第12話


「……え?」


 十六夜の瞳が硬直した。


「お前の気持ちはわかるよ。ダンピールで強いからって、こんな殺し合いを嫌々やらされて、日本政府は酷い連中だ。でもきっと、お前に頼らなくてもいいぐらい俺が強くなれば、きっと政府もお前に戦いを強要なんてしないだろ?」


 十六夜の平手が、俺の左頬を叩き飛ばした。

 突然の出来事に思考が停止してから、目の前の光景に度肝を抜かれた。


 十六夜の顔が、憤怒の表情を露わにしていた。

 両目を吊り上げ、眉間に深いしわを刻み、薄く開いた唇の隙間からは、白い歯が見えた。


「私が、嫌々やらされている? 私のことを何も知らない奴が勝手なことを言うな!」


 大きく開けた口、その、左右の犬歯の裏から、突如として長く鋭い牙が生える。短い犬歯と長い犬歯、前後二列になった犬歯を剥き出しにして、十六夜はあらん限りの力で俺に感情をブチまけた。


「私が! 私がなんのために戦っているのか知らないジジイが‼ 一人で盛り上がってんじゃねぇよ‼」


 いつの間にか、十六夜は拒絶するように背を向けて、走り出していた。

 遠ざかる彼女の背中を追おうにも、足は動かず、俺は知らない土地で置き去りにされた子供のように、どうすればいいかわからず立ち尽くした。


   ◆


 俺は傲慢だったのだろうか……。

 自分の部屋へ向かいながら自問する。


 また、勝手に分かった気になって一人で暴走していたのだろうかと悩みながら、部屋に着くと、郵便受けに封筒が届いていた。


 自宅に届いた郵便物は、職員の人が部屋に届けてくれることになっている。

 開封すると、小学六年生の時の、クラス会の通知だった。


 正直、出たくない。

 小学校六年生の頃には、嫌な思い出がある。



 小学六年生の頃、クラスメイトの一人が自殺をした。



 俺は、彼がいじめられていたことには気が付いていた。

 でも、まさか自殺するほど追い詰められていたとは知らなかった。


 今にして思えば、自分は昔から他人の気持ちがわからなかったと思う。


 他人に興味のない自分が、他人の気持ちを汲むなんて高度なことが出来るわけもない。


 だから、さっきも十六夜を怒らせてしまったんだ。


 三〇にもなって、俺は何をしているんだ……本当に、ただのガキだな…………。


 頭を冷やそうと冷蔵庫を漁るが、飲み物は入っていなかった。

 確か、談話室には無料のジュースサーバーあったはずだ。

 仕方なく、また部屋を出た。


   ◆


 談話室のジュースサーバーでアイスコーヒーを飲み、天井の角を眺めていると、彼女は来た。


「おっさん、何辛気臭い顔してんの? 戦うの怖くなった系?」


 俺しかいない談話室に顔を見せたのは、ノースリーブのシャツにミニスカートという涼しそうな恰好の少女だった。


 たぶん、高校生だろう。


「いや、そういうわけじゃないよ。むしろ逆だ」

「逆? へぇ、やる気あるんだ。やるじゃんおっさん、あ、今あたし韻踏んだ、面白い」


 この異常な状況下でそんなことを面白がる余裕があるとは恐れ入る。きっと、成功体験をしたグループだろう。


「えーっと、君は確か……」

「あたしはオンベツ・シホロ、音に別って書いて、武士の士に札幌の幌って書くの。北海道出身の十七歳だよ♪」


 さも愉快そうに自己紹介する音別を見ていると、少しリラックスできた。

 そのことに心の中で感謝していると、音別はソファのすぐ隣に腰を下ろしてきた。


「っで、なんで落ち込んでんのさ? のさのさ」


 妙にぐいぐい来る娘だな。と思いながら、今は彼女の明るさが嬉しい。

 だから俺は、特に無理もしないで、十六夜とのことを、簡単に説明した。


「俺は十八歳の女の子が戦わされているのが心配だったけど、余計なお世話だったらしくてね、十六夜には悪いことしたよ」

「いやあたしも十七なんですけど?」


 同情や慰めよりも先に、ツッコミが来た。なかなかに手厳しい娘だ。


「でも、ま、そうだねぇ、あたしなんかは元から両親とあんまし仲良くなかったし、合法的に親から離れられてヤッキーだったけどさ」


 たぶん、やったー、とラッキーを合わせた造語だろう。

 そして、たぶん彼女のオリジナルだ。


「なんで咲月が、あ、神の配合作るからタンマ」


 自分で話をぶった切って、音別はすぐ隣のジュースサーバーへ向かった。

 それから、複数のジュースをちょっとずつ混ぜ始める。


「まぁ、実際のところ、咲月がなんで戦ってんのかは、あたしにもわかんないけどさ、あの娘ダンピールでしょ。色々あたしらにはわかんない複雑ななんやかんやがあるんでしょ。知らないけど」


 えらくアバウトだな、おい。

 ただし彼女の言うことももっともだ。


 普通の人間でさえ、他人にはわからない事情を抱えている。


 それこそ、小学校六年生の時のクラスメイトだって、どこにでもいる普通の少年に見えて、自ら命を絶つほど辛いいじめに遭っていた。


 なら、ダンピールの十六夜は、どれほどの事があり、それに対してどう感じ、思い、戦うことを決意したのか、それはきっと、俺の想像を遥かに絶するものだろう。


 あまりにも無神経過ぎた。

 やっぱり俺は、どうしようもないほどに、ガキなんだ。

 そうして自分を戒めていると、音別が、


「それにしても、おっさんて大人だよねぇ」


 と感心した声をあげた。

 意味がわからず、俺は二度、三度とまばたきをした。


「大人って……年齢のことか? まぁ、三〇だけど……」


「違う違う。だってさ、子供の心配できるのって大人の特権じゃない? 苦しいとも助けてとも言われていないのに勝手に心配して助けようとして拒絶されるとか、あたしら子供じゃありえないって」


「それは……」


 でも、俺はそれで十六夜を傷つけた。


 十六夜は俺に助けなんて求めていないのに、勝手に正義のヒーローぶって、それがあのザマだ。そうだろ?


 なのに音別は、満面の笑みで白い歯を光らせた。


「言われなくても助けようとするのって、なんかすごく大人っぽいじゃん♪」

「……ッッ…………はは」


 自分の膝を見下ろして、自分で自分のことを嘲笑した。

 まったく、俺はどこまでガキなんだか。


 音別の言うとおりだ。


 小学校六年生の頃、俺はあいつが何も言わないから、どうせ大丈夫、それほど深刻ではないだろうといじめを放置して、彼は自殺した。


 逆だ‼


 他人の気持ちが分からない自分がなにをしても【余計なお世話】なのではない。

 他人の気持ちが分からなくて、無言のSOSに気付けないなら、頼まれなくても余計なお世話でも、助けてあげなきゃ駄目なんじゃないのか?


 今のままじゃあ、小学生の頃から何も変わらないだろ!

 顔を上げると、すぐ目の前に音別の顔があった。


 唇が触れ合いそうな程に近い彼女の顔が、俺と視線が合うとすぐに、ニンマリと大きく笑う。


「悩み、晴れたみたいじゃん。いまのおっさん、ちょいイケてるよ。というわけで、はいこれあたしのオゴり、神の配合だよ♪」

「おごりって、ジュースサーバーはフリードリンクだろ」


 紙コップを受け取った俺が呆れたツッコミを入れると、音別は「にしし♪」と笑って、自分の分のドリンクを飲み干した。


「ほんじゃね、おっさん♪ また明日の訓練で♪」


 そう言って、音別はミニスカートをひるがえして、青と白のストライプパンツをチラリズムさせてから退室していった。


 色々とガードが甘いというか、守備力が低そうで心配になる。十六夜とは別の意味で、彼女もまた、大人として目が離せない娘である。


 音別は神の配合を飲みに来たんだろうけど、なんだか俺の励ましに来てくれたような錯覚を起こしてしまいそうになった。

 本当に、凄くいい娘だと思う。


「…………神の配合か」


 さっきまで音別のいた、そして俺を励ましてくれた証拠であるジュースを見下ろす。


「ありがとうな、音別」


 もうここにはいない彼女にお礼を言って、俺はそのジュースを大切に飲む事にした。


「……神の配合、マズ」

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