第33話 居場所 (カルロ視点)


「あのね、リヒト様……僕、リヒト様のことが、大好きです」


 6歳の誕生日の夜の僕の一世一代の告白を、リヒト様は受け入れてくださって、僕はすごくすごく嬉しかった。


 リヒト様は寝ずの番のメイドを魔法で眠らせると僕を連れて転移魔法でヴィント侯爵領へと転移した。


「一緒にヴェアトブラウの花畑を見ようって言っていただろう?」


 目の前に、青く美しいヴェアトブラウの花畑が広がっていた。

 その場所にしか咲くことのできないという不思議な花畑は本当に美しかった。


 そして、シュライグの言う通り、月の光に照らされたその花の色は、月の光が煌めくリヒト様の瞳の色と似ていた。

 きっと、昼間に見たら、もっとよく似ているのだろう。


 リヒト様と二人でリヒト様の瞳の色の花畑を見ることができて、僕はとても幸せな気持ちに満たされた。


 その時、リヒト様が小さな声でおっしゃった。


「一人の帝国はさすがに少し寂しいかもしれないな」


 その言葉で、僕はリヒト様が僕を置いていこうとしていることがわかった。




 でも、問題はない。

 ヴィント侯爵が予想していた通りだったから。


「きっと、リヒト様はわたくしとカルロのことは連れて行かないおつもりです」


 そう言ったヴィント侯爵は続いて、こうも言った。


「ですから、長旅の準備をしっかりしておきなさい」


 だから、僕もヴィント侯爵も準備はバッチリだ。


 翌朝、僕らが馬車に乗ったら、リヒト様はとても驚いておられた。

 僕がリヒト様から離れないのなんて、当たり前のことなのに。

 

 ……リヒト様が、僕を捨てない限りは。




 あの日の夜のように、リヒト様は僕を優しく抱きしめてくれた。


 僕がどれほどリヒト様に大事にされているのかをナタリア様に見せつけるために言ったわがままだったけれど、リヒト様は僕のわがままを許してくれて、ちゃんと約束通りに叶えてくださった。


 僕を抱きしめて眠るリヒト様の寝息が聞こえてきて、僕は薄目を開けてリヒト様の端正な顔を見た。


 輝く黄金の髪はくるくると巻いて、肌は白くて滑らかで、閉じられた瞼の奥には空みたいに青い瞳がある。


 僕はちらりと天蓋のカーテンの先へ視線を送る。

 今日の護衛も魔塔から魔法使いが二人来た。


 魔塔の魔法使いたちはみんな、リヒト様のことを尊敬しているみたいで、リヒト様に会えると嬉しそうだ。

 魔塔を見学した時に会ったことのある魔法使いもいるけど、大抵の魔法使いは挨拶もせずに遠巻きに見ていた者ばかり。

 それなのに、どうしてそんなにリヒト様に憧れの瞳を向けるのかと聞いてみると、偏屈な魔塔主と対等に接することができてすごいという意見50%、魔力量が段違いで単純に魔法使いとして憧れるという意見が50%という感じだった。

 今日の護衛の魔法使いもリヒト様に会うなり早々に「リヒト様の魔法が見たいです!」とお願いして、断られていた。


 そんな魔法使いがこちらに近づいていないことを確認して、僕はリヒト様の頬に自分の頬をくっつけた。

 もちろん、リヒト様が途中で目覚めてしまっても誤魔化せるように、寝たふりをしながらだ。


 リヒト様はお優しいから、寝ている僕が何をしたって許してくれる。

 お風呂の時には触らせてくれない御御足に寝ている僕が足を絡めても嫌がられたことは一度もない。


 リヒト様の温かい頬に頬をつけて、スリッとする拍子に唇をちょっとだけ頬に触れさせる。

 心臓が、ドキドキする。


 本当はたくさんキスをしたいけど、リヒト様は神様だから、恐れ多くて、一夜に一回しかできない。

 リヒト様にキスをするたび、僕は僕がちょっとずつ綺麗になっていく気がする。


 親に見向きもされず、屋敷に閉じ込められて、誰にも愛されなかった僕でも、少しずつ少しずつ磨かれて、綺麗になる気がするんだ。




 両親に連れられて初めて訪れた王宮の庭園で出会ったリヒト様のお姿を見て、僕は本当に神様に出会ったと思ったんだ。


 あの日、両親は珍しく僕を連れて出かけると言った。

 行き先が王宮だと知ったシュライグは自分も同行すると名乗り出たが、同行は許されなかった。

 同行できないとなるとシュライグは僕に両親を待っている間、庭に行くように言った。


 王宮の正面の入り口から建物を回り、ずっと奥にある建物の後ろの庭に行くようにって。

 もしかすると、部外者が入ってはいけないと書いてあるかもしれないけれど、そこに行くようにとやけにしつこく言い聞かせた。

 そこに辿り着く前にもし初老で豪華な衣装を身に纏っている人物がいたら、決してその人物の目には止まってはいけない。

 息を凝らして、物陰に隠れるようにとも言われた。


 あの時にはわからなかったけど、今ならわかる。

 両親は僕を前王に売るつもりだったのだ。

 そして、シュライグはそのことに気がついて、現王や現王妃、もしくは宰相など、とにかく前王が積極的に活用した慣習を嫌う王族とその家臣の目に止まるように仕向けたのだ。


 そのおかげで、僕は神様に出会った。


 そして、両親にはシュライグに言い含められていた通り、「高貴な方にお会いした。近く、その方が迎えにきてくださる」と伝えた。

 これは、たとえ誰にも会えなくても両親にはそのように伝えるようにとシュライグから言われていた言葉だった。


 そして、その言葉は本当になった。

 ヴィント侯爵を通してだったが、僕の神様は僕を迎え入れてくれたのだ。



 あの日からずっと変わらずに僕にはリヒト様が神様に見えている。


 汚れを知らない高貴な存在で、リヒト様が隣にいれば、両親に見向きもされなかったちっぽけな僕も浄化されるのだ。

 リヒト様は温かくて、いい香りがして、眼差しはどこまでも優しくて、笑顔が眩しい。


 僕の神様がいつも僕のことを考えて大切にしてくれていることは僕にも伝わっていた。

 神様の優しいあの瞳に見つめられてあんなに深い愛情に気づかない者なんていない。




「リヒト様は異性のご婚約者をお考えなのですね?」

「ええ、まぁ」


 昼間のナタリア様とリヒト様の会話を思い出す。


 簡単にリヒト様の婚約者になれるなんて考えていない。

 けれど、僕を婚約者にすることを視野に入れて、リヒト様は僕を可愛がり、一緒に過ごしてくださっているのだと思っていた。


 婚約者にしてくださるお考えがあるから、僕の一世一代の告白を受け入れてくださったのだと、そう思っていた。


 だから、ナタリア様とリヒト様の会話は僕にとってとてもショックなものだった。


 冷静に考えれば、随分と高望みな希望を抱いていたのだとわかる。

 でも、僕を見守るリヒト様の眼差しは本当に優しくて、僕は未来永劫、神様の隣に立つことが許されていると思っていたのに……

 もしかすると、いつか、リヒト様の隣を誰かに譲らなければいけないのかもしれないと思うだけで息苦しくなった。


「……」


 僕は苦しくて、心の中がぐちゃぐちゃで……これまでは一夜に一度しかできなかったキスを、もう一度、リヒト様の頬にした。


 リヒト様にこんな風にしている人など、これまで見たことはない。

 もしかすると、王妃様はしているのかもだけど……きっと、王妃様以外では僕だけだ。

 それなのに、この先の未来のリヒト様の隣にいるのが僕じゃないなんて、そんなのあり得るのだろうか?

 

 ……いやだ。


 そんなの、認められない。

 リヒト様は僕の神様で、絶対なる唯一神だ。

 そんな神様が離れてしまったら、この世界に僕の居場所なんてどこにもない。


 今はまだリヒト様には寝ずの番がついている。

 僕はこれまで、寝ずの番がうたた寝している時にこっそりリヒト様の頬や手に唇を触れさせてきた。


 でも、7歳になれば寝ずの番はつかなくなる。

 扉の外に護衛が立つだけだ。

 部屋の中は完全に僕と神様の二人きり。


 そうなったら、僕の存在を神様にこれまで以上に刻み込むことができるはずだ。


 今はまだ大人しく耐える時だ。

 神様にも愛と慈悲を与える存在が僕だけだって、思ってもらわなくちゃ。

 この世界がなくなっても、たった一人、僕だけがいればいいって、神様にも思ってもらえるようにならなくちゃ。


 僕は掛け布団の中でリヒト様の腰に腕を回して、ピッタリとリヒト様の体に僕の体をくっつけた。

 それこそ、何者をも二人の間には入れないように。

 隙間なく、ピッタリと。


 神様の隣は、僕だけの居場所なのだから。





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