第31話 掃討戦

 俺が殺した隊長が問題になることはなかった。次の招集日には何事もなかったかのように新しい隊長が就任して、特に言及も無く敵対する連中と戦った。


 戦闘の度に何人もの死人が出て、入れ替わりで加入する者の中にはミシュアルの仲間が混じっている。しかし人手が増えているにも拘わらず、ハラーフィーシュのスルタンの居場所も新種のハシシの出所も、全くと言っていいほど掴めなかった。


「よくもまあ、これだけ戦って敵がいなくならないな」

 戦いに行く途中で誰かがそう言うと、興奮を抑えきれないような不敵な笑いが上がった。


「馬鹿は掃いて捨てるほどいる。俺たちと一緒だ」

「馬鹿はてめえだけだろ」

「馬鹿ほど自分のことが分からないってのは本当みたいだな」

 下らないことで喧嘩が始まった。ほとんどの連中はそれを無視して先頭を歩く隊長に着いていく。


 前を行くミシュアルが足を緩めて最後尾にいる俺の隣に下がってきた。

「最近、抗争以外で組織の構成員が死んでるみたいだ」


「敵が搦め手を使ってきたんだろう」

「それがどうも違うって噂がある。身内が制裁してるんじゃないかってな。どいつもこいつも殺される前にスルタンやハシシを探ってたらしい」


 覚えがあった。俺がハラーフィーシュのスルタンの組織に入った時、組まされた男がいた。その男は直ぐに死んだが、下っ端にしては組織の秘密に通じていたような気がする。あの男も俺たちと同じように組織の事を探っていたのだろう。だから口封じに殺された。


「俺たちも狙われている可能性があるか」

「ああ、ただでさえ俺たちには前科がある。何ができるわけじゃないけど、できるだけ一人にならないようにしよう」

 言って、ミシュアルは歯を見せて笑った。


 俺は何も答えず、遠目に見えてきた商人の屋敷に眼を向けた。今回の敵はハラーフィーシュやズールではなく、商人とそれに雇われている私兵だ。フランク人の商人らしく酒やハシシ、豚肉やらを自由に売り捌いて独自の販路を築いているそうだ。


 隊長が鍵の掛かった扉を蹴り開けて商人の屋敷に入っていく。相当な利益を上げていたのだろう。広さはクトゥブの屋敷と変わらない。最後尾の俺が中庭に着くと、もぬけの殻のように静まり返った屋敷を戦闘員たちが見回していた。


「いねえじゃねえか」

 誰かが言った。数人は気を抜いて武器を下ろすが大多数は目付き鋭く周囲を警戒している。隊長が手にしたミスバを噴水の傍に置き、奥の部屋に進んだ。


「まずいな」

 アスワドが言った。

「偽マジュヌーンの気配だ、多いぞ」


 隊長が進む先に人影が見えた。五人、いや十人以上はいる。ぞろぞろと表に出てきた。隊長の脇を通り過ぎ、俺たちに歩み寄ってくる。戦闘員たちが困惑にざわめいた。


「お前たちは全員死ね!」隊長の声。「秘密を探らんとする下郎に生きる価値はない。そのまま死ね。ささやかな抵抗の果てに死ね。希望を見出した瞬間に死ね」

 隊長の笑い声が響く。しかし途端に絶えた。向かってくるマジュヌーンの合間に、首から血を流して倒れる隊長の姿が見える。


 偽マジュヌーンたちが一斉に吠えた。


 俺は素早く後方を確認した。二体の偽マジュヌーンが中庭に入ってこようとしている。俺は曲刀を構えるミシュアルを視界の端に捉えた。

「退くべきだな」

「分かってる。お前ら逃げろ! 外に出たらバラバラに逃げるんだ! 急げ!」

 ミシュアルが言うが早いか、俺は逃げ道を塞ぐ偽マジュヌーンに突っ込んだ。


 奴らの反応は動物並みだった。ほとんど同時に身を低くして俺の突進に身構えている。

 だが、知能も動物並みだ。俺が振り上げた曲刀に偽マジュヌーンの視線が移る。瞬間、俺は曲刀を投げ上げて偽マジュヌーンの足元に滑り込み、下から短剣を突き上げた。


 顎下を貫いた。落ちてきた曲刀を掴み、もう一人の偽マジュヌーンに短剣を投擲する。当然避けられた。しかし俺が近づく時間は稼げた。

 偽マジュヌーンに斬りかかる。眼があった。片目が刀傷で潰れている。躰もよく鍛えられている。装備も質は良く着古している。

 まさか、この偽マジュヌーンは俺たちが戦う予定だった商人の私兵なのか。


 ともあれ止めを刺した。俺は振り返って中庭を確認する。逃げているのは一部、ミシュアルの仲間と冷静な奴だけだ。残った奴らは良い足止めになるだろう。俺は出口に向かい、声を張り上げ仲間の逃亡を促しているミシュアルに声を掛けた。


「先に行け。俺は確かめたいことがある」

 ミシュアルは出口と逃げてくる仲間を交互に見て、俺の肩に手をやった。

「運が良ければまた会おう」

 飛び出していくミシュアルを尻目に、俺は壁を背にして中庭の戦闘に眼を向けた。


 潜入調査はこれで失敗だ。

 襲ってきたのは偽マジュヌーン、つまり新種のハシシを摂取した者だ。動物同然の奴らが同時に襲ってこれた理由は一つしかない。組織の上層部が俺たちを襲うよう指示を出したのだ。この時点で、組織に俺たちの居場所はなくなった。


 だが、まだ希望はある。

 この偽マジュヌーンはおそらく商人の私兵だ。動物同然の偽マジュヌーンを誘導して一か所に集めるのは難しいだろう。長い事一か所に留めておくのも難しい。

 それなら、こいつらを偽マジュヌーンにした犯人が近くにいる可能性がある。


 俺は眼を凝らして辺りを見回す。これほど騒いでも屋敷は静まり返っている。住人は全員殺されたか。戦っている連中を見るがそれらしい人間は見当たらない。

「おいハリル、偽物が増えてねえか?」

 アスワドに言われて、俺は改めて中庭を見やった。まだ戦闘は終わっていないが、少し眼を離した隙に戦闘員が半分以下に減っている。いや、戦闘員同士が戦っていた。


「……そういうことか」

 誰かが戦闘に混じって偽マジュヌーンを増やしている。それも倒れた戦闘員を偽マジュヌーンにしている。確定だ。ここには上層部から指示を受けた人間がいる。そいつはもしかすると、スルタンや大幹部と直接繋がっているかもしれない。


 しかし気付くのが遅すぎた。

 最初は十人程度だった偽マジュヌーンが、今や二十近くにまで増えている。ここにボズクルトがいるのならまだしも、死を覚悟して大量の偽マジュヌーンと戦う危険を冒すのは愚の骨頂だ。


 俺は屋敷を走り出た。行き先は確実に人がいるマスジドが良いだろう。帽子のような形をした円屋根の建物を目指して駆けた。

 足音が聞こえた気がした。俺は道を曲がって背の低い民家を飛び越え向こう側に出る。やはり足音が聞こえた。偽マジュヌーンの追手だろう。俺は同じような事を繰り返して撒こうとする。


 足音が遠くなってきた。マスジドは確実に近くなっている。着きさえすれば付近のハラーフィーシュを囮に使える。俺は油断せずに常に視線を巡らせ退路を探し続けた。

「止まれ」

 アスワドの言葉にも遅れなく反応する。正面の三階建ての民家に誰かがひとっ飛びで上がってきた。偽マジュヌーンの身体能力に間違いない。そいつは辺りを見回そうとして、俺に視線を向けて止まった。


 偽マジュヌーンが遠吠えを放った。止めたいが屋上に行く術がない。後方の足音が騒がしくなる。戦うしかなさそうだ。俺は曲刀を構えた。


 正面の偽マジュヌーンが飛んだ。人間の短い歯を剝き出しにして降ってくる。俺は前に出た。着地する偽マジュヌーンの背後に回り、その首を撥ね飛ばす。曲刀に付いた血を振り払っている僅かな時間に追手が姿を現した。


 六人。全員が武具を手にした偽マジュヌーンだ。長引けば増援も来るだろう。


 俺は息を吐き、余計な思考と感情を捨てる。

 何かが、偽マジュヌーンの群れに飛んできた。割れるような音。炎が一面に広がった。ミスバが投げ入れられた──気付いた時には俺は走っていた。


 炎にたじろぐ偽マジュヌーンを斬り捨て、返す刀でもう一人を始末する。倒れた死体を足場にして火の海に入った。一刀で二人の首を撥ねる。正面のミシュアルに気を取られた奴を、後ろから突き殺した。最後の一人は既にミシュアルが倒している。俺は直ぐに火の海から出た。


「大丈夫みたいだな、カラジャ」

 ミシュアルが笑顔で近づいてきた。

「お前もマスジドの方に逃げてきたんだな。俺の追手を倒してくれて助かったよ」


「お前一人か」

「バラバラに逃げたからな。まあでも皆無事だろ」

 俺は死体を蹴って転がし、曲刀の血を拭おうと汚れていない服の部分を探す。その時、ミシュアルが慌てたように声を洩らした。


「おい、ちょ、ちょっと待て」

 ミシュアルが跪いて死体の顔を覗き込む。その躰が震えていた。聞き取れない声で何か喋っている。突然、跳ねるように立ち上がった。火の海から他の死体を引きずり出し、その顔を確認していく。


「……仲間だ」

 ミシュアルが呟いた。

「なんであいつらが、マジュヌーンになってるんだよ!」


 逃げ出したが掴まって偽マジュヌーンにされたか。動揺に付き合っている暇はない。ミシュアルの襟首を掴んで視線を俺に向けさせた。

「追手はまだいる。場所を変えるぞ」


 マスジドを行き過ぎ、しかしいつでも付近のハラーフィーシュを囮にできる場所に移動する。その時間でミシュアルも戦士らしく落ち着きを取り戻した。

「仲間がどれだけ生き残ったのかは後にしよう。これからどうする、カラジャ。俺たちは組織から追い出されたも同然だ」


「あいつらは使い捨ての兵士だ。指示を出したのが上層部だとしても、部隊丸ごと潰そうとした手口から考えて、俺たち個人の顔までは把握してないだろう。また潜り込む余地はある」

「……そうだな。俺たちを特定できていればもっと別の、それこそ暗殺でもするだろうしな。でもまた潜り込むにも時間が掛かる。俺は手があるけどお前はあるのか」

「俺もある」


 ミシュアルは考え込みながら何度か頷いた。

「分かった。それならその時までお互いに大人しくしていよう」


 そうするしかないだろう。今までミシュアルと手を組めた事で距離を置いていたが、リヤードを使えばまたハラーフィーシュのスルタンの組織に潜入できる。正直期待はしていないが、情報交換によってボズクルトの居場所も分かるかもしれない。

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