第2話 次のダンジョン

「くはあ〜〜〜〜〜!」




 樽ジョッキのエールを豪快に飲み干した。




 大きな依頼を達成して報酬を受け取ったあと、“亀の甲羅”という小さな酒場に直行して食事するのが、代行者になってからのルーティーンだ。


 とは言っても、お酒を飲めるようになったのは十八歳になった半年前からのこと。


 一仕事終えたあとに飲むお酒は本当に美味しいもの。張り詰めていた緊張が一気にときほぐれる瞬間の快感は何度味わってもいい。


 命をかけたモンスター討伐やダンジョン攻略のあとなら尚更だ。




 けど、今日はいつになくお酒が苦い。


 戦いで蓄積された体の疲労が一向に消えないのだ。


 むしろ精神への負担がどっしりとのしかかるような気がする。




 ふとテーブルの上を見る。


 そこにあるのは今飲み干して空になった樽ジョッキと、申し訳程度に載せられた茹で豆の皿一皿のみ。


 なんとも貧相だ。


 周りを見渡してもボク以下の食事をしてる人はいない。


 一月前に代行者に登録したばかりの新人パーティのテーブルですら、少量だが肉を使った料理が並んでいる。




 本当だったら、目の前には大量の料理が盛られた皿がところ狭しと並んでいたはずだった。


 けど、今回はこれが精一杯。今のボクにはおかわりのエールさえ頼むこともできないのだ。




「はあ……」




 思わず大きなため息がこぼれる。


 半ば人生ドロップアウトしたおじさんのする、情けないため息。


 そう、ボクの人生はもう終わったんだ……。




「なにため息ついてるのよ」




 気落ちしているボクに話しかける声。


 顔をあげると、そこには白を基調にした鎧を身にまとった金髪の女性が、ボクの顔を覗き込んでいた。




 彼女の名前は“セレイアーナ・ストラトス”。


 第三級代行者で、クラスは聖騎士クルセイダー。通称は”セレナ”だ。


 彼女はボクより二つ年上だが、ボクと同じ日に代行者登録した同期であり、その縁もあって親しい関係になった。


 ボクにとってはこっちで数少ない親友の一人と言える。


 


 セレナはボクと向かい合うように席に着くやいなや、店主にエールを注文する。


 すると、間もなく樽ジョッキいっぱいに注がれたエールがテーブルに置かれた。


 今にもこぼれそうな白い泡が、ボクの飲酒欲をかき立てる。


 そして、セレナはジョッキの縁に齧りつくように咥えると、喉を鳴らしながらエールを体内に流し込んだ。




「ぷはぁ! お勤め終わりの酒は格別ね!」




 口元から流れるエールを豪快に袖で拭う姿はいかにも騎士という感じだ。


 しかし、聖騎士は騎士ナイトとは違い、ザータリス聖教の洗礼を受けている、いわば半分聖職者のような存在。


 その行動は神の使いとして清く正しいものでなければならない。


 はずなのに……


 


「そんな堂々とお酒なんて飲んでいいのかな? ザータリス聖教じゃ禁止されてたんじゃなかったっけ?」




「そんな堅いこと言わないの。主の僕だってね、たまの休息が必要なの。主も広い目で許してくれる。それに報酬の半分を教会に寄付してるし。誰にとやかく言われる筋合いはないわ。おじさん、エール追加! 次は大ジョッキでね!」




 大ジョッキ?! ボクだって今日は普通サイズ一杯だけなのに!




「というかさ、大きな依頼こなして、それなりのもの貰ったんでしょ? 少しぐらいその恩恵に預からせなさいよ。ほら、前に約束したじゃん。一仕事終えたら、奢ってやるよって」




「君ね、このテーブルを見て気づかないのかな?」




 ボクはテーブルの真ん中にひっそりとおかれたゆで豆の皿を指さした。


 セレナは赤い瞳でボクの指先をじーっと見つめると、一つため息を吐いた。




「レインさ、節食祭は一月前に終わってるの。それに節食祭の時期に食べていいものはパンとワインだけで、いくらゆで豆だと言っても……」




「君は一体何の話を……」




「あら、殊勝にもザータリス聖教に帰依する気になったんじゃないの?」




「それだったら、こんなまどろっこしいことせずに今すぐ教会に行くわ! そうじゃなくて、お金がないんだよ! 君に奢るどころか、自分一人の食費にさえ困っているんだ!」




「へえ。それは不憫なことね」




 そう言いながら、大ジョッキに注がれたばかりのエールを一気に飲み干す。


 人の不幸が最高の肴だとでも言いたいのか?




 テーブルに空のジョッキを豪快に置くと、セレナは酒気を帯びた息をボクに吐きかける。最高の嫌がらせだ。




「ということは依頼失敗した、ということかしら? だから言ったでしょ? ソロでやってたらいつか限界が来るって」




「誰が依頼を失敗したって? ボクはこれでも第一級代行者の端くれだ。初心者のようなヘマはしないよ」




 自慢じゃないが、ボクは代行者に登録して以降、一度も失敗したことはない。常に失敗しないよう気をつけているからだ。


 自分の力量を正確に判断するのも代行者として必要な素質の一つだと言われているが、ボクはその素質に恵まれていると自負している。


 確かに高い報酬のため、達成困難な依頼を多々受けているが、それでも達成できる見込みのないものは決して受けないと決めている。


 失敗したときのペナルティは受けたくないからね。




「もしかして莫大な借金の返済のために報酬の九割以上を天引きされちゃった、とか?」




「…………ずいぶんと詳細な推理だね?」




「それはもう代協のロビーであんなにごねてたんじゃ、誰でも目につくわ。腕の金のリングが泣いているわよ?」




「現場にいたんじゃないか!」




 というか、人がお金を持っていないことを知って奢らせようとしたのか!


 なんて図々しい騎士様なんだ!




「代行者としては誰もが認める一流の腕を持っているというのに、どうしてこうもお金に無頓着なのかしら?」




「うるさいな。それとこれとは別だろ?」




「別じゃないわよ。お金の管理能力も代行者としての技量の一つ。それを怠ったことで生活が破綻し、本業も成り立たなくなったケースも多いんだから」




 シド支部長のような説教をするセレナ。酒が入っていようとも、根は真面目な聖騎士ということだ。


 並べられる正論にぐうの音も出ない。




 そんなことボクだって理解している。


 少しでも金遣いに改めないと今後成り行かないことぐらい、頭で理解している。本当はこの一杯のエールさえも我慢しなければならないことも。


 けど、この浪費癖を抑えることができないんだ。


 何せボクの中の”アレ”がそれを許してくれないんだから。




「それでこれからどうするの?」




「とりあえず新しい依頼を受けるよ。数をこなせば生活費もなんとかなるはずだから」




 ボクは昼間に代協で貰ってきた(というか押しつけられた)数枚の依頼書をテーブルに並べる。


 依頼書には依頼主の名前や依頼したい内容、受ける代行者の条件、依頼報酬など諸々の情報が記載されている。


 まず目に飛び込んでくるのは一番下に大きく記載された報酬額である。ほとんどの代行者はこの金額を第一に考える傾向にある。


 中堅そうであり、その大多数を占める第三級代行者対象の依頼の平均報酬額は五百万ベーラ。第一級ともなれば、一千万ベーラを超えるモノがほとんどだ。


 そのうち仲介料として代協に一割が引かれ、また一割が帝国に税金として取られる。つまり代行者に手渡されるのは報酬額の約八割となる。




 まあ、ボクの場合は報酬額がいくら高かろうと受け取れるのは十万ベーラ。高額報酬の依頼を受けても、借金返済日がほんの少しだけ早くなるくらい。情けない話だけど、そこまで大事な項目ではない。


 そうとなれば今重視すべき項目は依頼内容。


 これまでのようにボクが達成できるモノを選ぶだけだ。


 


「迷いの森に潜む猛毒大蛇の討伐、極寒迷宮の調査および攻略、サラエ皇国軍の短期訓練の指導依頼なんてのもあるんだ。第三級と比べて規模が違うわね」




 依頼書を一枚一枚検分していると、いつの間にか白い肌を真っ赤にしたセレナが物珍しそうにのぞき込んでいた。さっきより酒の匂いが強い。またおかわりしたな。




 一般的に依頼書は代協の受付横にある巨大な掲示板に張り出される。


 けど、第一級対象の依頼の一部は国家の威信を揺るがす情報を含むモノが多いので、掲示板に張り出さずに代協の職員によって管理している。




 今回ボクが持ち出した依頼書もそういったモノに該当する。


 あまり他人に見せていいモノではないし、大衆酒屋のテーブルに堂々と並べるべきではないのだろうけど。


 まあセレナなら口も堅いし、大丈夫だろう。




「それでどれを受けるつもりなの? この猛毒大蛇討伐?」




「ヘビ討伐は単純で簡単なんだけど。迷いの森って大陸の西の端だろ? 移動費がなあ」




「ヘビ退治って……。確かコイツって近隣の村を五つ滅ぼした災害級の魔獣でしょ? そんな害獣駆除みたいに」




「身体が大きかろうが、毒を持っていようが、村を滅ぼしていようが、所詮ヘビはヘビだろ? 実体がない霊体相手にするより簡単だよ」




「レイン、難しい依頼受けすぎて、基準おかしくなってないかしら? 私心配よ」




「できればここから近くて、手っ取り早く終わらせるやつ……だったらこれかな?」




 ある一枚の依頼書を手に取る。




 うん。ボクにはこの手の依頼が一番合っている。




「その依頼をソロでやる気? やっぱり最年少で第一級になる人の感覚は私にはわからないわ……」




「そうかな?」




 なぜか変人を見るような目を向けるセレナ。


 本当に失礼なヤツだ。




 ボクはテーブルの上に広げた依頼書をまとめ、代金を払って酒場をあとにする。




 はあ。それにしてもなんとも味気ない晩餐だったなぁ……。

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