第26話 これは兄譲りなの

隠れ家に来て四日目、その早朝。

昨日肉体を酷使した疲れで早く眠りに付いたからかいつもより早く目が覚めた一海は、食堂で水を飲んだ後なんと無しに外に出た。昨日と変わらない清々しい青空が出迎える。朝露の匂いと湿り気混じりの空気が鼻を通る。周りが鬱蒼とした森に囲まれているのに不自然なほど生き物の鳴き声が無いのは結界のせいだろうか。そんな中、何かを叩くような音が断続的に響いていた。


 歩いていつも魔法の練習をしている芝生のところまで出ると、そこには藁で作った的に向かって剣を振っている棗の姿があった。彼女は集中しているようでこちらに気付かない。一海は近くのベンチに腰掛けてから声をかけてみる。


「練習熱心だね、若者よ」


 棗は手を止めてこちらを向いた。額の汗を拭い、口を開いた。


「おはよう、早いのね」


 おはよう、と一海も返す。


「そっちこそ、こんな早くから訓練しなくても」

「強くなるためには毎日の鍛錬が大事だから。あんたもする?」

「俺はいいや……もともとインドア派なんでね。お前の強さへの貪欲さは尊敬するよ」

「強くないと自分の正義を通せないからね。私は強くなきゃいけないの」


 棗はそう言って素振りを再開した。しばらく座ったままそれを眺めていた。ふと、あることを思い出して質問が口を衝いた。


「棗ってお兄さんがいるのか?」

「は!?」


 凄い衝撃を受けた顔でこちらを向き、固まる。


「え、そんなまずい質問だったか……?」

「……なんで知ってるの、兄がいること」

「ああ、前に寝言で言ってたんだよ。ほら、野営で同じテントだったことあったじゃん」

「キモッ!人の寝言勝手に聞かないでくれる!?」

「そっちが勝手に聞かせてきたんだろ!」


 一海はどちらかというと被害者である。それはそうと寝言のことを話題に出すのは少しキモかったなと自戒した。


「忘れなさい」

「いいじゃないか、兄弟が好きなのは恥じる事じゃない。けど棗の兄か……どんな感じなんだ?」


 世間話のつもりだった。数秒の間があり、答えが返ってくる。


「優しくて強くて、とても……尊敬できる兄だった」

「だった……?」

「死んだわ。四年前に」


 あくまで淡々と、彼女は言う。


「そう、だったのか……すまん」

「毎度思うけど、別に謝られても嬉しくないのよね」

「……それもそうか」


 一海自身、その感覚に身に覚えがあった。ある程度の時間が経っていれば、大抵は故人のことを意図せず聞かれたぐらいで気を病むほど引きずってはいない。同時にその場面で適切な言葉が何かといわれるとパっとは思い浮かばないし、謝罪を口にするのは無難で便利だとも思う。ともかくこの時一海は彼女に対してひっそりと親近感を抱いた。


「一海ってさ」


 棗は穏やかな口調で切り出した。


「いっつも合理的に物事を考えるよね。あんたからしたら、私のことは正義バカにでも見える?」

「……まあ」


 正直に答えると彼女は笑った。


「これは兄譲りなの」


 手元の木の剣を撫で、懐かしむように話す。


「兄は人を進んで助けるような人だった。それができるだけの強さを持ってたし、救われた人も多かった。すっごく慕われてた。でも、その正義感が仇になって……とある事件に巻き込まれた。夢だった警察官になる前に兄は死んでしまったわ」


 一海はただ黙って聞いていた。そして、棗はそのブレない芯の通った目でこちらを見る。


「私は兄を継ぐ。兄は間違ってなかったって証明するために、私は私と兄の正義を貫く。前も言ったけど、できるだけ皆の邪魔はしないようにするから」


 それは表明だった。彼女の背負ってきたものの表明。彼女のスタンスを、生き方を、それが相容れない一海に示した。

 何も言えなかった。彼女の意思が詰まった言葉が体の中に入り込んできて、泥となって沈殿した。


 やがて一海は立ち上がり、練習を再開した棗を残して逃げるようにその場を後にした。

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