第19話 ノーグ教徒の隠れ家

 ノーグ教徒の隠れ家がある街、アウジーンに着いたのは昼過ぎ頃だった。馬車で来た道を引き返すアクセルを見送り、一行は街に繰り出す。海に面している港町で、海に向かって広く緩やかな坂道が街の中央を走っている。すなわち、街に入ってすぐのところに立つ一海たちの場所からは、青く輝く海が一望できた。

 

「おおっ!いい景色!」

 

 大河が手をひさしにして遠くを眺める。一海は景色に目を奪われながら内心激しく同意した。元の世界の様に整備されておらず高い建物もないことがこの景色を一層良く見せた。手元にスマートフォンがあれば迷わず写真を撮っていただろう。この場にいる別の世界の住民は、一人残らず感嘆の声を上げていた。

 

「先に観光していくかい?そんなに広い街じゃあ無いが見どころはあるよ」

 

 気を利かせたルークが提案する。一海は景色を見ることを中断し答えた。

 

「いや、やめときます。先に隠れ家に入っちゃいましょう。観光は後でもできるし」

「えー?いいじゃんちょっとくらいさぁ。こんなにも海が青いんだよ?」


 不満の声を上げたのは大河だ。


「まあまあ、またすぐ観光しに来ようね」


 子供を相手にするように優しく宥める日鞠。一先ず彼は納得し、目的を急ぐことになった。


「とりあえず市場に行こうか」


 街に馴染みがあるのか、ルークは迷いなく道を先行する。坂を下り、やがて平坦になったところでメインストリートに交差する道へと入ると、簡易的な屋根の下で台の上に商品を広げている店がずらっと左右に並んでいた。手前には海鮮商品がこれでもかと並んでいて、奥に行くほど別系統の店が多いといった印象だ。時間帯によるものなのか人の賑わいは控えめだったが、それでも大きな籠や天秤棒などを持った人がせわしなく通りを行き来している。

 ふと、市場の終着点も近いところで彼は立ち止まった。キャンバスを屋根にして、他のそれよりも小さく区切られた店。隣接する店とはやけにスペースを空けられているその店に、一人の少女が立っていた。サイズの大きい外套を羽織りフードを被っている。店番にしては幼く見えた。十二、三歳くらいだろうか。赤毛の髪がチラとフードから覗く。少女は台本を読み上げるかのようにこちらに声をかけた。


「いらっしゃいませ」

「やあプラム。どうだい?景気の方は」


 ルークの知り合いなのだろうか。プラムと呼ばれた少女は無感情に首を横に振った。


「あんまり。こっちまで中々人が来ないから」

「あっちの人気エリアは盛況だね相変わらず。新入りは落ちた木の実を拾うしかない、か……とりあえず、売り上げに貢献させていただこう!プラム、”トレモアの花弁”を一つもらえるかい?」


 ルークが注文すると、プラムは横に置いていた自分の座高くらいある木の箱に手を伸ばした。木の箱には前面にいくつもの小さな引き出しがあり、その一つを空けると中の白い包みを取り出した。


「八ガルドです」


 値段を告げられ、ルークは銅貨を懐に下げた巾着袋からとりだして少女に手渡す。代わりに掌に収まるサイズの包みを受け取り、プラムに微笑みかけた。


「ありがとう。それじゃ、お仕事頑張って」


 プラムはぺこりと頭を下げた。一海はルークの手の内に目を向ける。一体何を買ったのだろうか。店の中心から遠ざかる方向へと歩きながら、ルークはひとりでに説明をする。


「トレモアというのは、女神様の住む聖域に咲いているとされる光る花の名前でね。つまり現実には存在していないわけだ」


 一海は反応する。


「え?じゃあ今買ったのって……」

「トレモアの花弁は闇を照らし、人を導く道しるべになると言われている。……まあつまるところ、仲間内の合言葉さ」


 得意げに説明し、包みから小さなメモを取り出して見せた。


「行こうか、私たちの隠れ家へ」


 ルークに案内され、一行は街の北はずれやってきた。木の杭とロープで区切られたその先には巨大な森が鬱蒼うっそうと広がっている。空高く背を伸ばす樹木が陽の光を遮って影を作り、さらには白い靄があちこちに立ち込めていて、入り口から10メートル先の景色すら望めない。


 「うわあ……」


 日鞠が声を漏らす。ルークとメイ以外、目の前の森が放つ異様な空気に圧倒されていた。


「ここは街の住民も近寄らない危険な森でね。中は様々な生物や魔物が跋扈し、とある植物が放出する靄で視界は最悪。過去に何人もの人間が森から帰らなくなり、いつからか『帰らずの森』と呼ばれている。どうだい?何かを隠すにはもってこいだろう?」


 ルークは得意げに説明した。一海は苦笑する。


「ですね、それどころかオーバーパワーかも...」


 ルークの話を聞いて大河は身を震わせる。


「一回はぐれたら一生会えなくなりそうだなぁ、怖っ……」

「迷子にならない様にピッタリついて歩かなきゃだね。……棗ちゃん?」


 日鞠は棗の顔を覗き込んだ。棗はいつの間にか彼女の手を握り、俯いている。


「……大丈夫。早く行きましょう」


 その声色からはいつもの覇気が消えていた。よく見ると顔も青ざめている。


「あれー、棗?まあ幽霊とか出そうだもんなーわかるよ。僕も手を繋いであげようか?」

「う、うるさい!別に幽霊とか怖く無いし、ただ物理が効かないと困るってだけよ!」

「いいから、そういうのは隠れ家についてからな」


 一海はロープを跨ぎ、危機感のない三人を急かす。へーい、と大河が気の抜けた声を上げながら続き、そして一行はロープの向こう側の樹海へと足を踏み入れた。


 森の中はやはり暗かった。どこかしこから虫や獣の声が断続的に聞こえてくる。冷たくじめついた空気が一海の肌を這い、それが森の怪しい雰囲気を増幅させた。道は当然整備されておらず、獣道や道なき道を、先頭のルークがダガーナイフでかき分けていく。時々ルークは立ち止まって木の幹を眺めたり、葉で覆い隠されて見えないはずの空を見上げたりしては、少しずつ方向を転換しながら歩を進めた。一海はその様子を注意深く観察していたが、木の幹に謎の印のようなものが刻まれていたのを一つ見つけただけで、あとは彼が何をしているのか分からなかった。

 半刻ほどそうして歩いた。その間に日鞠は三回転んだ。足元が非常に悪いのでこればっかりは仕方がないが、彼女と手を繋いでいた棗は当然のように巻き込まれるので毎回被害は甚大だった。


「あれ、ルークさんはもともとその隠れ家に居たんですよね?なのに入り口は教えてもらわないといけないんすね」


 疑問を投げかけたのは大河だ。ルークは答える。


「定期的に結界の入り口を組み替えているのさ。だから暫く隠れ家を離れた時は、ああやって今の入り口の場所を教えてもらう必要がある」

「すごいですね、誰がそんな高度な結界魔法を?」


 メイが口を挟む。一海も同じ疑問を抱いていた。


「司祭様がとても優秀な魔法士なんだ。後で紹介するよ」


 ルークは自分の事の様に誇らしげに言う。結界魔法は魔法の中でも複雑で高度なものだ。魔法の才があり研究に余念がなかったシンヤでさえ、手順も効果も簡易的なものを扱うので精いっぱいだった。それを考慮すると、その司祭という人物は相当手練れの魔法士なのだろう。その人に魔法を教えてもらうのもいいかもしれないと一海は考える。

 ふと、さらなる疑問が湧き出た一海はルークに聞く。


「なんでこんなに厳重に隠してるんでしょう?今回の俺達が逃げ込むにはちょうどいいですけど」

「確かに結構過剰よね。ただでさえこんな、誰も寄り付かない森の中なのに」


 棗が同調した。ルークは顎に手をやる。


「ふむ、確かに過剰に思うのも不思議じゃないか。……君たちはノーグ教が廃れた理由を知っているかい?」

「いえ」


 守護者アイギス召喚の記憶が世界に残らないから、が一要因だと踏んではいるが、当然そのことは伏せる。


「ああいや、知らなくて当然だったね」


 ルークはけらけらと笑った。


「今世界で広く信仰されているのはスペステラ神教といってね、これはノーグ教に比べると随分歴史の浅い宗教なんだが……ノーグ教は彼らに駆逐されたんだ。急速に勢力を拡大していたスペステラ神教にとってノーグ教は邪魔以外の何物でもないわけで、徐々に追いやられていった。もちろんノーグ教側も抵抗したさ。が、逆にそれがまずかった。神教のバックには大国ルクセリスがついていてね。武力で抵抗してしまったノーグ教をルクセリスは許さなかった。いや、彼らにとってはむしろ体のいい理由ができたんだろうね。それからはもうあっという間さ。世界一の軍事力を持つルクセリス相手にノーグ教は、それはもう、家に迷い込んでしまった羽虫がごとく叩きつぶされたみたいだね」


 彼はあくまで淡々と語る。


 「スペステラ神教にとって僕らは敵勢力、その残党さ。だから僕たちはコソコソとしてなきゃいけないってわけだ。教会なんて建てて彼らに見つかろうもんなら、なにされるかわかったもんじゃないからね」

 「そんなことが……酷い話……」


 棗は同情を顔に表す。ノーグ教が廃れた根本原因は、予想していたよりもどうしようもないものだった。ルークは続ける。


「まあそんなことがあったのも結構昔の話さ。そしてそういう状況の中、司祭様が隠れ家を作ってくれた。ノーグ教徒が安心して集まれる場所をね……っと、ここだ」


 話しながら、ルークはしゃがみ込んで地面の枯葉を除ける。それからプラムからもらった包みを取り出し、メモと一緒に入っていた掌に収まるサイズの木の板を地面に置いた。すると木の板に彫り込まれた杯の紋章――――ノーグ教のシンボルが緑色に光りはじめ、やがて穏やかに爆ぜて塵になった。


「さ、こっちだ」


 ルークは手招きした。よく見ると彼が立っている場所付近の空間が僅かに歪んでおり、その中にぽっかりと人一人が通れる大きさの穴が開いている。向こう側には均された土の道が陽の光に照らされているのが見えた。

 ルークが先陣を切って中へ入り、順々に後に続いて入り口を潜った。外から見えていた通り結界の中は明るかった。それどころか、木に遮られて見えるはずのない青空が広がっていた。結界に仕掛けがあるのだろうか。草原の上に道が続いており、その上を歩いていく。視界が開け、一行の前に立派な館が姿を現した。広い敷地の上に建つ、石造りの教会を思わせる建造物。『暁の番犬』の本拠地よりも一回り大きいだろうか。教会の入り口の両開きのドアがおもむろに開き、中から片眼鏡をかけた壮年の男が顔を出した。


「よく守護者アイギス達を無事に送り届けてくれました」


 白を基調にしたローブを纏った男は温和な口調で言った。


「クラウス司祭!」


 ルークが反応する。先ほど話にも出た、この隠れ家の結界を作った本人のようだ。彼は右手を胸に添えてお辞儀をする。


「迷い人にして世界を救いし人よ、ようこそノーグ教の隠れ家へ。歓迎いたします」

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