第18話

 午後二時五〇分。試合開始一〇分前。

 控室代わりの天幕の中で、パイプ椅子に座りながら、俺と桜月は呼ばれるのを待っていた。


「コナタの見立てだと、あの辰馬とかいうボンクラよりもキミのほうがずっと強い。油断さえしなければ、キミの勝ちは動かないよ」


「そっか、桜月にそう言ってもらえると自信がつくよ」

「どういたしまして」


 ニカッと笑う彼女の表情に癒されるも、やっぱり、さっきの疑念はまだ胸の中で渦巻いていた。


 都城桜月。人類の敵とされる魔界から、援軍として派遣されてきた、若干十七歳で少将の地位にある一人軍隊の少女。


 そして、俺に何者かになれる力をくれた救いの少女だ。

 彼女のことは大好きだし、今までの人生で出会った誰よりも信じられる。


 なのに、俺は今、彼女に不誠実な気持ちを抱いている。

 そのことに罪悪感を覚えて、俺は不安が加速していた。


 もう、辰馬との試合なんてどうでもいい。

 今、俺を支配するのは、桜月とどう向き合っていくか、それだけだった。


 すると、そこへ無遠慮な声が飛び込んできた。



「桐生! 試合一〇分前だ! 用意はいいな!」


 声の主は、俺らの元担任で、今は直属の上官でもある橋山中佐だ。

 いつも偉そうで理不尽に生徒を恫喝する、最低の人間である。

 こんな大人にだけはなりたくない。


「あ、中佐殿! はい、いつでもいけます!」


 俺がパイプ椅子から立ち上がって敬礼をすると、橋山中佐は憎らし気に顔を歪め、吐き捨てるように言った。


「まったく、龍崎様とトラブルを起こしやがって、このことで私の出世に響いたら貴様の両親もろともブチ殺すからな!」


 驚くなかれ、これが平常運転だ。

 もっとも、口が悪い、という点では、大人の軍人はみんなこんな感じだけど。


 それでも、橋山中佐は恫喝する理由がとりわけ理不尽で、一日も早く縁を切りたくて仕方ない。


「ではルールの確認をするぞ。勝敗は一方が負けを認める、あるいは戦闘不能を以って決着とする。武器は自由だが、周囲への安全面を考慮して、魔法と飛び道具の使用は禁止だ」


「えっ!?」


 上官の前なのに、俺は思わず声をあげてしまった。


「あの! 魔法と飛び道具が禁止って、じゃあ水魔法と銃は!?」


「使用と同時に反則負けだ。もちろん、身体強化もな。貴様も軍人なら銃剣術ぐらいやっているだろう。弾倉を抜いた銃剣付き小銃で戦え。そして惨めに負けて龍崎家のご機嫌を取るんだ。わかったな!」


 横暴過ぎる要求を並べ立てると、中佐はさっさと背を向けた。

けれど、天幕の出口で肩越しに振り返り一言。


「それといいことを教えてやろう。辰馬は父親から借りた聖剣、エクスカリバーを使うそうだ。よかったな、これで負けても恥にはならないぞ」


 中佐が愉快そうに笑いながら出て行く一方で、俺は息を呑んだ。


 ――エクス……カリバー?


 ホテルで目にした威容を思い出す。


 あの時は、龍臣が一撃で桜月に蹴り飛ばされたことで呆気にとられたものの、聖剣から伝わる神々しさ、力は本物だった。


 五〇〇年前に活躍した聖剣だけど、その威力は現代戦争でも健在で有効だ。


 レガリアである聖剣は戦車や戦闘機、戦艦をも凌ぐ、人類最強兵器の一つだ。


「まずいぞ桜月。俺、銃剣術は二流だし、魔法が使えなかったら――」


 俺は振り返ると、思わず言葉を飲み込んだ。


 パイプ椅子に座る彼女の表情は冷たく鋭利に研ぎ澄まされ、抜身の刀のような威圧感があった。


 まるで、触れた瞬間に切り伏せられそうな迫力がある。

 俺が、なんと声をかけるべきか当惑していると、彼女の月色の瞳がまばたきをして、俺の姿を映した。


 途端に、彼女は被りを振って、威圧を鎮めた。


「朝俊」

「あ、はい」


 剣呑な雰囲気は無くなったものの、その声には力強い熱意がこもっていた。

 彼女が立ち上がっただけで、一陣の熱風が通り抜けたような気さえする。


「向こうが聖剣なら、こっちは魔剣だ」


 彼女が右手を左側の空間に突っ込むと、そこから一息に黒い剣身を引き抜いた。


 桜色のポニーテールを翻して、抜刀するように振るい構えた彼女の姿に、そして、彼女の握る一本の剣に、俺は心を奪われた。


 ――なんて、綺麗な剣だろう……。


 エクスカリバーは、柄頭から剣先まで白一色で構成された、純白の剣だった。

 一方で、桜月が引き抜いた魔剣は、すべてが黒で構成された、漆黒の剣だった。


 けれど、柄、鍔、剣身や装飾、そのどれもが違う、多様な黒であり、黒一色で、極彩色を作り出していた。


 それは、剣というよりも、むしろ美術品のようであり、神具のように神々しくもあった。


「これさえあればキミは無敵だ。辰馬を倒して、あのボンクラ中佐の鼻を明かしてやりなよ」


「で、でも俺……剣術なんて使えないぞ?」

「大丈夫、レーヴァテインはコナタや父上、歴代の使用者たちの経験が蓄積される剣だから。握れば、あとは剣に身を委ねればいいよ」


「父上って、桜月のお父さん?」

「うん。魔剣、レーヴァテイン。コナタの父上の形見だ」


 ――ッ!?


 俺は、頼もしい声音の奥ににじむ、わずかな思慕と悲しみを聞き逃さなかった。


 形見。

 つまり、彼女の父親はもう亡くなっているということだ。


 中佐の言った『貴様の両親もろともブチ殺すからな』という言葉は、彼女の胸に深く突き刺さったに違いない。


 今すぐ彼女を抱きしめたい衝動に駆られるも、ぐっとこらえた。

 それは、行き過ぎた干渉だ。


 でも、考えてしまう。

 笑顔の桜月と、冷淡な桜月。どっちが本当のお前なんだと。


 明るくて、元気で、無邪気な態度で俺を癒してくれる彼女の笑顔がニセモノには見えない。


 きっと、あれが彼女の心根だろう。


 ――なら、そんな彼女を、剣呑で、危険な香りの漂う冷酷な彼女に変えてしまうものはなんだろう……。


 想像して、胸に鈍痛が走った。

 彼女にはずっと笑っていてほしい。彼女の笑顔を守りたい。


 強くて優しくて可愛くて、俺を救ってくれた彼女を支えたくて、今すぐにこの想いを彼女に伝えたかった。


 でも、まだそれはできない。

 俺はまだ、彼女を支えられるほど強くはないから。


「桜月!」


 歯を食いしばってから、俺は彼女の手からレーヴァテインを受け取った。


「俺は勝つ! 勝って、都城桜月の眷属が勇者よりも強いってことを証明する! そんで」


 ホテルの屋上で彼女が俺に言ったことを、そのまま返した。


「お前に、最高にカッコイイところを見せてやるよ!」


 所詮は借り物の力だけど、みんなの前で桜月は言ってくれた。



『たとえ魔力がコナタからの借り物だろうと、彼の勇気は本物だ! お前如きボンクラ風情が、コナタの眷属を愚弄するなッッ!!』



 だから、彼女の力を借りないと何ものにもなれない俺は、せめて彼女のために、無限の勇気を見せようと誓った。


 すると、彼女の表情が、ほにゃっとゆるんだ。


「うん、期待しているよ。ありがとう」


 彼女の笑顔で、胸に熱い闘志が宿るのを感じた。

 もう、聖剣なんて怖くはなかった。

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