転生ヴァンパイア令嬢の床屋さんは平穏に暮らしたい。中世ヨーロッパ都市の一等地で頑張ってます。一〇〇〇年ほど前、神の子にラテン語を教わったことあるけど、知られたら異端審問にかけられそうだし内緒ね

うーぱー

中世南仏物語 ーContre Vents et Maréesー

プロローグ

1話 1000年後の吸血鬼

 北国の寒村は厚い雪に閉ざされていた。

 ごく平凡な少女エリザベートは、凍える指を吐息で温めながら、白樺の枝で籠を編む。

 指をひっかけて切ってしまい、血がにじんだので咥えた瞬間、過去の記憶が蘇った。


「あっ、あーっ! 思いだした! 私、血を吸う化け物だ!」

 ちゅるる……と指先から血を吸う。美味しい。

「あれ? もっと暖かい場所で暮らしていたと思うんだけど、なんでこんな雪の重みで潰れそうな小屋に住んでいるんだっけ……?」


 エリザベートは自分の格好を見る。

 分厚い衣服を何枚も重ねている。見える範囲に肌の露出はなく、編み物が大変になるのに皮の手袋をしている。


 記憶の中の自分は肩まで腕を出しているし、体には薄手の一枚布を巻いただけで、隙間から脚を太ももの半ばあたりまで出している。

 今、記憶と同じ格好をしたら、夜明け前に氷像ができそうだ。


「あ。そうだ。ローマで暮らしてた。大工や漁師をしてたなんでも屋のおじさんが、いきなり兵隊に囲まれて……。あー。あれは大変だったな。私は一千人くらいぶん投げたと思う。でも、街中軍隊で埋め尽くされて、おじさんに『逃げなさい』って言われて……。故郷のある北に逃げてきて……。油断したところを背後から剣か槍で刺されて、太陽の下に引きずりだされて灰になったんだ……。だから、気がついたら一人で森に倒れていたんだ。すっかり忘れてた……」


 エリザベートは少しの間、放心した。半開きの口から漏れた吐息が頬にはりついて凍ったので、両手で顔を包む。


「村の司祭様が今はキリスト歴一千三百年とか言ってたっけ……。キリストって、私にラテン語を教えてくれたなんでも屋のおじさんのことだよね? ……え。じゃあ、私、春が一千回来るくらい、灰になってたの? そんなことある? あの人、処刑されちゃったんだ……。……混乱しすぎてヤバいけど、とりあえずあの人の知りあいだってことは内緒にしておこう。そんなこと言ったら、異端審問にかけられて首吊りだ……。太陽の下に晒され続けたら、また灰になる……。よし。決めた。今度は平穏に生きる!」


 灰になって一千年過ごしたためか、なんでも屋のおじさんに「私の血だと思ってワインを飲みなさい」と勧められてそれに従ったからか、昔よりも吸血衝動は穏やかになっており、太陽への耐性も得ており、日常生活に支障はなかった。


 それから寒冷化による食糧不足で飢饉が起きたところに、戦乱による略奪が発生し、エリザベートが暮らす村は滅びた。


 彼女はかつての知人達の面影を求めて、南へ向かう。


 夏の陽光を浴びれば肌に引き裂くような痛みを感じたが、外套の頭巾を深く被れば耐えられる。彼女は巡礼者に紛れて世界を旅した。


 やがて彼女は安住の地に辿りつく。


 南フランスの城塞都市アイガ・モルタス。そこは高い城壁に囲まれ、家屋が密集しており、日陰が多かった。


 エリザベートは理髪外科医に弟子入りした。当時の医学知識では、血を抜けば病が治ると信じられていたので、血は容易く手に入る。月に一度ほど好みの血を一口飲むだけで、吸血欲は満たせた。


 時代は曇り続きの寒冷期で、それは後の大飢饉や黒死病へと至る予兆ではあったが、彼女のような存在が隠れ潜むのには最適の時と場所である。


 ***


 理髪外科医エリザベート・ド・トゥールーズが城塞都市アイガ・モルタスで暮らし始めてから、三年が経った。


 エリザベートは簡素な木棚にハサミと櫛を置くと、代わりに布の包みを手にし、中から静かに手鏡を取りだす。


「さあ、お客様。鏡をご覧ください。水面よりも綺麗にお姿を確認できますよ」


 彼女が手にする物は、イタリアで発明されたばかりの物ではなく、ローマ帝国時代の遺物である。鉛ではなく銀にガラスが塗られた高級品だ。プロヴァンス地方に接するここラングドック地方には、闘技場や水道橋などの遺跡と同じように、いくつかの道具や技術が残っている。


 彼女が清潔を維持するために使用する石けんもローマの遺産の一つで、ワインを搾る圧搾機の技術によって近隣の大都市マルセイユで作られる。同じく、彼女が着る赤い亜麻布のワンピースも、マルセイユからの輸入品。


 氷上に積もった雪のように白い肌と、雲のように透きとおった絹の髪飾りが巻かれたホワイトゴールドの髪は、まるで貴族の娘だが、ワンピースの上に毛布地の白いエプロンを掛けた格好から分かるように、エリザベートは庶民である。そんな庶民が一人で経営する、徒弟がいないような理髪店にガラスの鏡は随分と不釣りあいな高級品だ。


 客の男は、膝丈の服を皮革のベルトで絞るという、ありふれた格好をしており、彼もただの庶民である。

 しかし、男は鏡を一瞥しただけで特に興味を持たない様子だ。鏡を見慣れているからではない。男が理髪店へ来た理由が、髪を切ること以外にあったため、そちらに意識を奪われていた。


「ああ。うん」


 男は正面の十字窓に顔を向けたまま、だるそうに首を回す。


 愛想の悪い客はいくらでもいるので、エリザベートは特に気にかけない。女は男の失敗作――聖書がそう解釈されている時代なのでしょうがない。


「それではマッサージをしますね」


 エリザベートは手鏡を布で丁寧に包んで木棚に置くと、男に掛けてあった皮革のマントを取り、壁の釘に張られたロープにかける。


「頭部から首筋にかけて押していきます」


 エリザベートは血行促進のため、指先で男の頭部を圧していく。続いて、首の筋肉の緊張をほぐす。


「次は右腕を動かします。痛かったら教えてください」


 エリザベートは男の右手首と肘を掴み、体の上方へと上げさせる。前へ、後ろへとゆっくりと回転させ、可動範囲を確かめる。左腕も同じようにした。


「はい。健康そうですね。では、脚も見ていきます」


 エリザベートは男の膝を曲げたり伸ばしたりし、具合を確かめる。


「脚も痛みがなければ問題ないですね。何処か調子の悪いところはありますか?」


「んー。最近、夜になると寒気がする。瀉血しておいてくれないか?」


 瀉血とは血を抜く行為である。悪くなった血を体外に排出すれば病が回復すると、世間では信じられている。

 理髪士は外科医を兼ねており、客が求めれば治療のために瀉血をする。


「あー。瀉血。はい。うん……。えーっと」


 モンペリエの医学校でアラビア人医師から医学を学んだエリザベートは、瀉血で病は治らないと知っている。しかし今のヨーロッパは、神によって創られた人間の体を切り開くことは許されないという宗教的価値観により、医学は大幅に後退している最中。多くの外科医は瀉血によりあらゆる病が回復すると信じている。


 昔と違って今の彼女にとって、血は必須の食糧ではないが、月に一度は摂取しておきたい嗜好品である。しかし、この男の血は不味そうだ。


「春先の今頃でも夜になると冷えますよね。私も寒気がして、そんなときは壁に張りつくんですよ。お隣さんには竈があるから温かいんです。ほら、壁を共有しているから熱が伝わってくるんです」


 エリザベートは言外に、単に寒いから寒気がするだけであってなんの病気でもないと指摘する。しかし、男はどれほどエリザベートの意図を理解したかは分からないが「ふん」と嘲るように鼻を鳴らす。


「所詮は女か。瀉血する技量がないとみえる」


 男は立ちあがると、肩を回しながら出入り口に向かう。


「お客様。四ドゥニエ。もしくは羊毛の束でお支払い頂きたいのですが」


 都市内には貨幣の鋳造所もあるが、まだ貨幣経済が浸透しきっていないため、物々交換も行われている。物々交換では、需要が高く扱いやすい羊毛が好まれる。

 エリザベートは商人達が使うハンドサインは男に通じないと判断し、請求額の数だけ指を立てた。

 男はエリザベートを見向きもせず、ドアを内側に引いて開けると、路地に向かって声を大きくする。


「まったく、女の指ではマッサージは弱くて効果がない。おまけに瀉血すらできん。十分なサービスを受けられなかったのだから代金を支払う必要もあるまい。別の理髪店へ行くとするか」


 男は道行く人々に聞かせるよう、やや芝居がかった様子で大声を出すと、ドアを閉めずに去っていく。

 十字窓の向こうに、肩を振りながら歩き、すれ違う者を威嚇する男の様子が見える。エリザベートはすべてを察した。いや、最初から薄々と感じていたことが確信に変わった。


「はー。あー。まー。……そっかあ。やっぱなあ。私が女なのに都市の一等地に店を構えているから、それを妬んだ同業者からの嫌がらせかあ。代金を払わないどころか、わざわざ大声でうちの評判を落とすようなことを言ってくれちゃって……」


 先程まで男が座っていた椅子の背もたれをエリザベートが掴むと、ミシリと乾いた音が鳴る。


「誰の力が、弱いって?」


 エリザベートは騎士が使う盾(板を重ね合わせて表面を動物の皮で覆い、縁を金属で補強した物)と同程度の重量の椅子を軽々と持ち上げ――。


「禿げ散らかせ犬野郎! ご主人様のところに帰って骨でも貰って尻尾を振ってろ!」


 壁に投げつけようとするが、すんでのところで思いとどまり、手は離さずに振り抜く。

 プロヴァンスの北風ミストラルを思わせる突風が屋内に吹き荒れた。十字窓がガタガタと鳴り、ドアが勢いよく閉まり、床の髪と埃が舞い上がる。


「けほっ……けほっ……。あー。石のお家で良かった。木造だったら、ぶっ壊れてた」


 エリザベートは椅子を元の位置に戻す。固いオーク材の背もたれは、指の形に僅かに凹んでいた。


「はあ……。椅子もドアも壊したら修理のお金がかかるよね……。まったく、もう。同職組合ギルドは相互扶助するんじゃないの? 露骨に嫌がらせで私を追いだしてここを奪いに来てるなあ」


 エリザベートは椅子に腰掛けると、脚を投げだして脱力する。


「まったく……。分かるよ、分かる。城壁内の一等地にある石造二階建てなんて、喉から手が出るほど欲しいのは分かる。けど、ここは私がアンリさんから相続した物だから、そう簡単に譲るわけにはいかないのよ。アンリさんが存命のうちに、繁盛しているお店を見せてあげることは叶わなかったけど……。私がこうしてここにいられるのはアンリさんのおかげだし。この髪とアンリさんに誓って、絶対に、このお店を賑やかな声でいっぱいにしてみせる」


 アイガ・モルタスでは最初に城代の塔が創建されて、家々は東側に建てられていった。

 市街を囲む城壁は建設途中で石材が不足したため、都市の建造開始から半世紀以上がすぎた今でも東側と南側が未完成だ。

 一般的に城壁を造る石材は現地で地下から採掘する。掘った穴はそのまま堀として流用できるため現地採取が望ましい。工事現場の石を使えば輸送コストは要らないし、壁材として使えない細かい石は石灰モルタルの材料や、城壁内部の充填剤として使用できる。

 しかし、アイガ・モルタスでは城壁が半分も完成しないうちに建築材に利用可能な石灰石は尽きてしまった。石材を輸入することになり価格は高騰。そのため、初期に建てられた西側には石造の家が並ぶが、東に行くほど木造建築が増えていく。


 エリザベートが相続した建物は西側の一等地にある石造の高級物件だ。木造の店舗で商売する同業者は、これが気に入らないのだろう。

 都市民として新参者でしかも女が一等地に店を構えれば、妬みは避けられない。最近は先程のような男が来るようになった。証拠はないが、エリザベートは理髪職人組合、つまり同業者からの嫌がらせだと考えている。店が潰れることによって得する者が組合にはいるからだ。

 他にも、組合の会合に呼ばれなくなり、近隣の村落に出張して商売する担当の順番が回ってこなくなった。


 エリザベートは木造の天井(石造建築でも自重を減らすために、床や天井は木造にする)を見上げると力なく呟く。


「ゴミが部屋の隅に吹き飛ばされたから、店内は綺麗ですよー。立派な髭を蓄えたおじさまー、お客さーん、おいでー」


 諦観に満ちた声音は、遠くから聞こえてくる城壁工事の音や、大通りで客を呼び寄せる声にあっけなくかき消された。




◆ あとがき

 世の中には中世ヨーロッパ風世界のファンタジーはたくさんありますが、ガチの中世ヨーロッパ作品は見かけないと思い、書いてみました。『中世ヨーロッパ』というと範囲が広いので、14世紀初頭の南フランスの城塞都市まで限定しました。

 コメントしづらい内容かとは思いますが、気軽に感想でも書いて頂ければ幸いです。

 誤字報告も歓迎。

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