23話 おなつと遊ぼう

「は……だれ……?」


 痛む左耳を押さえながらゆっくりと体を起こす。


「さっきまで話してたんだに。」


 その特徴的な声も語尾も思い当たる人物……というより動物は一匹しかいなかった。


「まさか……おなつ?」


 幼女は何故か得意げにフンと鼻を鳴らした。そのまま垂れた黒髪を後ろに払うと赤い帯の巻かれた腰に手を当てて、口を尖らせた。


「お前、女の子だったのか。」


「この姿の方が何かと都合がいいんだいに。」


 先ほどまでヤマツミの後ろに隠れていたたぬきだとは想像もできなかった。語尾を真似ただけの別人と言ってくれた方がまだ納得できた。

 

「もっと広いところでもいちゃと遊ぶんだに。」


「遊ぶって……まさか。」


 左耳だけずっと遠い感覚がある。あまり想像はしたくないのだが、先ほど蹴られた際に鼓膜が破れてしまったのだろう。不快感に顔を歪めながら足に力を入れて立ち上がった。


「役に立ちたいなら、まず強くならなきゃ。それに、まあほら、リクくんだって最低限身を守れるように妖異と戦えた方がいいんじゃない? 女の子に守ってもらってばっかじゃ顔が立たないでしょ。」


 ヤマツミに目を移すと、人差し指を立てて顎の下に当てている。彼女は誰よりもこの状況を楽しんでいた。

 もちろん心配する様子も、助ける様子も感じられなかった。

 しかし、確かにヤマツミの言うことにも一理あった。サグジを呼び出せるのは一日三回が限界だ。妖異と対峙するたびにカンナビに雷を落としてもらうわけにもいかない。それなら、少しでも自分が役に立つように、最低限の戦闘力は身につけておきたかった。


「それも、そうっすね。」


 ヤマツミは俺の横を通り過ぎた。すれ違いざまに鼻歌が聞こえた。


「それじゃあ、行ってらっしゃい。」


 ヤマツミは店の玄関の引き戸を開けると、遊園地のスタッフのように手を振った。

 乗り物に乗る前ならテンションが上がるであろうその振る舞いも、俺にとって楽しめる要素は微塵もなかった。

 それでも拳を握って腹を括り、ヤマツミの元まで歩み寄ろうとして、


「てーいっ!」


「うっ!?」


 体の向きをを出口に変える直前に、鳩尾に固いものが突っ込んできた。そのまま受け止めきれずに店の外に吹っ飛ばされた。


「げほっ、ごほっ……。」


「せっかくもいちゃのことが視える人間に会えたのに、全然手応え無いんだに。」


 腹の上に乗るおなつは退屈そうに目の下に下半月を作っている。手応えはないと言いつつも、彼女は表情を変えないまま痛みを庇うようにおでこを撫でた。

 

「はぁ、はぁ、」

 

 呼吸を整えながらぼんやりと空を眺めた。もうすっかり日は沈み、砂糖を黒いテーブルにこぼしたように、不規則に並ぶ星が瞬いていた。


「やる気あるんだいに?」


 垂れたおなつの黒髪が首元をくすぐった。彼女に顔を覗き込まれると、そのまま両頬を小さな手でペチペチと叩かれた。

 七歳、いや六歳くらいの幼女にここまで歯が立たない自分を情けなく思った。


「まあ流石に可哀想だからこれあげる。」


 店から出てきたヤマツミが手にしていたのは、先にリボンのような紐がついた鉄の棒だった。

 ヤマツミが鉄の棒を投げると、仰向けになる俺の顔のすぐ横に刺さった。もう二十センチズレていたら顔面に突き刺さっていただろう。


「なん、ですか、これ。」


 左手で棒を引き抜いた。よく見るとリボンがついた側に布が巻かれている。カンナビの使う神具よりはシンプルだが少し意匠が似ていた。


「壊れた祠の周りに刺してあった杭。もう荒御魂逃げちゃったから一本抜いてきた。」


 そんな大事なものを渡されて内心困ったが、武器がないんじゃそもそも妖異にもおなつにも太刀打ちできなかった。

 

「んなっ、それもいちゃに刺さったら死んじゃうんじゃ……。」


「大丈夫大丈夫、そうならないように見てるから。」


 ヤマツミは笑顔を崩さなかった。きっと本当に助けてくれるのだろうが、あまり安心できない笑顔だった。彼女が助けてくれるのは、いつだってギリギリなのだ。それは身を持って知っている。

 おなつが不安がるのも無理はなかった。


「で、でも……。」


「日和ってるの? それでも私の神器?」


「え、今なんて。」


「よそ見厳禁なんだいに。」


 鈍い音と共に頭が割れるような痛みに襲われた。


「い゛っ⁉︎」


 頭を押さえている間に、腹の上が軽くなった。反射で辺りを見回すと、おなつは数メートル先に距離をとっていた。


「待って、今神器って。」


 確認するようにヤマツミの方を見やると、「ほら次来るよ。」と顎で合図された。


「ふんっ。」


「和装でよくそこまで。」


 間一髪のところで体を左に逸らすと、地面に下駄を履いたかかとがめり込んでいた。


「えいっ。」


 じっくり感心する間もなく、反対の足の甲が迫ってきた。

 見えているのに体が追いつかず、蹴りを顔面に、しかもモロに食らった。

 鼻の奥が熱くなる感覚。不快感に顔を歪めていると、俺自身の手の甲に赤い水玉が模様を作っていった。


「くっそ。」


 杭を持ったままなんとか立ち上がると、そのままおなつの間合いに入らぬよう後方に下がった。

 拭っても拭っても鼻血は止まらなかった。

 杭を血のついた右手で持ち直すと、先の尖っていない方を相手に向けた。万が一にでもおなつを傷つけてしまっては困る。


「はぁ、どこまで優しいんだか。」


 そんな呟きが聞こえた気がしたが、振り返って確認する余裕などなかった。

 丸腰で攻めてくるおなつの攻撃をどうやってかわすか、何度も蹴られ、殴られ、頭突かれる中で考えたが——。


「うっ、はぁ、あ……。」


 額から流れ出る血が目に入って染みた。呼吸をするたびに痛む肋骨も、無理やり体を捻った際に嫌な音がした右足も、戦意喪失には十分すぎる要因だった。


「たはーっ、楽しかったんだいに。」


「がはっ、どけ、よ。」


 遠慮なしに腹に乗ってきたおなつは満足げに体を揺らしている。

 今まで対峙してきたどの妖異も、カンナビやサグジのおかげでなんとかなってきた。


 ——クッソ悔しい。


 左手で自分の前髪を乱暴に掴んだ。

 無力な自分を呪い、失望し、恨んだ。

 自分の実力を思い知る機会にはなったが、このまま一方的にやられっぱなしでは格好がつかなかった。


「俺、だって……!」


 すでに勝敗はついているのに、俺は最後の力を振り絞って、右手で持った杭を握り直した。仰向けではろくに力も入らない。それでも、目を見開いて、無理やり奮い立たせて、握った杭の先をおなつの頭に当てた。


「いっっっだぁぁぁぁあああ⁉︎」

 

 ごつん、と思ったより痛そうな音と振動が右手に伝わったところで、糸が切れたように体に力が入らなくなり、杭を地面に落とした。

 

「おなつはすぐ調子に乗るからね。」


 俺は目だけを動かして、近づいてくるヤマツミを見た。が、咄嗟に目を逸らす。この体制だと、スカートの中が見えてしまいそうで気を遣った。


「まあ、不意打ちとはいえ、おなつから一本取るなんてなかなかだね。」


 ヤマツミの声が近くなったと思ったら、額に手を乗せられた。


「う。」


 呼吸がしやすくなる。視界もだんだんクリアになり、左耳のノイズも消え、全身を襲う痛みも徐々に引いていく。


「ふぅー。」


 三十秒ほど経つと体が軽くなるのを感じた。思い切り深呼吸したときには、先ほどの痛みは綺麗さっぱり消えていた。


「遊んでもらえてよかったね、おなつ。」


「ふんっ、弱すぎてつまらなかったんだいに。」


 いつのまにか腹に乗っているのが幼女からたぬきに変わっていた。

 

「でも最後やられてたじゃん。」


「むっ。」


 顔を顰めたおなつは思い出したかのように毛むくじゃらの手でおでこを覆った。

 その様子だけ見ると愛らしいが、先ほどの容赦のない戦闘スタイルを知ったがために変な緊張で筋肉が強張っていた。


「明日も来てね、リクくん。」


「まあ、また相手してやってもいいんだいに。」


 女子二人(内一匹はたぬき)に頼まれても嬉しいとは思わなかった。

 悲鳴の代わりに喉の奥がひゅっと鳴った。

 それでも男に二言はないとサグジに詰められたのを思い出し、小さな溜息を吐いた。


「はぁ、わかりました。ところでヤマツミの神器って……?」


 おなつに構っている間に聞けなかったことをヤマツミに質問した。

 聞き間違いじゃなければ、ヤマツミの口から出たワードだった。


「ん? ああ、そうそう。この子が私の神器だよ。」


 ヤマツミは俺の正面になるように移動すると、腹の上にいるままのおなつを持ち上げ、思い切り抱きしめた。

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