第9話 脅し
盗賊の長を箱に詰め、関所を通る。荷物の確認を怠った彼ら、寝不足及び窯職人への信頼が呼び起こした結果だと悟った瞬間、申し訳なさが勢いよく頭に張り付いて粘り気のある味わいを残す。
「さて、運ぶか」
窯職人は木の箱を再び開き、外を覗き込む盗賊の長の顔を覗き返す。全身を縛られた男、口を塞がれた姿からは先ほどまで漂っていた威厳を感じ取ることが出来ない。
小さな荷車に箱を乗せ、私が別の仕事のために引いていた馬に引かせて向かった先は汽車の往来によって息苦しい蒸気が薄っすらと広がる駅だった。
「これがこちらからの報酬だ」
それから私は荷物を汽車の荷物収納用の車両に乗せて私は乗客車両に乗り込み、やがて出発すると共に蒸気に覆われながら流れる景色を堪能する。
席に座り本来の汽車の乗り心地というものを味わう。車輪の回転が生み出す妙な浮遊感と揺れ、速度に見合わない感覚は斬新なものだった。今頃盗賊の長は先日の私が得た不快な感覚に振り回されている事だろう。箱に収まっている分だけ風や不安定な心地を受けずに済んでいるのだからまだ良い方かも知れない。
それからしばらく経って、代わり映えのしない景色を見つめる私の中に飽きが生まれてしまった。それは満足という感情に至るまでの心の水を収める器に空きを作ってしまう。
まだかまだか、遂にそのようなことを考え始めた私の視界を通り過ぎる異物を見た。それは見覚えのある馬車の姿。汽車のライトに照らされながら一生懸命走っている馬の姿はあったものの、左から視界に入ったそれはやがて右へと、続いて視界の外側へと去ってしまう。馬車を持ち出す盗賊の姿は無事に見つけた。やがて追いかけなければならないそれを見付けた安心感と共にパンを頬張って飲み込む。レタスやトマト、キュウリといった野菜に魚の燻製をほぐしたものを挟んだパンを二枚、それだけで構わない。満腹は仕事の敵だった。
変わった景色についてもそれっきりで更にしばらくの間、暗闇の中に薄っすらと原型を残して映されるサボテンや荒れ地の姿。
退屈を噛み殺しながら待ち続け、たどり着いた駅はぼやけた明かりに照らされていて。汽車が止まる際に響く金属の擦れによる鋭い音や今まで受け続ける事を放棄していた力を受けて私は不快感を覚えながら立ち上がる。ふらつく足は汽車が走る感覚の余韻に襲われていた。
外へと出て歩みを進める。荷物車両から馬を下ろし、切符を駅員に差し出す。
分かり切っていた事だったものの、駅の外には先端技術など何一つ用いられていない。電灯などという物が存在するのは駅舎周辺までで、そこだけが街から切り離されているような異界感を生み出していた。
馬を引いて少し歩き、馬の頭を撫でて走れる状態である事を確かめて跨った。食事を与え、足で軽い振動を与える事で走り始める。この時間であれば、馬車を引くという負担の大きな運搬であれば、街のどこかで休むに違いない。そうしなければ馬の体力がもたないそう。盗賊の長から聞いた話によれば宿の予約はしているのだという。馬を預り所に留め、あらかじめ長が告げた住所へと足を運ぶ。
「ここに泊まる、本当だろうね」
訊ねる私の顔を見つめながら言葉すら許されない状況で必死に頷く彼の姿は盗賊の長といった大きな名を冠するにはあまりにも情けなかった。
運命の巡り合わせとはなんとも不思議なものだろう。確かこの宿は。などと考えながらドアの前にて待ち続ける。
それからしばらく待ち続け、人通りが風に吹かれてしまったのか静まり返ったその時、板を持った一人の男がその場に訪れる。
私は盗賊の長へと目を向ける。纏っている服は明らかに異なるものの、長の視線の揺らぎは間違いなく仲間だと訴えていた。続けて目の前の男に視線を移して、これまた感情の跳ねが顔に出ている事を確かめて私はすかさず男の動きを阻止した。
「あなたは盗賊だろう」
「なんの」
否定しようと、夜闇に嘘の塗料を混ぜようとしたものの、男は私が捕らえている人物の顔を見つめ、言葉の色を変えた。
「長の意向なら仕方あるまい」
諦めをつかみ取り、彼は立ち去ろうとするものの、私はその手をつかんで宿の中へと入って行く。宿泊の予定をキャンセルする為にも話を通しておかなければならない。
出迎えた若い女はクルミ色の髪を左右一房ずつに束ねて肩から垂らしていた。大きな瞳を輝かせ、豊かな胸をときめかせ、瞳を潤いで満たして輝かせて頬に熱を迸らせる姿はなに故だろう。
私の目を見つめて目を細め、とろけるような笑みを浮かべて艶っぽさを無理に引き出した声で告げる。
「また来てくれたんだね、お客さん」
覚えていた、よりにもよって労働階級でしかないはずの私の事を記憶に刻み付けてしまっていた。
「まあ、物騒な荷物まで持って来て、物語の英雄みたい」
私に対してどのような印象を抱いているのだろう。故郷の街では納得できる理由も無く嫌われ者となってしまっている私のどこに惹かれているのだろうか。
「お金が無いのでキャンセルを」
「労働証明板を確認するね」
話を聞くことも無くただ進められてしまう。宿の看板娘だろうか、彼女の行動力について行く事の出来る人物はこの中に誰一人として存在しなかった。
「一名分、ちょうど」
「待て、俺たちは」
「賑やかな荷物だね」
看板娘は太陽の如き明るい笑みを浮かべながら勝手に話を進めてしまう。
戸惑いに満ちた空間の中で二人の老いた男女が現れて私たちの姿を見つめて皴だらけの顔に驚きの表情を、顔の動きによる更なる皴を加えた。
「盗賊なんて捕まえて、逞しいお客さん」
「私は」
「招待」
看板娘の振る舞いを老夫婦は止めることなく進めるだけ。可愛い仕事仲間の意思を尊重しているようだった。
「そこの、少しいいか」
私だけ呼び出しを受け、私は荷物を置いてから行くと返して二人を部屋に押し込める。盗賊の長はそのまま転がし、もう一人も麻の紐を用いて縛り上げ、老夫婦の案内を受けて裏の部屋へと入って行く。
椅子に座ると共に出された紅茶は湯気を放ち、宿という施設の経営にかかる金額について考えてしまう自身に軽い嫌気を覚える。そんな感情を無理やり押し込めるように湯気の立つ紅茶を流し込み、落ち着いた渋みと豊かな香りを味わい目元に入った力を抜いた。
「あなたが娘を惚れさせた初めての人か」
娘という事は看板娘も血の繋がったスタッフ。恐らく家族経営なのだろう。男は真剣な眼差しで私の顔を見つめ、張り詰めた空気の中で語る。
「どれだけ良い男に迫られても公の施設に相談しても顔色一つ変えなかった娘だったが」
とても難儀している様が脳裏でありありと浮かんでしまう。皴の数を幾つ増やしてしまったのだろうか、人を振り回す事に長けた美人の態度を思い、顔が引きつってしまう。
「そうだな、そういう事だろうな」
詳細を語ってくれない、話が見えない、と言いたいところだったが大方想像は付いていた。
「言われなくても分かっている、どうか娘と一緒に生きてくれ」
私は面食らって言葉も出ない。これまでの人生を振り返り、完全に考慮の外にある出来事に直面している現状を理解するのに沈黙の間を置いていた。
「隣の街の労働貧民だろうと構わない」
老いた男の神妙な表情を見つめているとどうにも調子が乱されて落ち着きを手に入れられない。
「婚約できない立場でも問題ないから、彼女を一人にしないでおくれ」
残された人生の時間は決して長くないであろう彼の口から出たその言葉はあまりにも重々しく、否定の言葉を捻り出す事があまりにも酷に思えた。
「分かった」
答えを下して老人に安心を与えつつ、果たさなければならない事を口にした。
「ただ、私は取り下げて頂かなければならない不当な罰を背負っている」
そう語る私の脳裏に浮かぶあの男の顔。その貌に滲んだ汚らわしい笑顔を潰すようにこぶしを握り締めた。
「日があと二度沈むまで、待っていただけないか」
その願いは老人の耳まで無事に届いたのだろう。彼は力なき声で力のこもった承諾の一言を告げた。
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