34話 問わず語り
——キッツいな。
捕まったら即死亡の命をかけた鬼ごっこ。しかも山の斜面を駆けるとなると、足に変な力が入る。何度も何度も転びそうになりながら、死に物狂いで足を前に出した。
勝手に背負い込んだ責任が大きすぎる。ヤマツミに笑われるのも、今なら何となくわかる。滑稽だ。出来もしないことを啖呵切ってみたり、勢いでカミサマ殴ったり、客観的にみたらアホすぎる。
「クッソ。」
口をついて出た毒は妖異たちには届いていないようだった。
足がちぎれそうになりながらも、がむしゃらに前へ前へ駆けた。
「やっば。」
ほんの少し、足を絡めただけだった。重心が傾き、盛大に手をついて転ぶ。
死を覚悟して背中に悪寒が走った。周りの気温も下がったように感じた。
最期に足掻こうと身体を捻って杭を妖異に向けるが、激しい爪の攻撃も、薙ぎ払うような尻尾も襲っては来なかった。
——あれ?
どれだけ肺に空気を取り込んでも呼吸は整わなかった。咳き込みながら見上げると、妖異たちの動きがピタリと止んでいる。
肩で息をしながら状況を判断しようと、妖異から視線を外した。
「ギィィィイァァァァァア——。」
叫び声に視線が吸い寄せられると、妖異を貫くのは無数の氷柱だった。
飛び散った氷晶が頬に付着する。月の光を受けて、氷が反射する。クライマックスを告げる花火の終わりのようで、見惚れた。
「助かった、氷牙。ありが——」
何かが顔面に飛び込んでくる気配がして体を横に倒した。見上げると、先ほどまで自分の顔があった場所を氷柱が貫いている。
「……氷牙?」
恐る恐る呼びかけると、少年は氷の上を音を出すように踏みながら近づいてきた。
「貴様の背後にいるかもしれんだろ。」
落ち着いていて、どこか怒気を含んだ声が耳に届く。
「いやだからって、どさくさに紛れて刺そうとすんなよ!」
「チッ。」
否定しないあたり、願わくば事故と称して葬りたかったのだろう。
わかりやすい敵意を向けてくる妖異よりよっぽど恐ろしい。
眉間に皺を寄せた氷牙に、道路の傍に捨てられた吐瀉物を見るような目で見下げられた。
氷河の顔をよく見ると、雪のような白肌に血か泥かわからない汚れが付着している。顔だけではない、和装のように袖の広がった白いパーカーにも、妖異の持つ爪の痕跡が残っていた。
俺がもっと強かったらここまで傷つかなかったのかもしれないと思うと、氷牙に申し訳が立たなかった。
「なんだ、悔恨の気持ちがあるならその身を持って詫びろ。」
心を見透かされたみたいで身体に力が入った。
「……俺はまだ死ぬわけにはかないし、死んだところで状況が良くなるわけでもないんだよ。」
ライカは自分の命と引き換えに村を守ってもらえないかとサグジに懇願していたが、俺はその考えには賛同できなかった。今死ねば、祖母に顔向けできないから。
それに、何より後悔はしたくない。両親が別れたときから、ずっと感じていることだ。もし死ぬとして、最期に何か残せたのなら、村を救うのに十分力を発揮できたのならまた考えは変わるかもしれないが、今は生きてやらなきゃいけないことが多すぎる。
「は、粋がるなよ。」
「いて。」
手をポケットに突っ込んだ氷牙は蔑むように俺を足蹴にすると、指を鳴らして術を解いた。氷牙の背後で凍てついていた妖異の姿は見当たらなかった。
「にしても、強かったな。」
「フン。どんな曲者だろうと、僕にかかればあの程度、造作もない。祓えて当然だ。貴様には歯が立たないように見えたかもしれないが、僕は——」「いやだから、氷牙が。」
「は?」
捲し立てる氷牙が何か勘違いを起こしてそうで、つい口を挟んだ。
氷牙はほんの少し目を見開いた。彼にとって意外な返答だったようで、淡群青の宝石を閉じ込めたような目を瞬かせた。
「さすがだな。ミナカミが太鼓判を押すのも良くわかる。」
「何を言う。まるでミナカミ様に会ったかのような言い草だな。」
「本人が言ってたんだよ。いや本神? あとよろしくだってさ。」
埃を払うように痛む箇所を手で撫でて、ゆっくり立ち上がった。腕を回すと、左肘に痛みが走り、そう簡単に本調子に戻らないことを理解させられた。
「神がそんな友好的なわけないだろ。」
馬鹿馬鹿しい、と鼻で笑われる。数週間前の自分なら同じ感想を抱いていただろう。そもそも存在すら信じていなかった自分がこんなことを言う立場になるとは、微塵も思っていなかった。
なぜか否定する気にもなれず、まあそうだよな、と呟くように答えた。
「氷牙はカミサマ信じてるのか?」
「わからん。」
神職の出自とは思えないようなあっさりとした回答だった。下手したら怒られてしまいそうな質問なのに、氷牙は感情のこもらない声で淡々と答えた。その様子を見て、やっぱりライカと姉弟なのだと感じた。
「視えないものを信じるのも難しい話だとは……思わんか。貴様には視えているのだろう。」
諦めるようにため息を吐いた氷牙はほんの少し顔を俯かせた。気になっていたその口調についてツッコむ機会もなくなり、どう話を繋げようか迷った。
「視えるようになったから信じた、かな。」
初めて氷牙に興味を持ったような視線を向けられた。彼は話の続きを促すように、ただ静かに待っている。
「ちなみに俺は信じてなかった。祈ったって、呪ったって、別に何も変わらなかったから。」
氷牙は自分の境遇を呪っただろう。俺なんかより辛い環境に身を置くことを余儀なくされて、妖異が視えないという理由だけで将来を否定されて、心を閉ざすには十分すぎる理由だ。
俺の過去を話したところで一蹴されてしまうかもしれない。それでも、立ち尽くしている氷牙は口を挟むでもなく、ただじっとしている。どんな結果になろうと、続けるしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます