第47話 エトムートの行く末を案じて……
◇◇
一騎当千とはまさしくこの者のことを指して言うのだろう――。
700体いたエトムートの軍勢のうち200体がほぼ一瞬のうちに灰と化し、残り500体が降伏してひざまずいている。
それを成し遂げたのがたった一人の人間なのだから……。
オウルは驚愕を通り越して畏怖を覚えていた。
「我が名はアルス・ジェイド。貴様らを統べる者である」
オウルはアルスの名を耳にしてハッとした。
――アルス・ジェイド。後に魔王の玉座に君臨するその人が必ず私たちを助けてくれる。
「彼がそうなのか……」
黒髪で細身の、どちらかと言えば美形の少年だ。どこにでもいそうではあるが、500体の魔物たちを前に堂々とした佇まいは、次期魔王にふさわしい。
気づけばオウルも彼に連れ添った5体の魔物も、物陰に隠れながらもひざをついてアルスに対して頭を下げていた。
「貴様らのうち誰か一人でも俺を裏切れば、全員の首が即刻で飛ぶという契約だ。それが嫌なら今この場で葬ってやろう。どうする?」
当然ながら誰ひとりとして首を横に振る者はあらわれなかった。
その様子を見てアルスはニタリと口角を上げ、引き続き大きな声で号令を出した。
「これより龍神のほこらへ向かう。狙うはエトムートの首。ダンジョンに着き次第追って指示を出すゆえ、おのおの支度が整い次第出立せよ!」
500体の魔物が一斉に西に向かって移動をはじめた。
物陰から出るに出られず困っていたオウルに対し、アルスがゆっくりと近づいてきた。
「あなたたちはカノーユの手の者か?」
「はっ。カノーユ様の四天王の一人、オウルでございます。この者たちは私の側近たちです」
オウルはゴツイがたいに似合わない丁寧な口調で答えた。
すると驚くことにアルスが膝をついて礼の姿勢を取ったのである。
「あなたたちは寡兵でありながら、しんがりを務めた勇敢な戦士たちだ。もしあなたたちがいなければ、俺の作戦は成立しなかった。礼を言う」
「お、おやめくだされ! 次期魔王様ともあろう御方にかようなことをされては、我が主人のカノーユ様におしかりを受けてしまいます!」
顔を上げたアルスは悲しげに笑みを浮かべた。
「そうかもしれないな。知らないかもしれないが、今カノーユはエトムートによって瀕死の重傷を負い、生死の境をさまよっている」
「なんと!」
「だからここで労をねぎらっている間もなく、ここを発たねばならない。許してくれ」
再び頭を下げたアルスに対し、オウルは慌てて首を横に振った。
「労をねぎらうなんて必要はございません。むしろ私たちもアルス様と一緒にここを発ち、一刻も早くカノーユ様のおそばにいきたく存じます!」
涙ながらに懇願したオウルに、アルスは傷薬の軟膏を手渡した。
「すまんな。せめてこれで傷を塞いでくれ。では急ごう!」
こうしてアルスとオウルたち一行は龍神のほこらに向かって出立したのだった。
◇◇
龍神のほこらの侵攻2日目。
第4階層の最も奥にある闘技場のように大きな広場でイビル・アイは冷たい汗をかいたまま、動けないでいた。
部屋の床は不自然に赤く染まっており、足を踏み入れた瞬間からぬるっと湿り気があった。
そうして部屋に総勢2000体の魔物すべてが入ったとたんに、金縛りにあったかのように身動きが取れなくなってしまったのである。
「くくく。この作戦を『敵兵ホイホイ』と名付けますわ」
不敵な笑みを浮かべながらイビル・アイの横を素通りする着せ替え人形のような少女。セレスティーヌである。彼女の狂血魔法でエトムートの全軍が足止めされたのだ。
「グオオオオ!! ふざけるなぁぁぁぁ!!」
ギガントトロールが懸命にほえる。セレスティーヌは指で耳をふさいだ。
「うるさいですの。もしわたくしにアルス様のような魔力があれば、即刻黙らせていたのかしら」
アルスから「足止めするだけでいい。あまり殺すな」と言いつけられているが、実際のところ今のセレスティーヌでは足止めをするのがやっとで、先日のように『死のダンス』を躍らせることはできない。
「うむ。ならわしが黙らせよう」
ドラゴン姿のマルースがセレスティーヌの横に立った。セレスティーヌはちらりと彼に目をやると、小さなため息をついた。
「ただタイマンで勝負がしたいだけなのかしら?」
「どうでもいいから、早くあやつだけ解放しろ」
「ふん。まあ、いいですわ。その代わり『血』は全部わたくしがもらっていくのかしら」
「いいだろう。約束だ」
セレスティーヌがパチンと指を鳴らすと、ギガントトロールの金縛りが解けた。
「死ねぇぇぇぇ!!」
耳をつんざくような大声をあげながらギガントトロールがマルースに襲いかかる。
丸太のように太い腕を振り上げて、鉄拳を飛ばす。そのスピードはカスパロ以上だ。反応できないのかマルースは動こうとしない。
(ヤツのパワーはカスパロと同じレベル。たとえエンシェントドラゴンであってもただではすむまい!)
イビル・アイはギガントトロールに一縷の望みを見出していた。だがそれも次の瞬間には霧散することになる。
なんとマルースが片手でギガントトロールの拳を受け止めたのだ。
――バチィィィン!!
高い音が部屋中に響き、マルースの周囲の床にひびが入る。
しかしマルースは表情ひとつ変えず、むしろ不敵な笑みを浮かべた。
「セレスティーヌ、感謝するぞ。おまえのおかげでわしはまた一段と強くなった」
「ふん。わたくしのおかげだけじゃなく、アルス様との特訓の成果もあるのかしら」
「そうであったな。では約束通りにこやつの『血』をおまえにあげよう」
マルースはギガントトロールの拳をそのまま強引に引っ張る。
「ぐぬっ!?」
ギガントトロールが大きく態勢を崩したところに、尻尾を鞭のようにしならせた。
――ビュン!
ギガントトロールの腕に尻尾がぶつかった瞬間に、その腕が根こそぎ斬られた。
「グアアアアアア!!」
大量の鮮血が吹き出したが、地面に垂れることなくセレスティーヌの腕に吸い込まれていく。
「くくく。いただきますわ」
ちぎれた腕を放り投げたマルースは大きな口でギガントトロールの首を噛みついた。
「ぐはっ……」
ギガントトロールの瞳から光が消える。
一連の様子を見ていたイビル・アイは完全に戦意を失った。
(戦う前から……我が軍の負けは決まっていたのだ……。となるとエトムート様は……)
エトムートの行く末を想像しただけで全身に悪寒が走ったのだった。
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