第37話 盗まれた青い花 02
青い花のことは忘れ、不愉快な感情のことも忘れてその後も数時間市場を見て回った。
私としてはノアールの教えを完璧に実行できたと思っていたのだが、城に戻ると、すぐにオーロ皇帝の執務室に呼ばれた。
ハンザスに本日のお礼を伝え、ハバルにも挨拶をしてオーロ皇帝の執務室に向かう。
ノアールが扉を開いてくれた執務室にはなぜか魔塔主もいて、オーロ皇帝が深いため息を吐いてから話し出した。
「リヒト、其方の国の希少な花が隣国の帝国傘下の国に盗まれているというのは本当か?」
私はその話を聞いて驚いた。
それは、先ほど私が知ったばかりの事実だ。
「オーロ皇帝がどうしてそれをご存知なのですか?」
オーロ皇帝はチラリと魔塔主に視線を向けた。
私は魔塔主に視線を向けて、その笑顔に別れ際のハバルの意味深な笑顔を思い出す。
「ハバルから連絡が行ったのですね?」
うまく自分の感情を隠せていたと思ったのだが、まだまだ私の表情管理は甘いようだ。
しかし、花屋を出た後もハバルは私と一緒にいたはずだ。
どうやって魔塔主に連絡したのだろうか?
不思議に思っていると魔塔主が小さな紙切れをひらりと見せた。
「美しい青い花がティニ公国にあるらしいとハバルから連絡があったので見に行ったのですが」
風魔法を使ってハバルはメモ書きを魔塔主に送ったようだ。
「ティニ公国には青い花など咲いておりませんでした。その代わり、ティニ公国と国境を接するエトワール王国には見事な青い花の絨毯ができていましたよ。そこでは花を収穫している人々がいて、花を積んだ幌馬車がティニ公国に入っていきました」
「まぁ、入って行ったと言うよりも、帰って行ったと言う方が正しいのかもしれません」と、魔塔主はその笑顔をオーロ皇帝に向けた。
「私も調べるつもりでいましたので調べていただいた件についてはありがとうございます」
「リヒト、窃盗は罪だが、そのような商業的な窃盗について我が国の法で守られているのは当然、帝国の傘下にある国だけだ。エトワールの国王からは我が国に下るという正式な書面が届いているものの、それはしばらく先の話になる」
「わかっております。ですので、こちらで対処いたします」
「私が公国を滅ぼしましょうか?」と、魔塔主が笑顔で言う。
「そうですね。それもいいかもしれません」
つい、ティニ公国への不愉快さを隠すのを忘れて魔塔主の言葉に乗ってしまった。
オーロ皇帝が「リヒト!」と私の名前を強く呼んだ。
「オーロ皇帝、冗談ですよ。そんなことをすれば、帝国の傘下に加わった後も我が国と商売をしてくれる国が少なくなってしまいます」
そもそも、帝国傘下に入る話も立ち消えることになるだろう。
「何か考えがあるのか?」
「何をするかは秘密です」
「ティニ公国は帝国の中でも小国だ。人死にが出たわけでもないし、ほどほどにしてくれ」
「ほどほどですか……申し訳ございませんが、私が行うことがどれほど公国にダメージを与えることができるかは予測できません」
「そのような曖昧な方法でいいのか?」
「最小の影響で我が国から花を盗むことへの抑制になるでしょう」
「最大の影響ではどのような状況になると考えられるのだ?」
「経済が立ち行かなくなります」
「何?」とオーロ皇帝は眉を寄せ、魔塔主は興味深げにキラキラと瞳を輝かせた。
「それは公国を滅ぼそうとしているのと同じではないか?」
「火の海にはしません」
オーロ皇帝は人死にが出ていないのだからほどほどの対応にすれと言った。
だから、こちらも直接的に暴力に訴えることはしない。
ヴェアトブラウも誰かが栽培しているものではなく、ヴィント侯爵領の一部の土地に自生しているものだから、直接経済的損失を被った国民もいない。
もちろん、だからといって将来的にはカルロの領地になる土地からカルロのお気に入りの花を盗んだ罪が軽いわけがない。
こちらも即死するような暴力的対処は行わないが、盗みを働いた対価は払ってもらう。
「いつから我が国にしか咲かない希少な花を盗んでいたのかは知りませんが、花屋では随分な高値で売られておりましたから、しばらくは飢えずに済むでしょう」
「その金が無くなった後は?」
「自分たちは一切の労力をかけていない他国の花を売って稼ぐのと同じくらいの秘策があれば持ち直すのではないでしょうか?」
「其方にしては珍しく感情が表に出ているな」
王族ならば怒りや悲しみの感情はうまく隠すべきだろう。
しかし、私は今、満面の笑顔で微笑んでいた。
それは誰が見ても、皮肉の笑顔だとわかるだろう。
怒った時に笑顔になるのは母上の癖だ。
どうやら、私は母上の癖をしっかりと受け継いでいたようだ。
「あの土地はヴィント侯爵が治める土地です」
「ヴィント侯爵というと、其方の乳母か?」
「はい。つまり、将来的にはカルロの土地です。あの花はカルロの財産なのです」
「なるほど……其方が怒っている理由はよくわかった」
「私の大切な者の財産を奪ったのですから、それなりの報いは受けてもらいます」
「何をするつもりなのかは教えてもらえないのだな?」
「火の海にはしません」
6歳の幼児の怒りの笑顔にオーロ皇帝は何度目かの深いため息を漏らした。
ヴェアトブラウ、空のように青く澄んだ花びらは本当に美しいが、あの花の希少性は我が国のヴィント侯爵領でしか咲かないところにある。
花屋が話していた公国でしか咲かない花というのは真っ赤な嘘だが、あの花が咲く大地を選んでいることは本当だ。
エトワール王国の植物学者ならば知っている事実なのだが、花屋がそれを知るはずもなく、まだ帝都でしか売られていないのであれば指摘する者はいないだろう。
「何か手伝えることはありますか?」
オーロ皇帝の執務室を出た後に魔塔主がそう聞いてきた。
正直、人手は欲しいと思っていたので、この申し出はありがたい。
「そうですね」と私はしばし考えた。
効果的に公国を潰すためには邪魔になる可能性のある人々がいる。
「植物学者やそれに連なる者たちがヴェアトブラウを研究できないように見張っておいてもらうことはできますか?」
「本当に、リヒト王子は面白いですね」
きっと植物学者たちの方は魔塔の魔法使いたちがなんとかしてくれるだろう。
魔塔主と別れた後に自室として使わせてもらっている部屋へと戻ると部屋の扉の前で待っていたグレデン卿が安堵したような表情を見せて、すぐに扉を開けてくれた。
部屋の中ではカルロと乳母がソワソワと落ち着かない様子で待っていた。
二人にどうしたのかと声をかける前に二人は私の姿を見るなり飛んできた。
カルロなど半泣きで私のことを抱きしめてきた。
「リヒト様ご無事だったのですね!」
「帰りが遅いから心配したのですよ!」
「すみません。城に戻ったらオーロ皇帝に呼ばれて……ノアールからそのような案内はなかったのですか?」
私が落ち着いた様子のシュライグに視線を向ければ「ありました」と困った表情で言われた。
それならばどうして乳母まで落ち着きなく待っていたのだろうか。
カルロは心配性だからわからないでもないけれど。
私が乳母に視線を向ければ、乳母は私から少し視線を逸らした。
「いくら執事からお話があったとはいえ、ここはエトワール王国ではございませんから」
乳母はまだこの城の者に対して警戒心を解いていなかったということだろう。
そして、それは王子を守る乳母という立場では正しいに違いない。
「心配させてしまい、すみません」
本当は乳母やカルロには伝えずに問題を解決しようと考えていたのだが、下手に隠すとまた心配させることになりそうだ。
私はこの場の四人にヴェアトブラウが公国に盗まれていることを説明した。
「ヴェアトブラウ、あの美しい花が盗まれているのですか?」
カルロの声が震えている。
そして、カルロの後ろに控えるシュライグも緊張にその目を見張った。
「ああ。でも、大丈夫。これ以上は好きにさせないから」
カルロの財産はちゃんと私が守るから。
「あの花の色はリヒト様の瞳の色と同じなのに……」
カルロの手が震えている。
シュライグもヴェアトブラウの花の色は私の目の色のようだと言っていたけれど、カルロもそのように思ってくれていたようだ。
なんだか私は気恥ずかしくなる。
「つまり、リヒト様なのに……」
そうカルロは呟いた。
それは飛躍しすぎだろう。
「僕のリヒト様を盗むなんて……」
カルロは少し私への忠誠心が強すぎではないだろうか?
単純に自分たちの土地のものを盗まれたから怒るのではなくて、自分が仕えている者の目の色に似ている花だからとそんなに怒るなんて。
「公国は滅ぼしてしまいましょう!」
最近、闇魔法の腕がめきめきと上がってきているカルロだ。
魔塔主のように一瞬で公国を灰にすることはできなくても、じわじわと侵食するように滅ぼすのは可能だろう。
私の可愛いカルロがこのように物騒な発想をするようになってしまったのはやはり魔塔主のせいだろうか?
「カルロ、落ち着いて。すでに手は考えてあるから、私にカルロの大切なものを守らせてくれないだろうか?」
カルロの財産を奪うものは決して許せない。
カルロの領地、財産は私がしっかりと守ってあげなければ。
「一体、どうするのですか?」とグレデン卿が聞いてきた。
私は四人に私が考えた計画を話し、次にグレデン卿を連れてゲーツ・グレデンに会いに行った。
やはりまだ複数人数を一緒に転移させるのは不安があるので、カルロと乳母、そしてシュライグは留守番だが、今回はカルロと乳母から一緒に行きたいという要望は出なかった。
私はゲーツの情報ギルドに情報収集と情報操作の依頼をした。
あとは私が少しだけ頑張って、結果が出るまで待つだけだ。
「リヒト。お前は一体何をしたのだ?」
そうして待つことひと月。
私は再びオーロ皇帝の執務室に呼ばれていた。
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