婚約破棄された商人の娘は、10億の慰謝料をいただくことにした
倉桐ぱきぽ
1 だまされ、寝取られ、婚約破棄
扉が開いた瞬間。
グレース・アーキンドーは、婚約者から、だまされたことに気がついた。
案内されたのは、華やかなパーティー会場。
また、一人、ゴージャスなドレスの夫人が、こちらを見て、眉をひそめた。
場違いな娘だと、思っているのだろう。
彼女だけじゃない。他にも不審者を見るような眼差しに、ヒソヒソ話、笑い声。
グレースは国内屈指の大商店、アーキンドー商会の娘である。美術品や舶来品なども取り扱っているため、貴族にも顧客が多く、交流は深い。それでも、やはり、ここでは場違いとしか言いようがなかった。
グレースだって、気づかないわけがない。
周りはみんな、流行りのドレスに身を包んだ女性と、燕尾服の男性ばかり。そんな中、グレースは、高見えのお手頃ワンピースで、ここへ来てしまったのだ。
……そう。婚約者にだまされて。
彼からは『ちょっとした身内での食事会』だと、聞いていた。そのうえ『両親から、君に大事な話があるそうだ』なんて言われては、来ない訳にはいかなかった。
しかし、実際は大々的なパーティーで、招待客の中には、アーキンドー商会を
婚約者は姿を見せず、グレースは見世物状態。これに先に声を上げたのは、マーキス・ゴーラクインだった。グレースの護衛兼、荷物持ちとして一緒に来ていた青年である。
「お嬢様、帰りましょう」
マーキスが、目をつり上げて言う。
「お嬢様をはずかしめようとしているとしか、思えません」
そうだとしても。
グレースは「だめよ」と、首を振る。
確かに、これは予想外の展開。でも婚約者と話をつけるため、今夜はここへ来たのだ。その目的だけでも果たさなくては。
グレースが、見世物状態をひたすら我慢すること三十分。扉が開いたと同時。
「グレース・アーキンドー!」
自分の名前が響き渡って、グレースはびっくりした。
そこにいたのは、婚約者のアフォード・オーバッカ。ようやく姿を見せたかと思ったら、一体、何ごとなのか。
アフォードは、うねった前髪をサラリと、かき上げた。それから体をくねらせ、グレースの顔にビシッと人さし指を向ける。
「君には、もう、うんざりだ! つまり、今日、ここで君との婚約を破棄する!」
大広間が一瞬だけ静まり返って、またすぐにざわざわとし始める。
「お嬢様」
マーキスが心配そうに、こちらを見た。
「大丈夫」
グレースは、笑顔を作る。
アフォードとは幼なじみで、毎日のように遊んでいた。けれど、それも昔の話。もう随分と前から、婚約者という肩書きはお飾りになっていた。
「僕は、真実の愛に目覚めたんだ! さあ、こちらへおいで。マイスイート!」
アフォードに促され、ドアの向こうから、新たな人物が現れる。まばゆいばかりの金髪、縦ロールに、淡いピンクのドレスを着た人物。その顔を、グレースはとてもよく知っていた。
「彼女こそが、僕の運命の相手! 彼女と一緒ならば、どんな困難をも乗り越えられよう!」
そう言って、アフォードは、側にいた彼女の肩をぐいっと引き寄せる。大きく開いた胸元には、宝石を散りばめたハートのペンダントがキラキラと輝いていた。自分が主役だと言わんばかりに。
ネトリーン・ザマーナイワ。
グレースの友人だった。
しかし目が合うと、ネトリーンの唇は美しく弧を描いた。にっこりと笑ったのだ。勝ち誇るように。
「グレース。君の家とは、長い付き合いがあるからと、勝手におじい様が君を婚約者にしてしまったが、そもそも僕は伯爵家の御曹司で、君は商人の娘。この僕の結婚相手に、ふさわしいはずがない!」
グレースは、ため息をついた。
昔は気が弱くて泣き虫で、こんなことを言う人間じゃなかった。
いつからだろう。
アフォードが、家に遊びに来なくなったのは。ここを訪れても用事があると断られ、そのうち居留守を使われるようになって、顔すら見れなくなった。
でも、こうなってしまった原因は、グレースにもあった。
アフォードの金遣いや勉強のこと、色々と口を出しすぎた。疎ましそうにしているのは分かっていたけど、全部、彼のためだと思っていた。そこはグレースも反省している。
「まったく、身のほど知らずだったな! グレースよ!」
そうねと、グレースも同意する。
「この縁組、正直なところ、私の父も『伯爵』の称号に目がくらんだのよ」
父は一人娘のグレースを何とか上流階級へ嫁がせ、伯爵夫人にしたかった。それでアフォードの祖父に、この縁談をねじ込んだのだ。
「所詮は財産目当てか! 欲深い親子め!」
「聞き捨てなりません。お嬢様だけでなく、旦那様まで、侮辱するのですか?」
マーキスが、グレースの前に出たのを、腕を掴んでぐいっと引き戻す。
「何だ、貴様は。下男ごときが、この僕に楯突こうというのか? 言っておくがな、僕は事実を言ったまでだ! 伯爵家と商家では、まるっきり、格が違うんだからな! まったく、庶民は下僕のしつけもなってないのか!」
アフォードの高笑いが響く中、グレースは、今にも飛び掛かりそうなマーキスの腕を掴んでいた。
「私は大丈夫。だから、あなたもこらえて」
実を言うと、今夜、グレースの方も婚約の解消を申し出るはずだった。内々の食事会だというから、そこで穏便に済ませるつもりだったのだ。
ただ、ここへ来るまで少し迷ってもいた。最後の最後まで残っていた迷いの一欠片は、今、きれいさっぱり、こっぱみじん、吹き飛んでいた。
グレースは小さく深呼吸して、顔を上げる。
そして。
「カバンを」
マーキスから、アフォードを地獄へ落とすであろう黒革のカバンを受け取った。
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