋に入ったときよりも。部屋を二つに区切る白いカーテンの向こう側にだけ魔燭器のぼんやりとした灯りがついており、ベッドの上で背もたれによしかかる長老のシルエットが薄っすら映し出されていた。
ランタンをかざして部屋を見回す。クラウスの姿は見当たらない。少し来るのが早かっただろうか。後ろで扉が重々しく閉まる音がする。
「夜分にすみません、小日向一海です。クラウスさんから話は聞いていると思いますが……九年前のことをお聞きしたいと思っていまして」
若干の気まずさを感じながら仕切りの向こう側へと話しかける。しかし、部屋の前で呼びかけたのと同じように返事は無かった。白くざらついた布に長老の影が揺らめく。緩慢な動作で仕切りに寄り、頭を潜らせて中の様子を見る。弱い光の中、長老がベッドの上で上体を起こしている。表情は見えない。手に持ったランタンを翳した。
「長老……?」
ベッドの上の男は目を瞑っていた。ランタンの光に照らされて顔の皺が浮かび上がる。
寝ている?いや――――
一海は近づいた。異様な静けさが辺りを支配している。起きる気配もなく佇む長老の、首の頸動脈に手を当てる。
冷たい。あり得ないほどに。
そして生命維持に必要な脈拍が、無い。
「死霊、魔法……!?」
「おや、驚きました。そんなことまで知っているんですね」
扉の方から声がして振り向く。
カーテンで仕切られてこちらから姿は見えない。息を呑み、カーテンを潜って向こう側に出た。
薄暗い中、いつの間にか部屋に入り込んでいたクラウスが立っていた。一海の持つランタンの炎が、彼の片眼鏡のレンズを妖しく煌めかせる。
「可能性の一つとして脳裏に浮かんではいたんだ……。
ずっと抱いていた疑惑。
なぜ一海達が召喚されることを知っていて、備えることができたのか。それは予言や啓示なんかじゃなかった。
「そうなんだろ、シンヤ……!」
クラウスの皮を被った男を睨んだ。彼は目を丸くする。
「なんでその名前を……いやそうか、アカネ達があっちの世界で……」
男は低い声でブツブツ呟く。一海は彼我の距離を測る。三メートルほど、一瞬で詰められる距離。出口は男の後ろ側だ。額から汗が垂れる。
「あんた、死んでなかったのか!?それとも一度死んで向こうの世界に帰されるのを回避したか……!?」
「何か勘違いをしてるみたいだな」
クラウスだがクラウスじゃない、棘のある低い声。
「俺はお前たちの敵じゃない。……話を、聞いてくれないか」
「お前の推理通り俺はシンヤだ。九年前に
薄暗く閉ざされた部屋で、シンヤは語り始めた。一海は一先ず黙って聞くことにした。
お前がどこまで知っているかは知らないが、俺は九年前にこの世界で死んだ。それは確かだ。だが蘇らされた。
俺を蘇らせたのはギルテリッジ帝国。お前らを襲ったやつらだ。
奴らは時間をかけて準備をし、世界各地に兵を忍ばせ、『
俺は帝国に囚われながら、奴らを止めるために動いた。生前に繋がりと貸しがあった死霊魔法使いに協力してもらい、俺は魂を二つに分けてその一つをノーグ教の司祭へと移し替えた。それによって時間制限はあるが外で動けるようになった。俺が……クラウスが半日以上居ない事が多かったのは、帝国に囚われている元の体に定期的に意識を戻す必要があったからだ。
それから、召喚されてくる
「そうして今、
一通り話終え、シンヤは一海の目を見た。話の通りであればこれまでの全てに合点がいく。本当に信じていいのだろうか。一海は彼の顔を見返した。
例えばシンヤが帝国に捕まったことまでが事実で、彼から得た情報で帝国側が今の話をでっち上げたとか……いや、そもそもこの隠れ家が帝国とグルである可能性は薄い。衝撃的な展開に頭の中がごちゃついている。頭を振り、思考をクリアする。
「信じるかどうかは、メイに聞いてから決めます」
「やはりメイは思い出したんだな?九年前のことを」
「はい」
「そうか……わかった。今、連れてきてくれるか。その方がこっちとしてもやりやすい。勿論他の奴らも一緒でいい」
シンヤはどこか物憂げな目でそう言った。
一海は彼の横をすり抜けて部屋を出た。その時にはもう、一海は彼の話を信じる気になっていた。
部屋を出て二階へ上がり、真っ先にメイのいる部屋に押し入った。ベッドは二つ。片方には棗と日鞠が布団を被っていて、まだ寝付いていなかった日鞠が起き上がり素っ頓狂な声を上げる。無視してもう片方のベッドに大股で歩み寄り、寝息を立てているメイの顔にランタンの光を翳しながら体をゆすった。
激しく揺らされ、小さく唸りながらメイは目を覚ます。ランタンの光に目を細め、一海の顔を認める。
「なに……?一海……?」
「今すぐ起きてくれ。シンヤが……シンヤが生きてたんだ」
直球に、その言葉が口から零れ出た。寝起きを考慮することも取り繕うこともできなかった。当然、まだ脳が起きていないメイは言っていることを咀嚼できずにしばし固まる。
「何を言ってるの?」
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